まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

グローティウス『戦争と平和の法』覚書(2)

目次

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グローティウス『戦争と平和の法』(承前)

プロレゴーメナ

グローティウスの体系性

ローマの国法であれ,その他いずれかの国の法であれ,国家の法〔ius civile〕を註解によって説明しようとした者,あるいは要約して提示しようとした者は少なくない.これに対して,多くの諸国民の間もしくは諸国民の支配者たちの間に存在する法については,それが自然そのものに由来するものであれ,あるいは神の法によって定められたものであれ,あるいは慣習や黙示の含意によって導入されたものであれ,これに取り組んだ者はわずかである.まして,これを包括的に,また一定の順序に従って論じた者は.いままでのところ一人もいない.しかしながら,もしこれが実現されるならば,それは人類全体の利益となるであろう.

Grotius1646: [1],渕2010:262)

ここには大きく分けて二つの「法 ius 」がある.一つが「国法 ius civile 」*1であり,もう一つは「多くの国民の間もしくは国民の支配者たちの間に存在する法」である.今風の言い方をするならば,前者を国内法,後者を国際法と言い換えられるのではないか.さらにグローティウスは法の種類として(いわば法源の相異に従って),自然法*2,神の法*3,慣習法の三つに分けていることがここから伺える.

 なるほどここでグローティウスが述べようとしているのは,この著作の意義である.国際法に関して「これに取り組んだ者はわずかである」というのだから,全く居なかったわけではないのであろう.しかしながら,「これを包括的に,また一定の順序に従って論じた者は.いままでのところ一人もいない」と述べている通り,グローティウスはまさに本書で先陣を切って国際法をいわば一つの体系として取り纏めることに主眼を置いていたと言えるであろう.実際,本書の持つ体系性は,プーフェンドルフ,スピノザライプニッツ,ヴォルフなど,後世に多大な影響を与えたのである(山内2018:419).

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文献

*1:「国法」についてグローティウスは本書第一巻第一章ⅩⅣで次のように述べている.「国法とは,国家的権力〔potestas civilis〕に由来する法である.国家的権力とは,国家を支配ないし管理する法である.また,国家とは,自由な人間からなる完全な団体である.」(Grotius1646: 6,渕2011:245).

*2:自然法」についてグローティウスは本書第一巻第一章Ⅹで次のように述べている.「自然法は正しい理性の命令である.それは,ある行為が[人間の]理性的な本性そのものに合致しているか,あるいは合致していないかということに基づいて,その行為が道徳的に恥ずべきものであるか,あるいは道徳的に必要なものであるかを示し,したがってまた,そのような行為が自然の創造主である神によって禁止されているのか,あるいは命じられているのか,ということを示している.」(Grotius1646: 4,渕2011:235).

*3:「神法」についてグローティウスは本書第一巻第一章ⅩⅤで次のように述べている.「神意法〔ius voluntarium divinum〕とはなにか.われわれは,それを,その言葉の響きそのものから十分に知ることができる.それは,もちろん,神の意思に起源をもつ法のことである.そして,この法は,神の意思を起源とするという違いによって,自然法(ちなみに,われわれは,先に,自然法は神法と同じだということができるといったのだが)と区別される.また,この[神意]法については,アナクサルコスがきわめて漠然と語った次の言葉,すなわち「神は,それが正しいがゆえに欲するのではなく,神が欲するがゆえに,それが正しいとされる.すなわち,それが法によって義務づけられるのである」という言葉があてはまる,ということができよう.」(Grotius1646: 7,渕2011:246).

グローティウス『戦争と平和の法』覚書(1)

目次

はじめに

 本稿ではグローティウス『戦争と平和の法』(渕2010; 渕2011)を読み進めたいと思う.

