目次
ヘーゲル『精神現象学』(承前)
序文(承前)
実体を喪失した自己自身内反省
自己意識的な精神はそのようなあり方を超えて、精神がその実体を喪失した自己自身内反省という他方の極へといってしまっただけではなく、この反省をも超えていってしまっている。
(Hegel1807: Ⅷ,樫山訳(上)22頁、熊野訳(上)19頁、訳は改めた)
先に見た実体的生の直接態がいわば一方の極として念頭に置かれた上で、ここではそれに対する「他方の極 das andere Extrem」として「精神がその実体を喪失した自己自身内反省 substanzlosen Reflexion seiner in sich selbst」という契機が出てくる。ここで「実体を喪失した substanzlosen」と言われているのは、直前の内容を踏まえるならば、「信仰」の崩壊や、或いは「実在とその一般的現在、つまり内的かつ外的現在との宥和で以って意識が有していた確信の満足と安寧」の崩壊を意味しうる。これは、神無き時代の近代哲学の登場を意味しうる。
さて、ヘーゲルによれば、自己意識的精神は、⑴実体的生の直接態という契機と⑵実体を喪失した反省という契機のいずれをも超えてしまっていることになるが、その先に待っているのはどのようなあり方であろうか。