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マルクス『資本論』覚書(6)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

「使用価値」と「商品体」

(1)ドイツ語版『資本論』初版

 ある一つの物の有用性は、人間的生活にとって、その物を使用価値にする⁴。つまりわれわれは有用物、すなわち鉄、小麦、ダイヤモンドなどという商品体を、使用価値、財、品物と呼ぶ。使用価値の考察にさいしては、つねに、一ダースの時計とか一エレのリンネルとか一トンの鉄とかいうようなその量的な規定性が前提される。いろいろな商品のいろいろな使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する⁵。使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。使用価値は、富の社会的形態〔社会的形式〕がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態〔社会形式〕にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている——交換価値の。

(Marx1867: 2)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

 ある一つの物の有用性は、その物を使用価値にする⁴。しかし、この有用性は空中に浮いているのではない。この有用性は、商品体の諸属性に制約されているので、商品体なしには存在しない。それゆえ、鉄や小麦やダイヤモンドなどという商品体そのものが、使用価値または財なのである。商品体のこのような性格は、その使用属性の取得が人間に費やさせる労働の多少にはかかわりがない。使用価値の考察にさいしては、つねに、一ダースの時計とか一エレのリンネルとか一トンの鉄とかいうようなその量的な規定性が前提される。いろいろな商品のいろいろな使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する⁵。使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。使用価値は、富の社会的形態〔社会的形式〕がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態〔社会形式〕にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている——交換価値の。

(Marx1872a: 10-11, 訳73頁, 下線引用者)

(3)フランス語版『資本論

(Marx1872b: 13-14)

このパラグラフは、マルクスによって第二版で加筆修正が加えてられていることがわかる。語の強調は第二版からは全く消えてしまっている。第二版で加筆修正された部分は下線で示しておいた。

 ここでようやく「使用価値」と「交換価値」が出てくる。が、これらの用語はマルクスの独創ではない。すでにアダム・スミスは二つの「価値」について次のように述べていた。

 価値という言葉には二つの異なった意味があること、すなわち、ある特定のものの効用をさす時と、ものを所有しているがゆえに生じる他財を購買する力をさす時がある、ということに注意しなければならない。前者を「使用価値」、後者を「交換価値」と呼ぶことができる。

(Smith1789: 42、訳63〜64頁)

 このパラグラフで説明されているのは主に「使用価値 Gebrauchswert; valeur d'usage 」についてであり、この点では第二版の方がより詳しくなっている。おそらくマルクス自身が「商品体 Waarenkörper; corps de la marchandise 」についてもう少し詳しく書かねばならないと考えたのであろう。「商品体」と聞くと何か変な印象を持つかもしれないが、「体 Körper 」はラテン語で言えば corpus であり、これは要するに〈商品とは物体として具象的な形を有している〉ということである。この物体性こそが「この有用性は、商品体の諸属性に制約されているので、商品体なしには存在しない」といわれる所以であり、そして同時に使用価値がそれに投下された労働の大小と関係がないといわれる所以である。

worth と value の語源学:ゲルマン語派とロマンス語

「使用価値」の直後に付された注4の中でマルクスは次のように述べている。

(1)ドイツ語版『資本論』初版

 「およそ物の自然的価値(natural worth)は、いろいろな欲望を満足させるとか人間生活の便宜に役だつとかいうその適性にある。」(ジョン・ロック『利子引き下げ……〔および貨幣価値引き上げ〕の結果の諸考察』、一六九一年、『著作集』、ロンドン、一七七七年版、第二巻、二八ページ。)十七世紀にはまだしばしばイギリスの著述家たちのあいだでは “Worth” を使用価値、 Value交換価値の意味に用いているのが見いだされるのであるが、それは、まったく、直接的な事物をゲルマン語〔ゲルマン語派〕で表現し反省された事物をロマン語〔ロマンス語派〕で表現することを好む国語の精神によるものである。

(Marx1867: 3)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

 「およそ物の自然的価値(natural worth)は、いろいろな欲望を満足させるとか人間生活の便宜に役だつとかいうその適性にある。」(ジョン・ロック『利子引き下げ……〔および貨幣価値引き上げ〕の結果の諸考察』、一六九一年、『著作集』、ロンドン、一七七七年版、第二巻、二八ページ。)十七世紀にはまだしばしばイギリスの著述家たちのあいだでは “Worth” を使用価値、 “Value” を交換価値の意味に用いているのが見いだされるのであるが、それは、まったく、直接的な事物をゲルマン語〔ゲルマン語派〕で表現し反省された事物をロマン語〔ロマンス語派〕で表現することを好む国語の精神によるものである。

(Marx1872a: 10, 訳73頁)

(3)フランス語版『資本論

(Marx 1872b: 14)

