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マルクス『資本論』覚書(5)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

「物」はいかにして「有用」たり得るか

(1)ドイツ語版『資本論』初版

おのおのの有用物、鉄、紙、等々は、二重の観点から、すなわちの面との面から、考察される。このような物は、それぞれ、多くの属性の全体であり、したがって、いろいろな面から見て有用でありうる。これらのいろいろな面と、したがってまた物のさまざまな使用方法とを発見することは、歴史的な行為である³。有用な物のを計るための社会的な尺度を見いだすことも、そうである。いろいろな商品尺度の相違は、あるものは計られる対象の性質の相違から生じ、あるものは慣習から生ずる。

(Marx1867: 1-2)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

おのおのの有用物、鉄、紙、等々は、二重の観点から、すなわち質の面と量の面から、考察される。このような物は、それぞれ、多くの属性の全体であり、したがって、いろいろな面から見て有用でありうる。これらのいろいろな面と、したがってまた物のさまざまな使用方法とを発見することは、歴史的な行為である³。有用な物の量を計るための社会的な尺度を見いだすことも、そうである。いろいろな商品尺度の相違は、あるものは計られる対象の性質の相違から生じ、あるものは慣習から生ずる。

(Marx1872a: 10, 訳72頁)

(3)フランス語版『資本論

(Marx1872b: 13)

このパラグラフは初版も第二版も同一の文章であるが、初版のみ「質 Qualität 」「量 Quantität 」「尺度 Masse 」が隔字体で強調されており、この強調は第二版からは消されてしまっている。

 「有用物」が〈質〉と〈量〉の二側面から考察されるというのは、ごく普通の考察の仕方であるように思われる。というのも、〈質〉と〈量〉から考察する仕方は、ヘーゲル『論理の学』以前にもあったであろうと思われるからである。

 それよりもここで「物 Ding」が「有用な nützliche 」と形容されていることに注目したい。つまり主語は単なる「或る物」ではなく、「有用な物」なのである。何をもって「物」は「有用」たり得るのだろうか。

 ちなみに第二版から消されてしまった初版の強調箇所は、原注3においても見られる。マルクスは「歴史的な行為 geschichtliche That 」のすぐ後に次のような注をつけている。

(1)ドイツ語版『資本論』初版

「諸物は、一つの内的な効力〔intrinsick v e r t u e〕」(これはバーボンにあっては使用価値を意味する独自な表現である)「をもっている。すなわち、諸物はどこにあっても同じ効力をもっている。たとえば磁石が鉄をひきつけるというようにである。」(同前、六ページ)鉄をひきつけるという磁石の属性は、それを手がかりとして磁極が発見されたとき、はじめて有用になったのである。

(Marx1867: 2)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

「諸物は、一つの内的な効力〔intrinsick vertue〕」(これはバーボンにあっては使用価値を意味する独自な表現である)「をもっている。すなわち、諸物はどこにあっても同じ効力をもっている。たとえば磁石が鉄をひきつけるというようにである。」(同前、六ページ)鉄をひきつけるという磁石の属性は、それを手がかりとして磁極が発見されたとき、はじめて有用になったのである。

(Marx1872a: 10, 訳72頁)

(3)フランス語版『資本論

(Marx1872b: 13)

ここで重要性を帯びているのは「発見すること entdecken 」である。マルクスの例に従うと、磁極の発見*1は一つの「歴史的な行為」である。この「歴史的な行為」とは、少し大袈裟な言い方をするならば、科学史上における第一発見のような偉業を成し遂げた時に与えられるようなものである。

 それにしても「鉄をひきつけるという磁石の属性は、それを手がかりとして磁極が発見されたとき、はじめて有用になった」というのは奇妙である。磁石は、「鉄をひきつける」という磁石の属性だけで、つねにすでに「有用」ではないのだろうか。しかし、マルクスによればそうではなく、「それを手がかりとして磁極が発見されたとき、はじめて有用になった」というのである。これではマルクスが磁石の属性それ自体としてはアン・ジッヒ「有用」とはみなしていないことになる。

 この一文はおそらく次のように解釈できる。

 まず、古代以前に人間が未だ「鉄をひきつける」という磁石の属性を認識していない時代が想定される。この時代において磁石は本来的に「鉄をひきつける」というその属性を有している。磁石の属性は、人間によるその属性の認識とは何らの関係もない。その上で、あるとき人間は磁石が「鉄をひきつける」という属性を持っていることを発見することになる。この時点においてはじめて先のマルクスの一文の解釈が二分される。というのも、「鉄をひきつける」という磁石の属性を人間が初めて発見したときのことを、マルクスが磁極の発見と同一視しているのか、それともそうでないか、という点で解釈が二分されるからである。

磁石の属性と磁極の発見についての科学史

 この点をより詳しく理解するために、以下では磁石の属性と磁極の発見に至るまでの科学史を簡単に振り返っておきたい。

 まず「鉄をひきつける」という磁石の属性については、すでに紀元前600年ごろの古代ギリシャより知られていたことが確認できる。山本義隆によれば、

古代ギリシャエーゲ海世界において、知られているかぎりで最初に磁石に言及したのは、商業と海運で栄えたイオニアの港町ミレトスのタレス(紀元前六二四ー五四六)と言われている。

(山本2003: 17)