 フーゴー・グローティウス(Hugo Grotius, 1583-1645)は,周知の通り,今日では「国際法の父」と呼ばれている.しかしながら,山内進(1949-)の整理によれば,近年ではこの点に異論が提出され,グローティウスは「国際法の父」ではないとみなされているようである(山内2009および山内2018).その異論を提出した有名な法学者の一人にカール・シュミット(Carl Schmitt, 1888-1985)がいる.シュミットによれば,グローティウスが国際法上の戦争ではない「私戦」(これ自体が中世的概念である)を〈戦争〉の範疇に数え上げており,その限りでグローティウスを「〔近代的な〕国際法の父」と呼ぶことは相応しくないというのである(シュミット2007*1

 もちろん「国際法の父」の肩書が遡ってグローティウス以外の人物に割り当てられたからといって,グローティウスの重要性が減じることになるわけではない.ルソーが『社会契約論』でグローティウスを度々批判しているのは,グローティウスの法理論が中世的であったからではなく,実際に近代市民社会においてそれだけ影響力と実効性を有していたからではないか*2.その限りで,グローティウスの著作が近代法理論形成の土台を用意したことは疑いようがない.したがって,筆者としては,柳原正治(1952-)の次の見解に与したい.

戦争と平和の法』の最大の目的である,法による戦争の抑制は,グロティウスの存命中はもちろん,その死後も,現実の世界で達成されることはなかった.その意味ではこの著作は成功を収めたとは言えない.ところが,戦争論はいうまでもなく,所有権,婚姻,契約,刑罰などの私法上の多くのここの理論に対しても,本書が及ぼした影響は,甚大なものであった.グロティウスと同時代の,または,かれ以後の学者たちは,グロティウスの理論を全面的に肯定するかどうかは別にして,つねにそれを念頭に置きつつ自己の体系構築に努めた.「国際法の父」または「自然法的私法論の父」という名称は,それ自体には必ずしも学問上の正確さはないにしても,本書が獲得した理論上の圧倒的成功を表現しているものであるとは言えるのである.

柳原1991:181)

 その上で,やはり我々が行うべきことはグローティウスの著作を虚心坦懐に読み解くことではないだろうか.喜ばしいことに今年に入ってから,グローティウス『海洋自由論』の新訳が出版されている(グロティウス/セルデン2021).「国際法の父」という肩書を一度外しつつ,「国際法」の枠内にとらわれない視点でグローティウスを読み解くのも面白いかもしれない.

グローティウス『戦争と平和の法』

 グローティウス『戦争と平和の法』は,初版(1625年)をはじめとして,その後グローティウスの生前に改訂が加えられた第2版(1631年)・第3版(1632年)・第4版(1642年),および死後出版となった第5版(1646年)がそれぞれ出版されている.

  1. Grotius, 1625, DE IVRE BELLI AC PACIS LIBRI TRES. In quibus ius naturæ & Gentium : item iuris publici præcipua explicantur. Parisiis.
  2. Grotius, 1631, DE IVRE BELLI AC PACIS LIBRI TRES. In quibus ius naturæ & Gentium : item iuris publici præcipua explicantur. Amsterdami.
  3. Grotius, 1632, DE IVRE BELLI AC PACIS LIBRI TRES. In quibus jus naturæ, Gentium, item juris publici præcipua explicantur. Editio nova ab Auctore ipso recognita & correcta : de qua vide pagina sequenti. Amsterdami.
  4. Grotius, 1642, DE IVRE BELLI AC PACIS LIBRI TRES, In quibus jus Naturæ & Gentium, item juris publici præcipua explicantur. Editio nova cum Annotatis Auctoris. Accesserunt & Annotata in Epistolam Pauli ad Philemonem. Amsterdami.
  5. Grotius, 1646, DE IVRE BELLI AC PACIS LIBRI TRES, In quibus jus naturæ & Gentium, item juris publici præcipua explicantur. Editio nova cum Annotatis Auctoris, Ex postrema ejus ante obitum cura multo nunc auctior. Accesserunt & Annotata in Epistolam Pauli ad Philemonem. Amsterdami.

