まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

フーコー「社会医学の誕生」覚書(2)

目次

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フーコー社会医学の誕生」(承前)

序(承前)

スペイン語の講演記録

 さて、あらためて冒頭から読んでいきましょう。

 Procuré demostrar en la 1ª conferencia que el problema fundamental no es el de antimedicina contra medicina, sino el del desarrollo del sistema médico y traté el modelo seguido por el “take-off” médico y sanitario de Occidente a partir del siglo XVIII.

 一回目の講演で私は、根本的な問題は医学と反医学の対立のうちにあるのではなく、十八世紀以来の医療制度の発展と、西洋の医学や保健衛生の「テイク・オフ」のために採用されてきたモデルの発展のうちにあることを証明しようとしました。その際、私には重要と思われる三点を強調しました。

(Foucault1977: 89,小島訳165頁)

ここでフーコーが「一回目の講演」と述べているところから察せられるように、この「社会医学の誕生」は二回目の講演です。フーコーによるこの一連の講演について、前川真行(1967-)は次のように述べています。

 1974年の10月から11月にかけて、つまりコレージュ・ド・フランスで『異常者たち』と題された講義を開始する数ヶ月前、ミシェル・フーコーは、ブラジルを訪れ、グアナバラ州立大学の社会医学研究所で一連の講義を行なっている。「19世紀の精神医学の実践における精神分析の系譜」「都市化と公衆衛生」という二つのゼミナールが企画されたが、現在わたしたちが読むことができるのは、後者に関わる三回の講義だけである。いずれもフランス語の原稿はなく、ポルトガル語、あるいはスペイン語から、フランス語と英語に翻訳されたものがわたしたちに残されている。

(前川2021「生権力と福祉国家」421頁)

私たちが読んでいるのは、まさにそのスペイン語の原稿です。

 講演が行われたブラジルの公用語ポルトガル語で、私は不勉強でスペイン語ポルトガル語の違いもよく分からないのですが、スペイン語ポルトガル語は方言ぐらいの違いしかなく似ているそうです。

ロストウの「テイク・オフ」

 では、フーコーのいう「西洋の医学や保健衛生の「テイク・オフ」」とは一体なんでしょうか。「テイク・オフ離陸」(take-off)とは、経済学者ウォルト・ロストウ(Walt Whitman Rostow, 1916-2003)が1956年に唱えた経済発展理論のキータームです。

 経済成長過程は便宜上20ないし30年という比較的短い期間に集中するとみなすことができる。その間に経済と、それを一部とする社会は自ら変換し、続いて起こる経済成長は多かれ少なかれ自動的になる。この決定的な変換は、ここではテイク・オフと呼ばれる。

 テイク・オフは期間と定義されるが、その間に一人当たり実質生産高が上昇するような形で投資率が増大し、このような初期の増加がそれとともに生産技術の急激な変化と、新しい投資規模を永続させるような所得フローの処分をもたらす。

(Rostow1956: 25,岡田清訳)

ロストウの「テイク・オフ」という用語が、飛行機の離着陸に着想を得たものであることは明らかだと私は思います。飛行機の初飛行は1903年ライト兄弟によるものだといわれていますので、およそ19世紀以前の人々に「テイク・オフ」と言ってもなんのことだかさっぱり通用しないでしょう。あるいは飛行機の発明以前の人々に「テイク・オフ」といえば、船舶が陸から離れていくことを観念するかもしれません。船舶における「テイク・オフ」は水平的に移動するイメージに他なりませんが、これでは経済発展が横ばいであるかのように捉えられてしまいます。これに対して、飛行機の発明以降の「テイク・オフ」は明らかに高度を上げて空まで飛び立つような急上昇のイメージを含んでいます。これはつまり「テイク・オフ」の観念が、20世紀に入ってから刷新されたとみるべきでしょう。

 したがって、「西洋の医学や保健衛生の「テイク・オフ」」とは、飛行機の離陸のように、ある期間に医療制度が急激に変化し発展し、その後の医療活動を自動化するようななんらかの現象を指しているものと考えられます。

 ちなみにフーコーは『監獄の誕生——監視と処罰』(Surveiller et punir: Naissance de la prison, 1975)でも「テイク・オフ」(フランス語では«décollage»)を用いています。

 Si le décollage économique de l'Occident a commencé avec les procédés qui ont permis l'accumulation du capital, on peut dire, peut-être, que les méthodes pour gérer l'accumulation des hommes ont permis un décollage politique par rapport à des formes de pouvoir traditionnelles, rituelles, coûteuses, violentes, et qui, bientôt tombées en désuétude, ont été relayées par toute une technologie fine et calculée de l'assujettissement.

