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日本ヘーゲル学会編『ヘーゲル哲学研究 第29号 2023』(現代思潮新社、2023年)
発売されたばかりの最新の『ヘーゲル哲学研究』を読む。今回から出版社が「こぶし書房」から「現代思潮新社」に変更になっているが、調べてみたところ両者は同じ住所の(実質的に同じ)会社であった。
加藤尚武「科学と哲学の断絶」
まず加藤尚武「科学と哲学の断絶」が異色である。「カント哲学と非ユークリッド幾何学」と呼べるような内容だが、「言えそうで(分かっていても)表向きなかなか言えないこと」を書いていると思う。(ちなみにヘーゲルの名前は一切登場しない。)
科学論としてはカント以降の哲学はすべて無効である。哲学は、過去の成果をすべてゼロとみなして、現代の自然科学と数学を学ぶことから出直さなくてはならない。
(本書25頁)
「科学論としては」と留保付きではあるが、非ユークリッド幾何学によるパラダイム・チェンジでもって、加藤はカント以前/以後の区別を実質的に導入している。だが、幾何学を受容し自身の哲学に導入した哲学者としては、カント以前にもホッブズやスピノザなどが浮かぶ。非ユークリッド幾何学の発見以降に位置する我々は、ホッブズやスピノザを再読する際に最新の知見を踏まえておく必要があるだろう。この点に関しては、筆者も拙稿「スピノザ『エチカ』覚書(1)」でも少しだけ触れたことがあるし、そういう試みとして、拙稿「〈哲学〉と〈数学〉の関係を考える」を書いたりもした。
真田美沙「ヤコービ哲学における学的証明とその労働に関する批判についての考察——ヘーゲルのヤコービ批判の再検証のために——」
次に真田美沙さん(大河内ゼミの先輩)のヤコービ論文を読む。ヘーゲルの目を迂回しないでヤコービそのものに着目することは重要である。ヤコービの直接知は再読される必要がある。なぜなら、学問的な手順を踏んで媒介を経た証明よりも、直接知の方が結果として振り返ってみれば正しかったということもあり得るからである。幾何学的な証明と推論が導くのは常に暫定的な帰結に過ぎない(我々はそれを「学問的 wissenschaftlich」と理解している)。
…スピノザ哲学がかならずしも幾何学の精神として一括りにできるものではないとヤコービが理解するのは、スピノザ自身が神への直接的な知的愛を支持しているからだろう。
(本書122頁)
「幾何学的秩序」を掲げたスピノザの『エチカ』でさえも、命題の内容はそれほど「幾何学」を思わせるところがない。「幾何学的」といっても、その内容が「幾何学的」なのではなくて、むしろスピノザ自身の直接知というか神的直観に基づいて記述していった命題の一つ一つを「幾何学的秩序」の装いのもとに並べていった「だけ」なのではないか。実際、スピノザの「幾何学的秩序」という方式は、ヘーゲルの体系的な叙述様式に影響を与えこそすれ、哲学にブレイクスルーをもたらすまでには至らなかった。そう考えると、内 容 的 に は 、「幾何学的秩序」よりも直接知の方に軍配があがることになる。しかもスピノザの「証明」はまるで証明の体をなしていない。スピノザが「公理から明白」だと抜かすことができるのは、実在的世界のいびつな事柄の99%を捨象することによってである。しかしそのいびつな事柄こそが、哲学がほんらい愛すべき考察の対象なのではなかろうか。
最後に、岡崎佑香さんの論文「ヘーゲルの性差論」と、岡崎龍さんの博論(ドイツ語)が第16回ヘーゲル学会研究奨励賞を授賞されたことを本書で知った。お二人には一橋大学大学院社会学研究科時代に大河内ゼミでお世話になった。授賞おめでとうございます。