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文献

*1:グローティウスに先立つ近代国際法の先蹤として評価されているのが,フランシスコ・デ・ビトリア(Francisco de Vitoria, 1483-1546)の死後出版の講義録(De Indis, De Jure Belli),バルタザール・アヤラ(Balthazar Ayala, 1548-1584)の『戦争の法と義務および軍隊の規律について』(De jure et officiis bellicis et disciplina militari, 1582),アルベリコ・ジェンティー(Alberico Gentili, 1552-1608)の『戦争法論』(De Jure Belli Libri Tres, 1598)である.

*2:ルソーによるグロティウス批判について詳しくは明石1998をみよ.

D・サダヴァ『カラー図解 アメリカ版 新・大学生物学の教科書 第2巻 分子遺伝学』覚書

目次

はじめに

 諸外国と比べて,日本のコロナワクチンの接種が遅れています.厚生労働省のホームページには,ファイザー社の新型コロナワクチンの特徴が次のように書かれています.

 本剤はメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンです.SARS-CoV-2のスパイクタンパク質(ウイルスがヒトの細胞へ侵入するために必要なタンパク質)の設計図となるmRNAを脂質の膜に包んだ製剤になります.

 本剤を接種し,mRNAがヒトの細胞内に取り込まれると,このmRNAを基に細胞内でウイルスのスパイクタンパク質が産生され,スパイクタンパク質に対する中和抗体産生及び細胞性免疫応答が誘導されることで,SARS-CoV-2による感染症の予防ができると考えられています.

ファイザー社のワクチンについて|厚生労働省

メッセンジャーRNA(mRNA)」「SARS-CoV-2」「スパイクタンパク質」etc.,これらの内容説明できますか.僕にはできないですね,勉強不足なので.

 話は全く変わりますが,NetflixでTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を観ていたところ,第9話で綾波レイが読んでいた本がドイツ語だったことに気づきました.僕はてっきり綾波レイが文学の本でも読んでいるのかと思っていました.しかし,〈綾波レイが文学の本でも読んでいる〉というのは僕の思い込みであり,しかもその思い込みはジェンダー上の差別を含むものであったと反省しなければならなくなりました(ごめんなさい).綾波レイの読んでいた本の左側のページには,初期ドイツ国語協会(「実りを結ぶ会」Fruchtbringende Sprachgesellschaft)の初代会頭ルートヴィヒ1世(Ludwig I., Fürst von Anhalt-Köthen)による序言(Vorrede)からの引用と,遺伝学に関する図形などがあり,さらに右側のドイツ語にはいわゆる「放蕩息子の話」(新約聖書,ルカの福音書15:11 - 32)から引用されていました.図と内容は一致しておらず,複数のソースから切り貼りして作ったもののようです.

綾波レイが中学2年生にしてこのレベルのドイツ語を読むということは,中学2年生の平均読解力を遥かに上回ると考えねばなりません.『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で碇シンジ綾波の部屋に本を持っていったのに全然読んでないじゃないかと怒るシーンがありましたが,綾波が上で読んでいる書籍のレベルを考慮すると,他人が本を差し出したところで読んでもらえる見込みが全くないと思います.

 しかも,この図が遺伝学のものだと言われても『一体何のこっちゃ?』ってなりますよね.僕は高校の生物科目を勉強して以来,生物学を一切勉強していません.そこで,分子遺伝学に関する以下の本を買いました.用語の一つひとつが聞き慣れないものが多く,下にメモを取りながら読んでいます.オチはありません.

D・サダヴァ『カラー図解 アメリカ版 新・大学生物学の教科書 第2巻 分子遺伝学』(中村千春・石崎泰樹監訳・翻訳,小松佳代子翻訳,講談社,2021年)

細胞分裂周期

  1. G0期:不活発な休止期
  2. G1期:
  3. S期:DNA合成期
  4. G2期:
  5. M期:分裂期

用語メモ

  • Cdk:サイクロン依存性キナーゼ
  • MPF:Maturation Promotiong Factor. 卵成熟促進因子
  • サイクリン:活性化因子
  • エンドサイトーシス:飲食作用
  • エキソサイトーシス:開口分泌あるいは開口放出
  • ヒストン:histon「網」「織物」の意
  • ヌクレオソーム
  • クロマチン:染色質.DNAとタンパク質の複合体
  • スキャフォールド:足場
  • ループドメイン
  • ハプロイド:半数体・一倍体・単数体
  • ディプロイド:二倍体
  • モノマー:単量体
  • ダイマー:二量体
  • コヒーシン:タンパク質複合体
  • シナプシス:染色体対合
  • テトラッド:四分子
  • モノソミー:一染色体性
  • トリソミー:三染色体性