 西洋の経済的な離陸上昇が、資本の蓄積を可能にしたさまざまな方式とともに始まったとすれば、伝統的で祭式的で暴力的で費用のかかる権力形態、しかもやがて通用しなくなって、服従強制の巧妙で計画的な一つの技術論全体によってとって替わられたこの権力形態からの政治的な離陸上昇を可能にしたのが、人々の蓄積を管理するためのもろもろの方法だと、多分言ってよいだろう。

(Foucault1975: 222,田村訳221頁)

長原豊さんは「この一文でフーコーは、当時の読者をして冷戦下でその政治的機能を縦横に担ったW・ロストウの経済成長論を想起させることを仕組んだのではないかとさえ邪推させる」と述べていますが、実際そうでしょう。

 この後にフーコーは(1)「生命゠史 bio-historia」、(2)「医療化 medicalizatión」、(3)「健康をめぐる経済学 economía de la salud」の三点についてまとめています。

(つづく)

文献

陰謀論と免疫応答

 最近「陰謀論」をテーマにした本を何冊か買ってきた。今更ながら「陰謀論」について考えてみようと思い立ったのは、私がついに陰謀論者と対話する機会があったからである。勿論、その人を「陰謀論者」と規定しているのは私の側だけであって、本人が自分の言説を「陰謀論」だと主張しているわけではない。

 ここで立ち止まって考えなければならないのは、実際に「陰謀論」に陥るときに、その人に何が起こっているのか、ということである。「陰謀論なんて馬鹿げている」と笑い飛ばすことは容易であるように見えるが、実はそうではない。陰謀論者のように見える人から見れば、他人は皆「陰謀論」に毒されているように見えるかもしれない。座標系の原点をどこに取るかによって、その人の主張の位置付けは反転しうる。したがって、現に我々が陰謀論に陥っていないと主張することは容易ではない。

 昨今の陰謀論の典型的なものに「反ワクチン」がある。「コロナはただの風邪」というものから、「ワクチンを接種すると身体が5Gに接続するようになる」等と奇天烈な主張が繰り返されている。ワクチン接種は思いもよらないアナフィラキシー反応(anaphylaxis)を引き起こす可能性もあるので、私はワクチンが万能だと主張するつもりはないが、それでもワクチンは人類の病気の克服において欠かせない役割を果たしてきた。

 これは比喩として受け取って欲しいのだが、「陰謀論」に気触れるのも、ある種の免疫応答のようなものではないだろうか。大人になるまでインターネットに触れたこともない人間が、初めて店頭でスマホを買ってきてTwitterやインターネットニュースの通知から雑多な情報を受容するとする。ほとんどの通知はわざと目を惹くものであったり、人間の欲望を喚起するものであったりする。BPOによる制約を受けないインターネットというイデオロギー装置はマスコミのそれを容易く凌駕するが、そうした情報に一般の人々が初めて触れることとなれば、知らぬ間に陰謀論に毒されることもわけないと思う。

フーコー「社会医学の誕生」覚書(1)

目次

はじめに

 以下ではフーコー社会医学の誕生」(Michel Foucault, El nacimiento de la medicina social, 1977)を読みます。このテクストを読むことになったきっかけは、先日「ヘーゲルと医学」というテーマで少し書き始めたことでした。「医学」というディシプリンの成立について哲学的に考察したのはミシェル・フーコーMichel Foucault, 1926-1984)でした。それゆえ、「ヘーゲルと医学」というテーマで書き進めるにあたって、フーコーのテクストを虚心坦懐に読み解いた時に、フーコーが「医学」についてどのようなことを述べているのかということは、少なからず押さえておく必要があるだろう、と私は考えました。

