まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヘーゲル『法の哲学』覚書(1)

目次

はじめに

 本稿ではヘーゲル『法の哲学 自然法と国家学の要綱』(上妻精・佐藤康邦・山田忠彰訳,岩波書店)を読む*1

 まず最初に,訳者の一人である佐藤康邦(1944-2018)の言葉を紹介しておきたい.

当たり前のことながら,翻訳するということになれば,『法の哲学』から自分に興味のある箇所を引き出して論文を書けば良いというのとは違い,ヘーゲルの書いたテキスト全部に付き合わなければならないということになる.それが,すでに,『法の哲学』に対する接近法として独特のことともなる.たとえば,普段敬遠して余り省みなかった「抽象法」の部分の翻訳にも付き合わされるということになる(特にローマ法の部分など並大抵の苦労ではない).しかしその結果,改めて,『法の哲学』全体を通じてのヘーゲルの一貫した姿勢というものを思い知らされたということもある.それが,『法の哲学』が,顕在的に法によって規制されている関係としても,暗黙の諒解のうちに形成された関係としても,「人倫的」秩序というものがすべて人間の意志によって支えられているということを基本前提としているということである.このことは極く当たり前のことであるにもかかわらず,「抽象法」を翻訳するなかで新鮮なものとして再確認されたということなのである.

佐藤2004:70〜71)

佐藤の翻訳上の苦労には共感するところがある.本稿では基本的にパラグラフを飛ばさずに読み進めることにしているが,このような読解作業は実は大変な苦労が伴っている.最初から読み進めていけば当然どこかで理解できないパラグラフにぶつかってしまうことになるからである.途中の理解できたところだけを取り上げて繋ぎ合わせて論文にするのとは別の難しさがある.

 ヘーゲル法哲学研究で取り扱われるのが最も多いのは間違いなく「人倫 Die Sittlichkeit 」であろう.これに対して「抽象法 Das abstracte Recht 」は最も人気のない研究対象と言っても過言ではない.だが「道徳」や「人倫」の展開を支えるものは,これらに先行する「緒論」や「抽象法」の議論なのである.その限りで,こうした先行部門の重要性は(それが取り扱われる数の少なさに反比例して)いささかも揺らぐことがない.

ヘーゲル自然法と国家学の要綱/法の哲学の綱要』

 本書には二つの表題が存在する.「自然法と国家学の要綱」(Naturrecht und Staatswissenschaft im Grundrisse)と「法の哲学の綱要」(Grundlinien der Philosophie des Rechts)である.

自然法と国家学の要綱」

 本書は大学の「法の哲学の講義の手引き」(Hegel1820: ⅲ,上妻ほか訳(上)11頁)として出版されたという経緯がある.「自然法と国家学 Naturrecht und Staatswissenschaft 」はその当初の講義名を指している.ただし,「自然法」といっても「自然 Naturgesetz 」ではない.より精確には「自然 Naturrecht 」と訳されるべきである*2

 表題紙では「自然権」よりも「国家学」の方がフォントが大きくなっている.このことは,本書において「自然権」よりも「国家学」こそが重要な地位を占めていることを表現していると言えるかもしれない.実際,本書は長らく「国家哲学」(マルクス)の書として読まれ続けてきたという経緯がある.

 本書は一般的に『法の哲学』(Philosophie des Rechts)と呼ばれているが,ヘーゲル自身は本書を「要綱 Grundriss 」と呼んでいる.本来は「自然法と国家学の要綱」(Naturrecht und Staatswissenschaft im Grundrisse)が本書の主題で,「法の哲学の綱要」(Grundlinien der Philosophie des Rechts)は副題なのかもしれない.

「法の哲学の綱要」

 いわゆる「法哲学」は英語でPhilosophy of Lawというが,本書は「法律の哲学」ではない*3.むしろ正しくは「権利の哲学」として理解されねばならない(ノックス).

 ドイツ語の Recht は多義語である.それゆえ Recht はよく「法・権利・正義」などと並べて訳されることがあるが,本書の中では「権利 Recht 」と「法律 Gesetz 」と「正義 Gerechtigkeit 」*4とは明確に区別されている.ちなみに日本語の「権利」の「利」には「利益」という意味が含まれるが,ドイツ語の Recht には「利益」に該当する意味が含まれていないので,日本語の語感に引っ張られて解釈しないよう注意されたい*5

 表題の「綱要 Grundlinien 」はほとんどの場合省略されて,ただ単に『法の哲学』(Philosophie des Rechts)と呼ばれることが多い.複数形の Grundlinien は「大綱,大すじ」という意味であるから,先の「要綱 Grundrisse 」と意味上は大差がない*6.ちなみに,両者に共通する"Grund-"には「土台,基礎的な,根本的な」という意味がある.

 「要綱 Grundrisse 」であれ「綱要 Grundlinien 」であれ,本書で述べられている事柄はあくまで基本となる大まかな粗筋である.したがって,ヘーゲルが本書でこの社会のありとあらゆるすべての事柄を語り尽くしているわけではないという点には留意されたい.

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:ヘーゲル法哲学の関連図書については拙稿「ヘーゲル『法の哲学』の関連図書」を参照されたい.

*2:「権利」と「法」とを明確に区別することに関しては,ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679)以来の伝統がある.「この主題についてかたる人びとは,権利と法 Jus and Lex, Right and Law を混同するのが常であるが,しかし,両者は区別されなければならない」(Hobbes1651: 64,水田訳(I)216〜217頁).この点について詳しくは拙稿「ホッブズの権利論——自然権と自由」を参照されたい.

*3:「実はヘーゲルのこの著作は『Philosophie des Rechts』という.直訳すれば『権利の哲学』である.その著作が『法の哲学』と訳されてきた.ところが,この「Rechts」は「法律」という意味ではない.「法律」はドイツ語では「Gesetz」と言う.英訳者ノックスは,これを"Philosophy of Right"と訳して"Philosophy of Law"ではないという説明をしている.」(加藤2007:423).

*4:ヘーゲルの「正義」については,拙稿「ヘーゲルの「正義」論」および「ヘーゲル『法の哲学』における「正義」の用例集」を参照されたい.

*5:「権利」という翻訳語の問題点については,拙稿「「権利」という翻訳語」を参照されたい.

*6:「要綱 Grundriss 」と「概要 Compendium 」の違いについては拙稿「ヘーゲル『法の哲学』覚書(3)」を参照されたい.