ヒトの接合体では,染色体が1本多いトリソミーあるいは少ないモノソミーは驚くほどの頻度で起こっており,なんと全ての妊娠の10〜30%が異数性である.しかし,そうした接合体から発達した胚の大半は出生までたどり着かないか,生まれたとしても,たいてい1歳までに亡くなってしまう(21番染色体の他にも13番と18番染色体のトリソミーは,例外的に生存能力を備えている).認知される全妊娠件数の少なくとも5分の1は,トリソミーとモノソミーが主な原因で,最初の2ヶ月間に自然に停止(流産)する.妊娠初期の流産は認識されないことが多いので,自然に停止する妊娠の実際の割合は,間違いなくもっと高いはずである.

(本書63頁)

上に引用した箇所は,間違いなく知識として知っておいて損はないと思います.私の知り合いの中でも二人の女性が流産したことを見聞きしているのですが,流産したときの妊婦のショックはおそらく想像し難いものがあると思います.上の科学的知見に基づくならば,全妊娠の「およそ10〜30%が異数性」であり,その妊娠は「最初の2ヶ月間に自然に停止(流産)する」というのですから,妊娠しても三割以上の確率で流産すると見て間違いないでしょう.こういう知識を持っていれば,妊婦のショックを緩和することは難しくとも,少なくとも流産の原因を全く違う(例えば周囲の家族のせいにしてしまうなどの)理由へと帰してしまうような誤りは避けられるかもしれません.

  • キネトコア:動原体
  • セントロメア:染色分体の結合部
  • キアズマ:「X字型」の意
  • アシナプシス:染色体不対合
  • ネクローシス:壊死
  • アポトーシス
  • メタスタシス:転移
  • ポリモルフィック:多型的.ギリシャ語で「ポリ」は多数,「モルフ」は形を意味する.
  • ヘミ接合:半接合
  • アレル
  • プラスチド:色素体
  • プラスミド:小型環状DNA分子
  • オペレーター:
  • リプレッサー:抑制
  • コリプレッサー:
  • ダイサー:
  • インデューサー:誘導物質
  • 誘導タンパク質:インデューサーにより合成誘導されるタンパク質
  • 構成タンパク質:一定の速度で常時合成されているタンパク質
  • アロステリック調節:酵素活性の阻害
  • 転写制御:経路の酵素をコードする遺伝子の転写の停止
  • オペロン:1つのプロモーターを共有する遺伝子群
  • lacオペロン:
  • アクチベーター:活性化
  • カタボライトリプレッション:異化代謝産物抑制
  • RNAポリメラーゼ:
  • シグマ因子:原核生物内に存在,RNAポリメラーゼに結合し,それを特異的なプロモーター群へと導くタンパク質.
  • TATAボックス:
  • 転写因子:transcription factor
  • TFⅡD:
  • エンハンサー:
  • サイレンサー
  • バクテリオファージ:細菌ウイルス
  • ビリオン:ウイルス粒子
  • カプシド:ウイルスを包み込む外殻
  • 溶菌サイクル:
  • プロファージ:
  • RNAウイルス:
  • レトロウイルス:
  • エンベロープウイルス:エンベロープ(外皮膜)を持つウイルス
  • プロウイルス:
  • DNAメチルトランスフェラーゼ:
  • メンテナンスメチラーゼ:メチル化維持酵素
  • デメチラーゼ:脱メチル化酵素
  • エピジェネティクス:「表現型を生み出す原因となる遺伝子とその産物の相互関係を研究する生物学の一領域」(コンラッド・ハル・ウォディントン,発生生物学者
  • エピジェネティック変化:後成的変化
  • ユークロマチン:真正染色質
  • ヘテロクロマチン:異質染色質
  • 干渉RNA
  • 選択的スプライシング
  • RISCRNA誘導サイレンシング複合体
  • miRNA:マイクロRNA
  • siRNA:低分子干渉RNA
  • ユビキチン:76アミノ酸からなるタンパク質.偏在する(ubiquitous),すなわち広く存在することから名付けられた.
  • プロテアソーム:巨大なタンパク質複合体.プロテアーゼ(protease)と「体」を意味するソマ(soma)の合成語.
  • ヒトパピローマウイルス(HPV):子宮頸癌を引き起こす.