 ちなみにこのテクストはスペイン語で書かれており、フランス語版は原文ではなく翻訳なのだそうです(前川2021)。

フーコー社会医学の誕生」

資本主義社会における身体と医学

 フーコーは「社会医学の誕生」を論ずるにあたり、資本主義社会における「身体」と「医学」の変容に着目します。

 Mi hipótesis es la siguiente: con el capitalismo no se dio el paso de una medicina colectiva a una medicina privada, sino justamente lo contrario; el capitalismo, desarrollándose a fines del siglo XVIII y comienzos del siglo XIX, socializó un primer objeto que fue el cuerpo como fuerza de producción, fuerza de trabajo. El control de la sociedad sobre los individuos no se opera simplemente, por la conciencia o por la ideología sino que se comienza en el cuerpo, con el cuerpo. Fue en lo biológico, en lo somático, en lo corporal antes que todo, que invirtió la sociedad capitalista. El cuerpo es una realidad bio‐política. La medicina es una estrategia bio‐política.

 資本主義によって人々は集団的医学から私的医学に移行したのではなく、まさにその正反対のことが起こったのだ、というのが私の仮説です。十八世紀末と十九世紀初頭に発達した資本主義は、生産力と労働力にしたがってまず身体という第一の対象を社会化します。社会による個人の管理は意識やイデオロギーによって行われるだけでなく、身体の内部で、身体とともに行われるものでもあります。資本主義社会にとって何よりも重要なのは生゠政治的なものビオ・ポリティカであり、生物学的なもの、身体的なもの、肉体的なものです。身体とは生゠政治的なビオ・ポリティカ現実であり、医学とは生゠政治的なビオ・ポリティカ戦略にほかなりません。

(Foucault1977: 91,小倉訳169頁)

「資本主義社会」という括りは、マルクスのいう「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会」のことを意味していると理解して良いでしょう。「資本主義社会」とは「生産様式」に基づく区分です。フーコーマルクスを全面に出していませんが、我々が「資本主義社会」について考えるとき、マルクスの研究成果を抜きにして考えることは到底不可能です。「資本主義社会」とはそれ自体が近代的カテゴリーに属しますから、「資本主義社会」を手掛かりにフーコーが分析する「社会医学」もまた近代的カテゴリーに他ならないと言えるでしょう。

 「資本主義によって人々は集団的医学から私的医学に移行したのではなく、まさにその正反対のことが起こったのだ」という仮説を示す直前に、フーコーは「十八世紀末モルガーニ*1からビシャ*2にいたる間に、病理解剖学の導入によって生まれた近代科学医学が個人的なものなのかどうなのか」という点を問題にしています。ビシャが『生と死に関する生理学的研究』(Recherches physiologiques sur la vie et la mort, 1800)を出版した頃は、「ビシャは自分の私塾のほかには働く場所をほとんど与えられていなかった」(作田2008)といいますから、フーコーがいう「私的医学」というのは、私塾のようなところで医者が個別に行っている医学のことを指しており、これに対して「集団的医学」というものが国家権力を通じてなされる医学のことを指していることがわかります。

 ちなみに近代医学以前の医学、例えば古代医学についてはどのように考えられていたのでしょうか。フーコーは次のように述べています。

 Se encuentra frecuentemente, en ciertos críticos de la medicina actual, la idea que la medicina antigua-griega y egipcia o las formas de medicina de las sociedades primitivas, son medicinas sociales, colectivas, no centradas sobre el individuo. Mi ignorancia en etnología y egiptología me impide opinar sobre el problema. El poco conocimiento que tengo de la historia griega, me deja perplejo pues no veo cómo se puede decir que la medicina griega era colectiva y social.