また山本充義と山口芳弘によれば、

西のギリシャでは自然科学の祖と言われる哲学者ターレス(BC600年ごろ)が琥珀や磁石の吸引力はその中に霊魂が存在するのではないかと考えた。東の中国では琥珀は容易に得られなかったが、摩擦電気が起こりやすい絹織物は3,000年以上前の殷時代に盛んに織られ、また玳瑁(海亀の甲羅、鼈甲)や宝石が宝飾品として使われていた。これらを通じ、古代人は日常の生活の中で、静電気現象を薄々ながらも知ることになる。

(山本・川口2009: 754)

このように古代より「鉄をひきつける」という磁石の属性については認識されていたことが確認できるが、磁極の発見——マルクスのいう「歴史的な行為」——については、ペトロス・ペレグリヌス(Petrus Peregrinus de Maricourt)の『磁気書簡』(Epistola de magnete, 1269)の登場まで俟たねばならなかった*2。ミッチェルによると、

ペレグリヌスは、磁石には二つの極があることを初めて解明した人物なのだ。そして、磁石は引き合うだけでなく、反発し合うということに初めて気づいた研究者の一人である。

(ミッチェル2019: 52)

磁石には二つの力がある。それは〈引き合う力〉と〈反発し合う力〉である。磁極の発見と同時に〈反発し合う力〉という磁石のもう一つの属性が発見されたのは偶然ではない。磁石はN極とS極を持ち、異なる極(N極とS極)同士は引き合うが、同じ極(N極とN極、S極とS極)同士は反発し合うという性質を持つ。二極のこのような性質ゆえに磁極の発見と反発力の発見が同時であるのは必然的であった。

 だが、ペレグリヌスは磁極が天界にあると考えていたので、このとき磁極が地上にあるとはまだ考えられていなかった。地磁気という考えは、ウィリアム・ギルバート(William Gilbert, 1544-1603)の『磁石論』(De Magnete, 1600)においてようやく確認される。ミッチェル曰く、

ペレグリヌスが三〇〇年ほど前に、磁石の「生来の本能」について書き、それが不変の性質だということを暗に示したのに対して、ギルバートは、地球自体にその基本的な力があり、さらにその力が地球の中心と分かちがたく結びついているとしたのである。

(ミッチェル2019: 69)

以上のような科学史を踏まえると——マルクス自身このような科学史を認識していたかどうかは分からないが——少なくともペレグリヌスによる磁極の発見以降を、それ以前の「鉄をひきつける」という磁石の属性が認識されていた時代と区別することには、一定の妥当性が認められる。ペレグリヌスによる磁極の発見までは、磁石のもう一つの属性である反発力については知られていなかったのだが、マルクスは反発力については適切にも言及していない。以上の点から考察するに、「鉄をひきつけるという磁石の属性は、それを手がかりとして磁極が発見されたとき、はじめて有用になった」というマルクスの一文は、科学史に照らし合わせても概ね通用するものであるといえる。その上で、さらに究明されるべき事柄は「はじめて有用になった」ということの内実であろう。

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マルクスによるバーボン批判:諸物に内在する「効力 Vertue 」と使用価値

 もともとバーボンは『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』の中で次のように述べていた。

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 しかし諸物は、一つの内的な効力をそれ自身のうちにもっている。すなわち、諸物はどこにあっても同じ効力をもっている。たとえば磁石が鉄をひきつけるというようにである…

(Barbon1696: 6)*3

「内的な効力」と訳されている Intrinsick Vertue は古英語の表記なので、現代的な表記だと intrinsic virtue である。ここでは Intrinsick Vertue は諸物のうちにそれぞれ内在する固有の力能のことをバーボンが比喩的に表現しているように思われる。

 バーボンは「鉄を引きつける」という磁石の属性それ自体を「有用」だと考え、それゆえバーボンは磁石の属性を「使用価値」と混同した、とマルクスは見做している。マルクスはこうした混同を斥けるためにバーボンから引用したのだと考えるのが適切であろう*4

 ちなみにマルクスは『資本論』初版では原注3の verture と Gebrauchswert を強調していたが、第二版ではこの強調はなくなっている。

資本論』初版における強調(隔字体)の意義

 以上の読解作業を通じて、『資本論』初版には第二版から消されてしまった強調(隔字体)があることを確認してきた。

 初版の強調に着目することによって、マルクスの熱量や息づかいが伝わってくるように思われる。第二版では叙述が修正されているとはいえ、消去されてしまった初版の強調をもとにマルクスの議論の力点がどこにあったのかを押さえていくこともまた実に興味深い読解作業ではないだろうか。

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文献

*1:この点について詳しくは山本2003ミッチェル2019をみよ。

*2:ペレグリヌス『磁気書簡』が「はじめて印刷されたのは一五五八年のアウグスブルクであるが、それ以前には手写本でもって回覧されていた」(山本2003: 270)という。Peregrinus1558をみよ。

*3:マルクスの引用には「それ自身のうちに in themselves 」がない。

*4:ここでマルクスが引用しているのはニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究。ロック氏の諸考察に答えて』(ロンドン、1696年)である。バーボンの原文は京都大学貴重資料デジタルアーカイブから確認できる(Barbon1696)。マルクスはバーボンからの引用箇所を16ページとしているが、実際は6ページである。MEWKarl Marx Friedlich Engels Werke, Bd.23, Berlin)や新MEGA(Karl Marx Friedlich Engels Gesamtausgabe, Ⅱ/6, Berlin)等ではこの誤植が訂正されている。邦訳では正しく6ページと表記されている。