文献

ルソー『社会契約論』覚書(9)

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ルソー『社会契約論』(承前)

第一編第二章 最初の社会について(承前)

ルソーとダルジャンソン

*「公法についての学者的な諸研究は,しばしば,古くからの悪習の歴史にすぎない.そして,無理に研究しすぎると,的はずれに凝りかたまってしまう」(ダルジャンソン侯『隣国との関係におけるフランスの利益に関する論』ライ書店,アムステルダム),これこそ正にグローティウスがおこなったことである.

Rousseau1762: 7,訳17頁)

ここでルソーは,ダルジャンソンを引きながら,グローティウスのことを「古くからの悪習の歴史」にすぎない「公法 droit public」を「無理に研究しすぎ」て「的はずれに凝りかたまってしま」った人物だと言っているように思われる.

 ルソーは『社会契約論』の他の箇所でもダンジャンソンに言及している(『社会契約論』第二編第三章・第十一章).ところで,このダルジャンソンとは一体何者であろうか.永見瑞木(1980-)は次のように述べている.

ルネ=ルイ・ド・ヴォワイエ・ド・ポルミー,ダルジャンソン侯爵(René-Louis de Voyer de Paulmy, marquis d’Argenson, 1694-1757)は,18世紀前半に同時代フランスの社会制度を大胆に批判したことで知られる文筆家であり,政治家でもあった.(中略)オーストリア継承戦争時の外務大臣(1744-1747)として,あるいは同時代の回想録を残したことでも知られている.モンテスキューやフォントネルといった当代の知識人が集い,道徳や政治の改革論議が繰り広げられたランベール侯爵夫人のサロンや中二階クラブの常連であり,サン=ピエールやヴォルテールといった著名人と親交を持っていた.

永見2020:55〜56,強調引用者)

 ダンジャルソンの死後出版として『フランスの古今の統治についての省察』(Considérations sur le gouvernement ancien et présent de la France, 1764)という著作が刊行されている.ルソーによるダルジャンソンからの先の引用文は,この『省察』の中にそっくりそのまま見出される.しかしながら,ダルジャンソンの『省察』初版(1764)の公刊よりも先に,ルソー『社会契約論』初版(1762)の方が二年も早く出版されているのである.ルソーはどうやって公刊される前にダルジャンソンの原稿を読んだのであろうか.

 永見によれば,ダルジャンソンの原稿じたいは,すでに1737年頃には一応の完成を迎えていたとされる.そしてダルジャンソンはその後も原稿に修正を加えていた.その筆写本はいまでも五つ残されているという(永見2020).

 ルソーのような当時の知識人の間では,おそらくサロンなどを通じて,ダルジャンソンの筆写本が普及していたと考えられる.

d'Argenson1764: 13)

この一文は,ダルジャンソンの『回想録』(Mémoires)にも登場する.

d'Argenson1858: 370)

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文献

ヘーゲル『法の哲学』覚書(7)

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ヘーゲル『法の哲学』(承前)

序言(承前)

複数形の「真理」と「永続的なもの」

 たしかに,ものごとをもっとも根本的に受け取るようにみえるひとびとからは,形式は何か外面的なものであって,ことがらにとってはどうでもよいものであり,肝心なのはことがらだけであるといったことが聞かれるかもしれない.さらに,著述家,ことに哲学的著作家の仕事とは,もろもろの真理を発見し,もろもろの真理を語ること,もろもろの真理や正しい諸概念を普及することであるとみなすことができるかもしれない.ところで,こうした仕事が実際にどのように営まれるのがつねであるかを観察するならば,一方では,同じ古くさい話が相変わらず蒸し返され,四方八方に伝えられているのをみることになるのである.——この仕事も,たとえそれが御苦労な余計事のようなものとみなされるとしても,つまり,「彼らにはモーセ預言者がいる.彼らはこのひとびとに聞けばよい」といわれるようなものだとしても,人心の陶冶と覚醒のためのそれなりの効能はもつであろうが——.