ここでマルクスが注目するのは、ジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)による「自然的価値 natural worth 」の用語法である。ロックのいう「自然的価値」はその内容から考察するに「使用価値」の意味で用いられている。参考までに、マルクスが参照した『ジョン・ロック著作集』第2巻から該当箇所を引用しておく*1

 1. およそ物の内在的な、自然的な価値は、いろいろな欲望を満足させるとか人間生活の便宜に役だつとかいうその適性にあるということ…

(Locke1777: 28)

マルクスはこのように哲学者ロックを代表例として挙げた上で、「十七世紀にはまだしばしばイギリスの著述家たちのあいだでは “Worth” を使用価値、 “Value” を交換価値の意味に用いている」と指摘する。「使用価値 Gebrauchswerth; valeur d'usage 」と「交換価値 Tauschwerth; valeur d'échange 」はどちらも「-価値 -werth, valeur 」という語を含んでいるが、英語では worth と value が区別して用いられているわけである。じっさい、 worth は「有用さ」を意味し、 value は「見積もる、評価する」ことを意味するので、worth と value をそれぞれ「使用価値」と「交換価値」として区別して用いるのは適切であるように思われる。

 ちなみにこの原注4の中で、マルクスは worth の例示をしただけで、 value の例示をしていないのだが、 value の例示はこの直後のパラグラフに付されている原注6において確認できるので、この点は問題ないであろう。

 それよりもここで問題となるのは、「直接的な事物」と「反省された事物」の区別、ゲルマン語派とロマンス語派の区別についてマルクスが述べていることを、われわれは一体どのように理解したら良いのだろうか、ということである。

 この点を理解すべく、以下でわれわれは worth と value の語源について探ってみたい*2

worth の語源

中英語 worth 又は wurth < 古英語 weorþ < ゲルマン祖語 *werþaz

worth - ウィクショナリー日本語版

 まず worth の語源(etymology)を辿ると、古くはインド・ヨーロッパ祖語(Proto‐Indo‐European, PIE)において *wert- (「向かって、転じて to turn」の意)という表記が再建され、これから派生したとされる前ゲルマン祖語(Pre-Proto-Germanic, Pre-PGmc)の *wértos が再建され、さらにこれから派生したゲルマン祖語(Proto-Germanic, PGmc)の *werþaz (形容詞「価値ある worthy, valuable 」の意)が再建されている。これが低地ドイツ語では weert (形容詞)や、ドイツ語では wert, Wert となったのである。一方、古英語(Old English, 450年ごろから1150年ごろまで)では weorþ となり、中英語(Middle English, 1066年から15世紀後半ごろまで)でようやく worth へと至った。

 次に value の語源を辿ると、古くは印欧祖語の *walh₂- (「強くある to be strong 」の意)という表記が再建され、これからラテン語valerevaleoの現在能動不定詞、「強くある、価値がある to be strong, be worth 」の意)となり、そこから古フランス語(ancien français, Old French)の valuevaloir の過去分詞の女性形)となり、中英語において valew, value へと至った。

 ラテン語の口語である俗ラテン語(sermo vulgaris, Vulgar Latin)に起源を持つ言語の総称をロマンス諸語(Linguae Romanicae, Romance languages)という*3。高橋英光によれば、

ラテン語とはインド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属し、最初はラチウム地方だけで話されていたがローマの発展とともにその国語としてヨーロッパとその周辺に広まった。紀元前1世紀には洗練された文章語をもつ古典ラテン語ができて中世、近世の学術語およびローマ教会の典礼用語としてヨーロッパ文化の中心的言語となった。一方で民衆が使うラテン語俗ラテン語(Vulgar Latin)と呼ばれ、それが地方色を帯びて分岐して今日のロマンス語諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語など)となった。

(高橋2020: 21)

 以上の点を踏まえると、マルクスは、ゲルマン語派をその語源とする worth のことを「直接的な事物をゲルマン語派で表現」したものだと述べ、ロマンス語派をその語源とする value のことを「反省された事物をロマンス語派で表現」したものだと述べたのだと考えられる。

 では「直接的な事物 unmitterbar Sache 」と「反省的な事物 reflektirte Sache 」を表現するにあたって、ゲルマン語派の言葉とロマンス語派の言葉を区別して用いるということは、一体何を意味するのだろうか。これは筆者の推測に過ぎないのだが、近代にはラテン語はもはや民衆の読める文字ではなくなっていたことを思い返すと、ゲルマン語派の言葉が粗野なイメージを抱かれ、ロマンス語派の言葉は自由学芸を修めた教養ある人々や聖職者が用いる観念的な言語というイメージを抱かれていたと言えないだろうか。そしてこのことをマルクスは「それは、まったく、直接的な事物〔目に見えるもの〕を〔粗野な〕ゲルマン語派で表現し・反省された事物〔観念的なことがら〕を〔洗練された〕ロマンス語派〔教養人の用いる言語〕で表現することを好む国語〔英語〕の精神によるものである」とアイロニックに述べたのではないだろうか。