 しばしば指摘されるように、現代医学の批判者のなかには、古代医学——ギリシアやエジプトの医学——あるいは未開社会における医学の諸形態は、社会的で集団的な医学であり、個人を中心にするものではないと主張するひとがいます。私は民俗学エジプト学にはむちなので、この問題について意見を述べることはできません。しかしギリシア史にかんして私の知るかぎり、この考えには当惑させられますし、ギリシアの医学をどうして集団的な、あるいは社会的な医学と呼ぶのか分かりません。

(Foucault1977: 90,小倉訳168頁)

小倉訳では「未開社会における医学の諸形態 las formas de medicina de las sociedades primitivas」と訳されていますが、少なくとも古代ギリシアやエジプトにおいて「医学」が存在する社会でそれを「未開」と訳すのは明確に誤りではないかと思います。フーコーが「資本主義社会」というキーワードを用いていることから推察すると、それには「原始共同体 las sociedades primitivas」という訳が妥当かと思います。

 フーコーの批判は、もし古代社会における医学が「社会的で集団的な医学」なのだとすれば、そこでは社会統計に基づく統治が行われていたことになるが、実際には全然そうではなかったではないか、というものです。

 この後フーコーは「社会医学」の発展段階を(1)「国家医学 medicina de Estado」、(2)「都市医学 medicina urbana」、(3)「労働力の医学 medicina de la fuerza de trabajo」の三つに区分しています。

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文献

*1:ジョヴァンニ・バッティスタ・モルガーニ(Giovanni Battista Morgagni, 1682-1771)。「近代解剖病理学の父」と呼ばれる。彼が80歳になった1761年に発表した『解剖によって明らかにされた疾病の位置および原因』(De sedibus, et causis morborum per anatomen indagatis, 1761)が高い評価を受け、病理解剖学の分野を切り開く。

*2:マリー・フランソワ・グザヴィエ・ビシャ(Marie François Xavier Bichat, 1771-1802)。「近代組織学の父」と呼ばれる。著書に『生と死の生理学研究』(小松美彦・金子章予訳、所収『生と死 生命という宇宙』国書刊行会、2020年)がある。「ビシャの重要な業績は、肺や心臓などの器官(臓器)の会区分である組織(tissu)に病変を見出したことだ。例えば、結核による病変が肺を取り巻く胸膜に見出される。胸膜は漿液を分泌する漿膜性の組織だが、心臓を取り巻く心膜もやはり漿膜性である。そして心膜にも、胸膜と同じ結核の病変が見出される。このようにして、肺や心臓という特定の器官(臓器)にではなく、漿膜性の組織というレベルにおいて病変が見出される。かくして、病気の座が特定の器官にではなく、いくつかの器官にまたがって見出されるのだが、組織というレベルで見ると、そこには同じ性質が見られる。」(北垣徹「権力の新たなエコノミー」395〜396頁)。

ジャック・デリダ『弔鐘』覚書(7)

目次

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ジャック・デリダ『弔鐘』(承前)

(左)ヘーゲル

ヘーゲルの署名と〈絶対知〉の資料体

 Sa signature, comme la pensée du reste, enveloppera ce corpus mais n'y sera sans doute pas comprise.

 彼の署名は、残余の思考と同じく、この資料体を包みこむだろうが、おそらくそこには含まれないだろう。

(Derrida1974: 7,鵜飼訳(1)247頁)

ここでは「彼の署名」と「この資料体」とのいわば包摂関係が問題となっている。或る資料体の上に、ヘーゲルが自身の名前を署名するとしよう。そうすると、彼の署名が著者名としてその資料体を包摂することになる。だが、彼の署名がその資料体の中身・内容に直接関わるわけではない。したがって、彼の署名は「おそらくそこには含まれない n'y sera sans doute pas comprise」。ここで「おそらく sans doute」というのは、例えば、自伝のように著者自身がその中に直接登場する可能性もゼロではないからであろう。

 ちなみにデリダが「この資料体 ce corpus」を「テクスト texte」ではなく「資料体 corpus」と呼んでいる理由は何故であろうか。その理由は、おそらくデリダが直前に述べているように、「〈Sa〉が一つのテクストかどうかまだわからない on ne sait pas encore si Sa est un texte」からではないか。

「残余の思考」と「思考するための残余」

 デリダは「残余の思考と同じく comme la pensée du reste」と述べているが、この「残余の思考 la pensée du reste」は一体何を意味しているのだろうか。その手がかりとしてデリダはこのパラグラフに付された注の中で次のように述べている。

reste à penser : ça ne s'accentue pas ici maintenant mais se sera déjà mis à l'épreuve de l'autre côté. Le sens doit répondre, plus ou moins, aux calculs de ce qu'en termes de gravure on appelle contre-épreuve