Hegel1820: ⅴ-ⅵ,上妻ほか訳(上)14頁)

前回見たように,ヘーゲルは「この論述において問題になっているものは学問であり,そして学問においては,内容は本質的に形式と結びついている」と述べていた.したがって,上述の見解は,ヘーゲルがごく一般的な考え方を示したものであって,ヘーゲル自身の思想とは異なっていると考えられる.

 ここで強調されている「真理 Wahrheiten 」は複数形になっている.「著述家,ことに哲学的著作家の仕事とは,もろもろの真理を発見し,もろもろの真理を語ること,もろもろの真理や正しい諸概念を普及することである」というのはヘーゲルの立場ではない.古代の哲学者が「万物の根源」についてそれぞれ主張しているような様を想起すれば良いかもしれない.各々が「真理」だと主張する事柄が複数存在することによって,各々の「真理」が対立することになる.

とりわけ,さまざまの機会に,こうした仕事において示される口調や自負には驚かされる.それは,まるで諸真理の熱心な普及が世間にこれまで欠けていたかのような,蒸し返された古い話が前代未聞の新しい真理をもたらしているかのような,そしてとりわけ,いつでも「いまの時代に」こそとくに銘記されなければならない話であるかのような口調や自負だからである.しかし,他方では,それらの諸真理のうち,一方の側から表明されたものが,同様に他方の側から提起されたものによって駆逐され,消し去られるのがみられる.そうなると,こうした諸真理のぶつかり合いのなかで,新しいとか古いとかではなく,永続的なものは何か,この永続的なものはいかにしてこの無定形に右往左往する観察のなかから獲得されるべきなのか,——学問による以外に,それが区別され,真なるものであると確証されることはないであろう.

Hegel1820: ⅵ-ⅶ,上妻ほか訳(上)14〜15頁)

複数形の「 真理 Wahrheiten 」が抗争することで,敗れた「真理」は消えていってしまう.だが,残らずに消えていってしまうような「真理」は,はたして本当に「真理」だと言えるのだろうか.むしろ消えずに残っていく「永続的なもの Bleibendes 」こそ重要ではないのか.ヘーゲルの「学問 Wissenschaft 」は,こうした複数形の「真理」を自らの体系の一要素として活用しつつ,その全体を「真理」として描き出していくと考えられる.

 ところで,ヘーゲルが批判的に言及している「いまの時代に」という論調は,最近よく聞く「アクチュアリティー」という言葉で語られているものとなんだか似ているような気がして,なかなか耳の痛い話ではないだろうか.研究上の要請とはいえ,ヘーゲル哲学の現代的意義を問うことは,極めてヘーゲル的な意味での「真理」の観点からすれば,実はどうでも良い話なのかもしれない.

(つづく)

文献

ヘーゲル『精神現象学』覚書(6)

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ヘーゲル精神現象学』(承前)

序文(承前)

ヘーゲル哲学の「流動的な本性」

つぼみは花弁がひらくと消えてゆく.そこでひとは,つぼみは花弁によって否定されると語ることもできるだろう.おなじように,果実をつうじて花弁は,植物のいつわりの現存在であると宣言される.だから,植物の真のありかたとして,果実が花弁にかわってあらわれるのだ.植物のこれらの形式は,たんにたがいに区別されるばかりではない.それらはまた,相互に両立できないものとして,排除しあっている.しかしこれらの形式には流動的な本性があることで,それらは同時に有機的な統一の契機となって,その統一のなかでくだんの諸形式は,たがいに抗争しあうことがない.そればかりか,一方は他方とおなじように必然的なものとなる.そこで,このようにどの形式もひとしく必然的であることこそが,はじめて全体の生命をかたちづくるのである.

