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ヘーゲル『法の哲学』覚書:「家族」篇(2)

目次

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ヘーゲル『法の哲学』(承前)

第三部「人倫」第一章「家族」(承前)

家族の解体と市民社会への移行の見通し

 第159節

 家族の統一を基盤として,個人に属している法,そしてさしあたりこの統一それ自身における個人の生命となっているが,規定された個別性という抽象的な契機としての法の形式に入ってゆくのは,家族が解体に移行し,家族の成員として存在するはずの者たちが,その志操においても現実性においても自立した人格として成長し,彼らが家族のなかで一定の契機としてかたちづくったものを,いまや分割されたあり方で,それゆえもっぱら外的な側面(資産,養育費,教育費など)に応じて受け取るかぎりにおいてである.

(Hegel1820: 166-167,上妻ほか訳(下)34〜35頁)

この箇所では,家族から市民社会への移行が念頭に置かれている.つまり,前節(第158節)が「家族」章の導入であり「家族」の概要であったとすれば,本節(第159節)は,「家族」から「市民社会」への移行の道筋を先取りして示しているのである.このように先の議論への道筋を示すという叙述を,ヘーゲルは『精神現象学』でもしばしば行っている.

 家族の「分肢 Glieder」というあり方は,市民社会における「自立した人格 selbständige Personen」とは異なっている.「家族の統一 Familien⹀Einheit」は,家族成員(子どもたち)の成長によって「解体 Auflösung」へと至る.

 世俗の結婚披露宴では神父による「永遠の愛を誓いますか」という問いかけがあるが,ヘーゲルは「婚姻」において永遠の愛を喧伝することはない.ヘーゲルのいう「家族 Familie」とは,子育てを目的とし,その目的を達成してしまえば即解散してしまうようなプロジェクトチームであり,そして父親(家長)はいわばそのプロジェクトマネージャー(PM)である.「婚姻」という子育てというプロジェクトのうちには,永遠の愛どころかむしろ家族の「解体」つまり離婚の契機が含まれているのである.

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