思考するための残余。それは、ここで、今、強調されるのではなく、反対側の検証=試練〔épreuve〕に、すでに、身を晒しているだろう。この意味は製版の用語で逆版刷り〔contre-épreuve〕と呼ばれるものの計算に、多かれ少なかれ、対応しなければならない

(Derrida1974: 7,鵜飼訳(1)247頁)

「〜するためにとどまる rester à + inf.」と動詞の「思考する penser」が組み合わさって「思考するための残余 reste à penser」という意味になる。「思考するための残余 reste à penser」とは、つねに思考の余地を残しておく、ということである*1。このことがデリダのいう「残余の思考 la pensée du reste」ではなかろうか。

 «ça»は«cela»の短縮形で「それ」という意味である。«ça»は、本書で〈絶対知 savoir absolu〉の略号とされている«Sa»と同じ発音である。同じ発音であるからといって、«ça»と«Sa»に何らかの連関があるのかといえば、その点はよくわからない。おそらくデリダは、フロイトが非人称代名詞でEsと呼んだようなしかたで、〈Sa〉をまるで「それ ça」のように用いているのではないだろうか。

 「反対側の検証 l'épreuve de l'autre côté」とは、ここでは要するに、ヘーゲル欄に対するジュネ欄のことであろう。ヘーゲル欄の外部には、まだ考える余地が残っている。その余地を埋めるようにして、ジュネ欄が存在する。したがって本書では、ヘーゲル欄とジュネ欄とはそれぞれたがいに無関係に併記されているのではない。ヘーゲル欄とジュネ欄とは「たがいに交差=一致する」ことが計算されており、「残余の思想」を実践するものである。この点について詳しくは、まさに右のジュネ欄を検討しなければならない。

(右)ジュネ欄

交差=一致する、残余の二つの機能

 Il y a du reste, toujours, qui se recoupent, deux fonctions.

 残余には、そもそも、残余には、つねに、たがいに交差=一致する、二つの機能がある。

(Derrida1974: 7,鵜飼訳(1)246頁)

先に見た左のヘーゲル欄では、「思考されるにまかせることと署名されるにまかせること、この二つの操作は、おそらく、どんな場合にも、けっして交差=一致することはありえない」(Se laisser penser et se laisser signer, peut-être ces deux opérations ne peuvent-elles en aucun cas se recouper.)と述べられていたが、このことは、「残余 reste」の「二つの機能 deux fonctions」が「たがいに交差=一致する se recoupent」と述べられているのとは対照的である。換言すれば、デリダが左のヘーゲル欄では〈たがいに交差し得ないもの〉について論じているのに対して、右のジュネ欄では〈たがいに交差するもの〉について論じているようにも見える。

(つづく)

文献

*1:「思考するための残余 reste à penser」は、いわゆる「エポケー ἐποχή」(判断を保留すること)と似ているようにも見える。

ヘーゲルと医学——解剖学・有機体・病理学

目次

「自分自身が医者であり、しかも、きわめて思索的な医者でもあるケネー氏は、政治体についても同じ種類の理解を心に思い浮かべ、それは、一定の厳密な養生法——完全な自由と完全な正義という厳格な養生法——の下でのみ、成功してうまくいくと想像したように思われる。」(アダム・スミス国富論』高哲男訳(下)273頁)

はじめに

 「ヘーゲルと医学」というタイトルで語るべきことは何であろうか。「ヘーゲルと医学」というタイトルを冠した論文がこれまでになかったとしても、間接的にはそのような内容は扱われてきた。それは主に有機体論との関係においてである。このテーマに関しては最近発表された大河内泰樹「正常な異常性:ヘーゲル有機体論における死に至る病(Taiju Okochi, „Normale Abnormität. Die Krankheit zum Tode in Hegels Lehre über den Organismus“, 2022)が最も注目に値する。

 ヘーゲルシェリングの医学思想(坂井1996)、とりわけその有機体論の発想を受け継いで、自らの社会思想に生かしている(『法の哲学』)。この点については加藤尚武(加藤2007)や長島隆(長島1999-2001)の論考でも触れられていよう。

