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マルクス『資本論』覚書(18)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

社会的必要労働時間の量によって規定される価値の大きさ

(1)ドイツ語初版

 それゆえ,その価値の大きさを規定するものは,ただ,社会的必要労働の量,すなわちある使用価値の産出のための社会的必要労働時間だけである.個別の商品は,ここではおよそ,その種の平均的見本とみなされる¹⁰.そのため,等しい大きさの労働量が含まれている諸商品,または同じ労働時間で産出されることができる諸商品は,同じ価値の大きさを持っている.一商品の価値が他の各商品の価値に対する相関関係は,一方の〔商品の〕生産に必要な労働時間が他方の〔商品の〕生産に必要な労働時間に対する相関関係と同様である.「価値としては,すべての商品は,凝固した労働時間の特定のかたまりに過ぎない」¹¹.

(Marx1867: 5)

(2)ドイツ語第二版

 それゆえ,その価値の大きさを規定するものは,ただ,社会的必要労働の量,すなわちある使用価値の産出のための社会的必要労働時間だけである⁹.個別の商品は,ここではおよそ,その種の平均的見本とみなされる¹⁰.そのため,等しい大きさの労働量が含まれている諸商品,または同じ労働時間で産出されることができる諸商品は,同じ価値の大きさを持っている.一商品の価値が他の各商品の価値に対する相関関係は,一方の〔商品の〕生産に必要な労働時間が他方の〔商品の〕生産に必要な労働時間に対する相関関係と同様である.「価値としては,すべての商品は,凝固した労働時間の特定のかたまりに過ぎない」¹¹.

(Marx1872a: 14)

(3)フランス語版

 それゆえ,価値の量を規定するものは,ただ,労働のquantum),すなわち,ある所与の社会において,ある品物の生産に必要な労働の量だけである¹.どの個別の商品もおよそ,その種の平均的見本とみなされる.したがって,等しい労働量が含まれている諸商品,または同じ時間で生産されることができる諸商品は,等しい価値を持つのである.一商品の価値は他のいかなる商品の価値に対しては,一方の〔商品の〕生産に必要な労働時間が他方の〔商品の〕生産に必要な労働時間に対するのと,同じ相関関係にある.

(Marx1872b: 15)

(4)ドイツ語第三版

 それゆえ,その価値の大きさを規定するものは,ただ,社会的必要労働の量,すなわちある使用価値の産出のための社会的必要労働時間だけである⁹.個別の商品は,ここではおよそ,その種の平均的見本とみなされる¹⁰.そのため,等しい大きさの労働量が含まれている諸商品,または同じ労働時間で産出されることができる諸商品は,同じ価値の大きさを持っている.一商品の価値が他の各商品の価値に対する相関関係は,一方の〔商品の〕生産に必要な労働時間が他方の〔商品の〕生産に必要な労働時間に対する相関関係と同様である.「価値としては,すべての商品は,凝固した労働時間の特定のかたまりに過ぎない」¹¹.

(Marx1883: 6,『資本論①』79頁)

このパラグラフでは最初に「社会的必要労働の量 das Quantum gesellschaftlich nothwendiger Arbeit」(ドイツ語初版),「労働の le quantum de travail」(フランス語版)という箇所が強調されている.他方でマルクスは「価値の大きさ Werthgrösse」という言い方もマルクスはしている.岡崎次郎訳では,"Quantum"も"Grösse"もどちらも「量」と訳されているが,注意深く読むと,マルクスは「社会的必要労働」に対しては"Grösse"ではなく"Qutantum"を用い,「価値」に対しては"Quantum"ではなく"Grösse"を用いている.つまり日本語では同じ「量」と言っても,マルクスは"Quantum"と"Grösse"とを明確に使い分けているのである.

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