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マルクス『資本論』覚書(23)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

「ある物」の分析

(1)ドイツ語初版

 ある物は,〈交換価値〉でなくとも,〈使用価値〉でありうる.それは,人間にとってのその物の存在(Dasein)が,労働をつうじて媒介されていない場合である.たとえば空気や処女地や自然の草原や野生の樹木などがそれである.ある物は,〈商品〉ではなくても,有用であり人間労働の生産物であることがありうる.自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる人は,〈使用価値〉はつくるが,〈商品〉はつくらない.商品を生産するためには,彼は使用価値を生産するだけではなく,〈他人のための使用価値社会的使用価値〉を生産しなければならない.最後に,どんな物も,使用対象であることなしには,〈価値〉ではありえない.物が無用であれば,それに含まれている労働もまた無用であり,労働のなかにはいらず,したがって価値をも形成しないのである.

(Marx1867: 6-7,『資本論①』81〜82頁)

(2)ドイツ語第二版

 ある物は,価値ではなくても,使用価値であることがありうる.それは,人間にとってのその物の効用が労働によって媒介されていない場合である.たとえば空気や処女地や自然の草原や野生の樹木などがそれである.ある物は,商品ではなくても,有用であり人間労働の生産物であることがありうる.自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる人は,使用価値はつくるが,商品はつくらない.商品を生産するためには,彼は使用価値を生産するだけではなく,他人のための使用価値,社会的使用価値を生産しなければならない.最後に,どんな物も,使用対象であることなしには,価値ではありえない.物が無用であれば,それに含まれている労働も無用であり,労働のなかにはいらず,したがって価値をも形成しないのである.

(Marx1872a: 15-16,『資本論①』81〜82頁)

(3)フランス語版

 ある物は,価値ではなくても,使用価値であることがありうる.それには,その物が人間の労働によって生まれることなしに人間にとって有用であることだけで十分である.たとえば空気や自然の草原や処女地などがそうである.ある物は,商品ではなくても,有用であり人間労働の生産物であることがありうる.自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる人は,個人的な使用価値を造るだけである.商品を生産するためには,彼は使用価値を生産するだけではなく,他人のための使用価値,社会的使用価値を生産しなければならない.最後に,どんな物も,それが有用なものでない限り,価値ではありえない.物が無用であれば,それに含まれている労働も無駄に費やされ,したがって価値を造らない.

(Marx1872b: 15-16)

(4)ドイツ語第三版

 ある物は,価値ではなくても,使用価値であることがありうる.それは,人間にとってのその物の効用が労働によって媒介されていない場合である.たとえば空気や処女地や自然の草原や野生の樹木などがそれである.ある物は,商品ではなくても,有用であり人間労働の生産物であることがありうる.自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる人は,使用価値はつくるが,商品はつくらない.商品を生産するためには,彼は使用価値を生産するだけではなく,他人のための使用価値,社会的使用価値を生産しなければならない.最後に,どんな物も,使用対象であることなしには,価値ではありえない.物が無用であれば,それに含まれている労働も無用であり,労働のなかにはいらず,したがって価値をも形成しないのである.

(Marx1883: 7-8,『資本論①』81〜82頁)

ここでマルクスは,「ある物」の「あり方 Dasein」を主に三つの側面から考察している.

  1. 〈交換価値〉或いは「労働による媒介」の欠如:《ある物は,(交換)価値ではなくとも,使用価値であることがありうる》.なぜなら,その物が持つ「人間にとっての効用 Nutzen für den Menschen」がその物を「使用価値」たらしめる*1のであるが,ある物が「交換価値」を持つのはその物が「労働によって媒介されて durch Arbeit vermittelt」いる場合に限定されるからである.したがって,ある物にまだ労働が投下されておらず,なおかつ,その物が自然のあり方のままで使用価値を持っている場合には,《ある物は(交換)価値であることなしに使用価値であることが可能である》.この例としてマルクスは「空気や処女地や自然の草原や野生の樹木など」を挙げている.
  2. 〈商品〉の欠如:《ある物は,商品ではなくとも,有用であり人間労働の生産物であることがありうる》.人間的労働には,大きく分けて二種類ある.一つは〈自分自身の欲望を満足させる〉という意味で「有用な」人間的労働であり,もう一つは〈他者の欲望を満足させる〉という意味で「有用な」人間的労働である.その物が〈商品〉として存在するためには,その物が「他人のための使用価値,すなわち社会的使用価値」を備えている必要がある,とマルクスはいう.つまり,この「他人のための使用価値,すなわち社会的使用価値」を形成するのは,確かに「労働」ではあるが,もっというとそれは「社会的分業」としての人間的労働に他ならない.
  3. 〈使用価値〉の欠如:《どんな物も,使用対象であることなしには,価値ではありえない》.労働によって生まれた産物が「無用 nutzlose」である場合がそうである.われわれが「価値のないガラクタ」と呼ぶものが凡そこれに当てはまるであろう.

以上三点でもってマルクスは「交換価値」と「商品」と「使用価値」とがそれぞれ厳密には異なる概念であることを示している。それを「商品」として考察するならば,一つには「使用価値」から見た「商品」と,もう一つには「交換価値」から見た「商品」という二面性を持っている.だが,それを「ある物」として考察してみれば,それは「交換価値」と「商品」と「使用価値」という三つの側面から分析できることがわかる.『資本論』第一章第一節を通じて示されたのは,まさにこの点である.

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文献

*1:「ある物がもっている人間的生活のための有用性は,その物を使用価値にする.」(Marx1867: 2,『資本論①』73頁).拙稿「マルクス『資本論』覚書(6)」参照.