ヘーゲルと医学

 「ヘーゲルと医学」というテーマで直截的に語ることが難しいのは、ヘーゲル学者が基本的には文献学者であって、実践的な医学者ではないことに起因するであろう。

 医学にはどのような専門分野が存在するであろうか。さしあたり基礎医学について瞥見しておこう。

  • 解剖学
    • マクロ解剖学
    • ミクロ解剖学(細胞生物学・組織学)
  • 生理学
    • 神経生理学
    • 器官生理学
  • 環境生理学・体力医学
  • 生化学・栄養学
  • 薬理学
  • 病理学
    • 人体病理学・診断病理学
    • 実験病理学・分子病理学
  • 微生物学
    • 細菌学
    • ウイルス学
    • 真菌学
  • 寄生虫学・医動物学
  • 免疫学
  • 実験動物学
  • 放射線生物学
  • 医用工学
  • 音声言語医学
  • 腫瘍学
  • 遺伝学
  • 神経科
  • 分子生物学生命科学・細胞生物学

また社会医学には次のような専門分野がある。

  • 衛生・公衆衛生・保健学
    • 衛生・公衆衛生・保健学一般
    • 疫学・予防医学・検診医学
    • 環境医学
    • 産業保健・労働衛生
    • 学校保健
    • 医療制度・医療経済
    • 社会保障社会福祉
    • 病院管理・病院経営
    • 国際保健・国際医療協力
  • 法医学
  • 医療法学
  • 医学・医療情報学
  • 医学統計学・理論医学
  • 医学・医療倫理学

さらに臨床医学には次のような専門分野がある。

医学の専門分野があまりに多岐にわたるため、一部の小カテゴリーは省略させてもらった。

 わざわざこれほど多くの専門分野を羅列したことには二つの理由がある。およそ医学の全体像を俯瞰するのに丁度良いという理由と、ヘーゲルの哲学が医学のどの専門分野と関わり得るのかということを考えるためである。例えば、公衆衛生の分野は、ヘーゲル『法の哲学』におけるポリツァイ論と関連するかもしれない。その他の専門分野は、『エンツュクロペディー』の自然哲学の中で一部触れるところがあるかもしれない。

ヘーゲルと解剖学

 さて、上記のような医学カテゴリーの羅列というのは、ヘーゲルに言わせれば「哲学的」ではないであろう。特に解剖学のそれは、ヘーゲルが『精神現象学』の「序文」で批判していることで知られている。

 しかしながら、ヘーゲルの読み手である我々は、例えば解剖学の何たるかを十分に知っているだろうか。へーゲリアンが安易にヘーゲルの思想に身を委ねて、有機体論を是とし、解剖学を退ける立場を取っているというのではない。単純に現代の医学の水準に知識をアップデートしていないのに、ヘーゲルが医療に関する比喩を使用しながら、その含意を批判的に捉えることがそもそも可能であろうか。

 坂井建生『図説 人体イメージの変遷』(岩波書店、2014年)という本がある。この本を紐解くと、古代から近代にかけて、解剖図の描写の変遷が垣間見える。その描写は近代になるにつれ、きめ細かい表現になっていく。

ホッブズと解剖生理学

 人体をどのように捉えるのか、ということは、それぞれの時代の制約を受けている。ルソーも『社会契約論』で国家を論ずるにあたって、人体の比喩を用いたし、その前にはホッブズが『リヴァイアサン』で人体の機構を機械論的に論じた上でコモンウェルスについて論じている。したがって、社会思想史の観点からみても、解剖生理学と政治的国家論とは切ってもきれない関係にあると言える。ただ問題なのは、ホッブズやルソー、そしてヘーゲルの読み手である現代の我々が、そこまで医学に通暁していないことによって、その思想を適切に評価することが難しくなっているのではないかということである。

 その時代の解剖生理学の水準が、その時代の哲学や思想を規定するという考えは、そんなに荒唐無稽な話ではない。例えば、昔は女性の生殖器は男性のペニスが内側に引っ込んだものだと考えられていた*1。したがって、その頃には性は一元的なものとして認識されており(トマス・ラカーの「ワンセックス・モデル」)、それが人体の認識に影響を及ぼしていたと考えられる。

 ホッブズの政治哲学が当時の解剖生理学の水準を基礎としつつも、男性と女性の生物学的性差セクシュアリティに対してはあまり注意を払っていないように見えるのは、セックスに対するそのような一元的な認識があったからかもしれない。

