目次
はじめに
以下ではニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究:ロック氏の貨幣の価値の引き上げについての考察に答えて』(Nicholas Barbon, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London, 1696. 以下の画像は京都大学貴重資料デジタルアーカイブ, 京都大学法学研究科所蔵, 2018年より部分的に切り出し)の翻訳を試みる。
(Barbon1696(京都大学法学研究科所蔵), 京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)
マルクスは『資本論』の注の中でバーボンのこの著作から何度か引用している。またケインズやシュンペーターのような経済学者たちもバーボンから影響を受けたとされる。この点で、バーボンの著作は経済学史において重要な役割を果たしているといえるが、これまで邦訳は『交易論』(東京大学出版会、1966年)のみ出版されている。
訳者はドイツ語やフランス語、ラテン語など、いくつかの言語を学んできたが、それはもともと英語が苦手だったからである。中学から高校にかけて勉強をサボり、大学受験を期に一念発起して独学しただけの英語力に過ぎない。大学から大学院までの間にも英語で十分な指導を受けた試しがない。それゆえ、下に訳出する翻訳は、訳者がドイツ語やラテン語の学習を経由して得た、素人のそれであることをあらかじめ断っておく。
この度、翻訳にあたってはGoogle翻訳とDeepL翻訳を大いに活用している。まず訳者が下訳を作り、それから原文をGoogle翻訳とDeepL翻訳にかけて比較対照し、文法的に読みやすい訳文へと総合した。これらの機械翻訳はまだまだ完璧とはいえない。Google翻訳は対応言語が多いが、訳文の完成度は十分とは決して言えない。たほうDeepL翻訳は対応言語がGoogleのそれと比較すると少ないが、深層学習のおかげで訳文がこなれていることがある。いずれにせよ、「三人寄れば文殊の知恵」の諺通り、一人で訳文を推敲するよりは機械翻訳の訳文を参考にした方が時間的にも効率的である。仕事の休憩の合間にでも翻訳を進めてみたいと思う。
追記
画像(Barbon1696)の利用にあたっては、令和2年12月9日付で訳者である私が京都大学法学部に「特別利用願」を申請し、令和3年2月1日付で山本敬三(京都大学大学院法学研究科長、敬称略)による承認の下、「特別利用許可」を頂戴した。書類申請の際にはメールにて京都大学法学部図書室の辰野さんのお世話になった。申請に携わっていただいた皆様に、あらためて感謝の意をここに記す。(訳者)
ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』
富、および諸事物の価値について
ロック氏の著作における貨幣の価値の引き上げに対する議論はすべて、〈銀貨には内在的価値があり、それは共通の同意が置かれた価格や評価額であり、それが他のあらゆる諸事物の価値の尺度となっている〉という、この単純な仮定から導出されている。もしそれが真実ではなかったとしたら、彼の帰結はすべて誤りであるに違いない。
(Barbon1696: 1)
本書のサブタイトルにあるように、この著作はバーボン(1640-1698)の同時代人であるジョン・ロック(1632-1704)の著作の議論を受けたものである*1。
そして、彼がそう述べていることを証明するためには、富〔RICHES〕一般について論じ、諸事物の価値がどのように生じるかを示す必要があるだろう。
(Barbon1696: 2)
「富 RICHES 」がここでのキーワードである。アダム・スミス『国富論』*2の邦訳書では、 Wealth には「富」、Opulence には「富裕」が訳語として採用されている(スミス2020)。 Wealth と Riches の違いについて、沖公祐は次のように述べている。
スミスが富を示すのに用いた wealth は、 well (善い)が名詞化したものであり、元々は善いものという抽象的な意味の言葉である。つまり、ウェルスは富の遠回しな言い方なのである。富を指すより直接的な英語としては riches があり、重商主義者たちはむしろこちらの方を好んだ。富を表すドイツ語は Reichtum 、フランス語は richesse であるが、いずれも wealth ではなく、 riches に対応する言葉である。
(沖2019: 46)
「富 Riches 」という語が出てきた場合、我々は重商主義の議論を想起しなければならないであろう。そのさい、バーボンはどのように位置付けられるのだろうか。
〈富〉とは、大いなる価値の属するようなありとあらゆる諸事物のことである。
〈価値〉とは、諸事物の価格と理解されねばならない。すなわち、売れるものにはそれだけの値打ちがある。古い格言によれば、〔どんな物も〕〈売却されるだけの価値がある〉〔Valet quantum vendi potest〕。
あらゆる諸事物の価値は、その諸事物の使用〔Use〕から生じる。
何らの使用も属さない諸事物には、何らの価値も属することがない。英語のフレーズにあるように、〈それらは何の役にも立たない〉〔They are good for nothing〕。
(Barbon1696: 2)
バーボンは「富 Reiches 」を「大いなる価値の属するようなありとあらゆる諸事物」として理解している。こうした理解と比べて、ホッブズが「富」を「力」として概念把握していたことはやはり注目に値する。
"Valet quantum vendi potest."というラテン語について文法的に整理しておこう。
- valet:「〜の価値がある」という意味をもつ"valeo"の直接法・三人称単数・現在。
- quantum:「どれぐらいの」という意味を持つ"quantus"の中性・単数・対格。
- vendi:「売る、売却する」と言う意味を持つ"vendo"の不定法・受動態・現在。
- potest:「〜できる」という意味を持つ"possum"の直接法・三人称単数・現在。
文献
- Barbon, Nicholas, 1696, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London.(京都大学貴重資料アーカイブ, 京都大学法学研究科所蔵, 2018年)
- Locke, John, 1692, Some Considerations of the Consequences of the Lowering of Interest, and Raising the Value of Money, London.
- Locke, John 1695, Further considerations concerning raising the value of money. Wherein mr. Lowndes's arguments for it in his late report concerning an essay for the amendment of the silver coins, are particularly examined, 第 3 巻, London.
- Smith, Adam, 1776a, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Vol.Ⅰ, Dublin.
- Smith, Adam, 1776b, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Vol.Ⅱ, Dublin.
- Smith, Adam, 1776c, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Vol.Ⅲ, Dublin.
- Smith, Adam, 1789a, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Vol.Ⅰ, the fifth edition, Dublin.
- Smith, Adam, 1789b, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Vol.Ⅱ, the fifth edition, Dublin.
- Smith, Adam, 1789c, An Inquiry Into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, Vol.Ⅲ, the fifth edition, Dublin.
- スミス, アダム 2020『国富論(上)』高哲男訳, 講談社.
- ロック, ジョン 1978『利子・貨幣論』田中正司訳, 東京大学出版会.
- 沖公祐 2019『「富」なき時代の資本主義 マルクス『資本論』を読み直す』現代書館.