Hegel1807: ⅲ-ⅳ,熊野訳(上)12〜13頁)

前回「真なるものと偽なるものとの対立は固定されているとする思いなし」によっては変化を捉えられないことを見てきたが,ここでヘーゲルはそのような「思いなし」を植物の形態発展の例によって打ち崩している.

 「つぼみは花弁がひらくと消えてゆく.そこでひとは,つぼみは花弁によって否定されると語ることもできるだろう.おなじように,果実をつうじて花弁は,植物のいつわりの現存在であると宣言される.だから,植物の真のありかたとして,果実が花弁にかわってあらわれるのだ」.植物のこのような形態発展は,ヘーゲルのいわゆる弁証法の例としてよく持ち出されており,高校の倫理の教材でも用いられることがある.ただし,ここでヘーゲル自身は「弁証法」とは述べておらず,これがただちに「弁証法」の例と言って差し支えないかどうか留保が必要である.

 植物において,つぼみの状態と花弁がひらいた状態そして果実の状態とは「相互に両立できないものとして,排除しあっている」.こうしたあり方は,形式論理学においては「Aは同時にAでありかつ非Aではあり得ない」ということで矛盾律と呼ばれる.それはたしかに矛盾として映るかもしれないが,そこで見逃されているのは「流動的な本性」である.それぞれの形式を「有機的な統一の契機」として取り扱うことは,まさにヘーゲル哲学の特徴を示している.

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文献

ヘーゲル『精神現象学』覚書(5)

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ヘーゲル精神現象学』(承前)

序文(承前)

「思いなし」が見出す矛盾

 同様にまた,或る哲学的労作が,対象をおなじくするいくつかのべつの努力に対して立っていると信じられる関係を規定してみるとしよう.その場合でも種類をことにする関心が引きいれられて,真理を認識するさいに重要なことがらが冥がりに閉ざされてしまう.真なるものと偽なるものとの対立は固定されているとする思いなしがあるがゆえに,そうした思いなしによればまた,なんらかの現にある哲学的体系に対して賛成なのか,それと矛盾しているのか,〔その説明〕だけが期待されるのがつねとなる.こうして,そのような体系をめぐって説明をくわえようとしても,賛否のどちらかだけを見てとろうとするものなのである.そのような思いなしがあると,哲学的体系どうしの相違は,真理がしだいに発展してゆくすがたとして把握されずに,むしろそうした相違のなかにひたすら矛盾のみがみとめられることになる.

Hegel1807: ⅲ,熊野訳(上)12頁)

前回までのパラグラフでは,〈哲学的な学問というものは単なる知識の寄せ集めではない〉というヘーゲルの思想が示された.続いてここでは二項対立を固定的なものとみなす考え方——もっと言うと「Aは同時にAでありかつ非Aではあり得ない」という矛盾律——が批判されている.

 ここでとりわけ注目したいのが,「思いなし Meynung 」という言葉である.山口誠一によれば,この「思いなし Meynung 」という語で観念されているものは,ギリシア語の「ドクサ δόξα 」であるという.

ここでは,このような関心を抱く当事者,結局は,真と偽の対立を固定する当事者を,「思いこみ」(Meinung)と呼んでいる.これは,いうまでもなくギリシア語のドクサのドイツ語である.しかるに,ドクサは,臆見,独断そして思いなしとも訳され,命題の形式をとる.したがって,真と偽との対立を固定するとは,真理を命題形式で,偽を排除して表現することである.

山口2008:11)

 では,どうして「真なるものと偽なるものとの対立は固定されているとする思いなし」は,両者の相違のうちに矛盾ばかりをみとめるのであろうか.それは,いわば事物の変転を見逃しているからである.ヘーゲルが「真理がしだいに発展してゆくすがた」と述べているように,形態の流動的な変化の全体を〈真理〉として認めるような大局観こそが肝要なのである.

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文献