 人間の発生を神の創造と関係なく説明するホッブズの議論は、従来あまり注目されてきませんでしたが、これは女性の問題を考える際には非常に重要な論点です。なぜなら女性差別の根本にある、神により女性は男性に従うよう創られ、また「原罪」後に神が女性の服従を命令したというキリスト教の教えをまったく意味のないものとしているからです。

 ホッブズの「自然状態」では、女性も男性も、自分ひとりで、他人と関係なしに生まれます。つまり完全に自由で、完全に平等なのです。そして、自分の生命を守ることを目的として生きていくとホッブズはいいます。それを彼は、「自己保存」とよびました。ホッブズは、人間社会の構成を考える時、一貫して人間が「生きる」という「自己保存」を目的として論じました。

(中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』集英社、2021年、63頁)

中村は、ホッブズのこうした男女平等の自然観から出発して、ホッブズの母権論に着目している。中村によれば、西欧の結婚観においては「庇護された妻の身分」という「カヴァチャー coverture」理論が支配的であったという。こうした男性優位の思想の源流は、古くはアリストテレスや『聖書』に見出され、マルティン・ルタージョン・ロックらの主張によって理論的に強化されていった。対してホッブズは、アリストテレスを批判し、その母権論によって男性と女性の同権性を主張した点で、社会思想史上、特異な位置を占めているのである。中村はそこにホッブズの先見性を見いだしている。

(つづく)

文献

*1:弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史』山川出版社、2021年、129〜133頁。

パワハラ対策としてのアジール

 かれこれ10年以上前になるが、「アジール」という言葉を私が知ったのは、網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー、1996年)を学生の頃に読んだときだった。アジール(Asyl)とは、概して「権力の及ばない圏域」を意味する。「権力 Gewalt」とはすなわち統治者のそれである。社会秩序のあるところには必ずと言っていいほど「権力」が存在する。網野善彦(1928-2004)は、アジールの機能を西欧の文脈から切り離して日本の中の「縁切り」や「神社」のうちに見出していた。

 仕事をしている間に、アジールという概念がふと出てきたのは、パワハラ対策として、逃げ場としての稼働場所を部下のために確保したときだった。「ここは『アジール』だ」と私は部下に伝えたが、いきなり「アジール」と言われても何のことかわからないだろう。私と同じレイヤーのパワハラ中間管理職から自身の部下を守るために、私が私の領分を確保したことを指して、其処を「アジール」と名付けたのだが、思わず「アジール』とは要するに『パワハラ』から逃れ得る場所を指示するだったのではないか」という考えが頭をもたげてきた。もちろん中世に「パワハラ」という言葉はないから、この考えが厳密には間違っている、と言われてしまえば、そうなのだが。

 しかし、このことは私にとって大きな発見であった。なぜなら、「アジール」と「パワハラ」という二つの概念を相互連関して考えたことなど一度もなかったからである。このアイデアは忘れぬうちに何としても書き残しておかねばなるまいと思い、PCを立ち上げてここに記すことにした。私は学生時代に網野善彦の『無縁・公界・楽』を漠然と読んだに過ぎなかったのだが、目的意識のない漠然とした読書経験が10年以上を経て蘇ることもあるという点も併せてここに記しておく。

ジャック・デリダ『弔鐘』覚書(6)

目次

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ジャック・デリダ『弔鐘』(承前)

(左)ヘーゲル

教育と署名との両立不可能性

 On ne sait pas encore s’il s’est laissé enseigner, signer, ensigner. Peut-être y a-t-il une incompatibilité, plus qu’une contradiction dialectique, entre l’enseignement et la signature, un magister et un signataire. Se laisser penser et se laisser signer, peut-être ces deux opérations ne peuvent-elles en aucun cas se recouper.