「情報の非対称性」としての商品知識

 「商品学」*4の直後に付された注5で、マルクスは次のように述べている。

(1)ドイツ語版『資本論』初版

 市民ブルジョワ社会では、各人は商品の買い手として百科辞典的な商品知識をもっているという擬制〔fictio juris〕が一般的である。

(Marx1867: 2)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

 市民ブルジョワ社会では、各人は商品の買い手として百科辞典的な商品知識をもっているという擬制〔fictio juris〕が一般的である。

(Marx1872a: 10, 訳73頁)

(3)フランス語版『資本論

(Marx1872b: 14)

マルクスがここで暗に示しているのは、経済学のいわゆる「情報の非対称性 information asymmetry 」という考え方ではないかと私は思う。すなわち、売り手は商品知識を完全情報として持っているが、買い手はその商品を買った上で実際に使用してみなければその商品に関する知識を有していないはずである。しかしながら、買い手はあたかも商品について何でも知っているという前提で市民社会は動いている。だがしかし、これは「擬制」なのだとマルクスは喝破している*5

 もちろん「情報の非対称性」という考えの提唱は、ケネス・アロー(Kenneth Joseph Arrow, 1921-2017)の1963年の論文の功績として知られている(Arrow1963)。だが、萌芽としてこのことにすでにマルクスは気づいていたといえるのではないだろうか。

第二版から削除された文言「人間的生活にとって」

 このパラグラフの初版1行目「人間的生活にとって für das menschliche Leben 」という文言が、第二版からは削除されている。この文言は、「物の有用性」(物が有用であるということ)が「人間的生活にとって」であるのは自明であるから、削除されたのだろうか。それとも、直接的に「人間的生活にとって」のみならず、より広い範囲で間接的に生産にとっても「物の有用性」が通用するからであろうか。

 いずれにせよ「物の有用性」(物が有用であるということ)は、さしあたって人間による発見の契機を俟たねばならない。この契機を〈人間の、物に対する認識的な転換パラダイム・チェンジ〉と言っても良いだろう。この契機を経てようやく「ある一つの物の有用性は、その物を使用価値にする」のである。したがって、「物の有用性」ひいてはその「使用価値」は、人間の歴史と切っても切り離せないものである。「物の有用性」が「人間的生活にとって」であるのは自明であるから、マルクスはこの文言を第二版では削除したのかもしれない。

(つづく)

文献

*1:ロックのこの論文について詳しくは種瀬1951を参照されたい。

*2:以下の語源についてはウィクショナリーWiktionary)各国語版の記述を参考にした。

*3:「現在、ロマンス語とされるものには、国家単位として、フランス語(F)・スペイン語(S)・ポルトガル語(P)・イタリア語(I)・ルーマニア語(R)がある。これらのロマンス語は、各ロマンス語で多くの共通する点が見られるが、系統的には、イタリアにおけるラ・スペツィア=リミニ線(Linea La Spazia-Rimini)で示される北西と南東部分で二分し、北西に当たる北イタリア諸方言・フランス・スペイン・ポルトガルを西ロマンス語、南東に当たる中南イタリア諸方言・ルーマニアを東ロマンス語と大きく分けることが可能である。この西ロマンス語に属するフランス語語彙が、1066年のノルマン・コンクエスト(The Norman Conquest of England)を期に、古英語の中に大量に流入していくわけであるが、この流入したフランス語にはもともとゲルマン語起源とする語彙も含まれていることになる。」(上野2016: 17)。

*4:「商品学(Warenkunde)が一つの学問ないしは学科体系として商取引学体系から独立したのは、Johan Bukmannの商品学序論(Vorbereitung zur Warenkunde oder zur Kenntniss der Vornehmsten ausländischen Waren 1739年)をもってなすと考えられている。」(岩下1969: 929)。

*5:この箇所を石崎は次のように解釈している。「マルクスの記述は、市民社会の全構成員が商品知識をもっていること、さらに商品知識をもっていなければならないこと、さらに商品知識をもっていなければならないこと、しかしながら完全な商品知識をもちえなくなってしまっている現実、しかし商品知識をもっていると仮定しなければ売買契約という対等の立場での契約を結べないこと、したがって、実際には商品知識をもっていなくても、商品知識をもっていると法的にも認めざるをえないこと、その結果、商品を購買してしまった後には、基本的にはすべての責任が購買者に転化されてしまうという社会が市民社会であるということを示している。」(石崎1981: 792)。現代社会においては「すべての責任が購買者に転化されてしまう」ことはなく、商品に欠陥があることが認められた場合に製造元・販売元によって回収される制度として「リコール Recall 」があり、一定の条件のもとで契約を撤回することができるいわゆる「クーリングオフ」などの制度がある。そしてマルクスは「すべての責任が購買者に転化されてしまう」ことまで述べていないように思われる。