 〈Sa〉が教えられるにまかせたかどうか、署名されるにまかせたかどうか、教えられ署名されることで血を流したかどうかは、それは、まだ、知られていない。教育と署名、教師と署名者の間には、おそらく、弁証法的矛盾以上の両立不可能性がある。思考されるにまかせることと署名されるにまかせること、この二つの操作は、おそらく、どんな場合にも、けっして交差=一致することはありえない。

(Derrida1974: 7,鵜飼訳(1)249、247頁)

«enseigner, signer, ensigner»という三つの動詞は韻を踏んでいる。鵜飼訳では三つ目の«ensigner»が、その直前の«enseigner»(教える)と«signer»(署名する)のカバン語として訳出されているが、«ensign»は例えばBlue EnsignやRed Ensignのように「旗章」をも意味する。

 デリダがここで述べているのは、〈Sa〉(=絶対知)における「署名」との両立不可能性という問題であるが、これはデリダが自身の問題関心に引きつけているのである。デリダはすでに「署名 出来事 コンテクスト」(signature événement contexte, 1971)の中で「署名」について次のように述べていた。

Les effets de signature sont la chose la plus courante du monde. Mais la condition de possibilité de ces effets est simultanément, encore une fois, la condition de leur impossibilité, de l’impossibilité de leur rigoureuse pureté. Pour fonctionner, c’est-à-dire pour être lisible, une signature doit avoir une forme répétable, itérable, imitable; elle doit pouvoir se détacher de l’intention présente et singulière de sa production. C’est sa mêmeté qui, altérant son identité et sa singularité, en divise le sceau.

署名の諸効果はこの世でもっともありふれたものだ。だがその効果の可能性の条件は同時にまたもやその不可能性の条件、つまりその厳密な不純さの不可能性の条件でもある。署名が機能するためには、言い換えればそれが読解可能であるためには、反復可能な、繰り返し可能な、模倣可能な形式をもつものでなければならない。すなわち署名はそれが産出される際の現前的かつ単独的な意図から解き放たれうるのでなければならない。署名の同一性と単独性を変質させることによって署名の封印を破り割るのは、ほかでもない署名のもつ同じものという性質メムテ〔=同性〕なのである。

(Derrida1972: 391-392,藤本訳265〜266頁)

ここではさしあたり紛らわしい「同一性 identité」「単独性 singularité」「同性 mêmeté」という三つの言葉について整理しておく必要があるだろう。

 テクストの著者がジャック・デリダ本人のものとして認識されるためには、その作品に「ジャック・デリダ」という固有名が署名される必要がある。しかし、死後出版であったり、本名を隠して出版されたりした場合には、署名がなされない場合もあろう。その際に、編者が著者の名前を後から付したとすれば、その人の著作として認識されうる。例えばスピノザの『エチカ』は、スピノザの死後に出版されたが、それゆえスピノザの署名はなく、B. D. S.(彼の名前の頭文字の略)しか記載されていなかった。だが、今では我々は『エチカ』をスピノザのそれとして認識している。署名の「同一性 identité」は、このような著者とテクストとの同一性を意味している。

 「署名 出来事 コンテクスト」の末尾にデリダは自身の署名の筆跡画像を付している。どうしてこれが筆跡画像なのかといえば、そこには彼独自の書き方の癖という特徴が表現されているからである。筆跡には個人の癖が反映されており、手で描くにせよ口で描くにせよ、足で描くにせよ、その人においてのみその筆跡は再現可能である、ということによって、署名の「単独性(特異性) singularité」が担保されている。

 しかしながら、署名の「単独性」という個人の癖が反映された筆跡は模倣可能であるし、反復されうる。このような署名の反復可能性のことをデリダは「同性 mêmeté」と呼んでいる。こうした議論は「複製可能時代の芸術作品」(ベンヤミン)と軌を一にしているかもしれない。すなわち、署名がその人のものであることを示す必要があるのに、署名それ自体は模倣可能で複製可能であることによって、それが使用される機会はもはや単独のものではなくなるのである。したがって、署名の効果は厳密に見れば矛盾していることになる。

(右)ジュネ欄

残余としての僅かなもの

 A peu près.

 わずかを除いて。

(Derrida1974: 7,鵜飼訳(1)246頁)

この箇所は、英訳では“Almost”(Derrida1986: 1)と訳されているが、直訳すると「僅かなもの peu」「〜を除外して à ~ près」という意味である。デリダの「残余の思考」からすれば、一般的には「除外」されがちなこの「僅かなもの peu」に着目することこそが重要なのではなかろうか。

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