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ヘーゲル『法の哲学』覚書(3)

目次

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ヘーゲル『法の哲学』(承前)

序言(承前)

「注解」の役割について

しかし,この要綱が出版され,それにともない広範な公衆の眼に触れることになるということを機縁に,筆者と類似の考え方やちがった考え方,それらの考え方のさらなる帰結等について,講義でならそれ相応の説明が加えられるという理由から,当初は簡単な記述で示唆するにとどめるつもりであった注解が,本書では,しばしばより大規模なものになってしまった.それというのも,本文のかなり抽象的な内容をそのつどはっきりさせ,そして身近な,また誰でも思いつく当世風の考えにいっそう広範な顧慮を払うことが目ざされたからである.こうして,概論の目的やスタイルが一般に具える以上に詳細な注解が数多く生まれることになった.

Hegel1820: ⅲ-ⅳ,上妻ほか訳(上)11〜12頁)

本文から字下げ(インデント)されている箇所が諸々の「注解 Anmerkungen 」である.「要綱 Grundriss 」にはしばしば本文とは不釣り合いなぐらい長い「注解」が見いだされる.ヘーゲルは「注解」で思いのほか筆が滑ってしまったのかもしれない.そうして長く施された「注解」は,従来の「概論 Compendium 」のスタイルを逸脱することとなったとヘーゲルはいう.

 本文は基本的に短く簡潔に述べられているが,短く簡潔に叙述されているからといってその文意を理解することが容易なわけではない.むしろ文章の短さに反比例して理解することが困難になることもあるだろう.そして注解を読んだら本文がわかりやすくなるかといえばそうでもない. 『精神現象学』でも述べられていた通り,わかりにくいものはわかりにくいのである.

「要綱」と「概論」の違い

 ここで注意しなければならないのは,ヘーゲルが「要綱 Grundriss 」と「概論 Compendium 」とを明確に区別している点である.ヘーゲルは本書を「要綱 Grundriss 」と呼ぶことはあっても,決して「概論 Compendium 」と呼ぶことはない.両者の違いは一体どこにあるのだろうか.ヘーゲルは「概論 Compendium 」について次のように述べている.

だが,本来,概論というものは,すでにでき上がったものとみなされる学問領域を対象とするのであり,この概論に固有のことは,ところどころにみられる小さな補足を除けば,その形式がすでにでき上がった規則や手法をもつのと同様,すでに承認され,熟知されている内容の本質的な諸契機を連関づけ,秩序づけることにほかならない.しかし,哲学的な要綱については,そもそもこうしたやり方は期待されてはいない.というのも,哲学がもたらすものは,毎日はじめからやり直されるペーネロペーの織物にも似て,一晩の徹夜ですべてをなし遂げる仕事のように考えられているからである.

Hegel1820: ⅳ,上妻ほか訳(上)12頁)

「概論 Compendium 」と「要綱 Grundriss 」との大きな違いは,「概論 Compendium 」が既存の学問領域を対象とするのに対して,とりわけ哲学的な「要綱 Grundriss 」は,すでに決まった学問領域とはみなされていないような,もっと生々しい思索の営みであることのうちにある.

 この点は,ヘーゲル哲学の体系性について誤解されてきたこともあって非常に重要だと思われる.というのも,ヘーゲルの「要綱 Grundriss 」は,しばしば「概論 Compendium 」——「その形式がすでにでき上がった規則や手法をもつのと同様,すでに承認され,熟知されている内容の本質的な諸契機を連関づけ,秩序づける」もの——と取り違えられてしまっているように思われるからである.

 「要綱 Grundriss 」が「概論 Comendium 」ではないということによって目を向けなければならないのは,ヘーゲルが Grundriss という語によって意図した事柄である.ドイツ語の Grundriss には,「概要,概説」という意味のほかに,建築図面における「平面図,見取り図」という意味がある.ヘーゲルは『エンツュクロペディー』や『法の哲学』において,まさしく「見取り図 Grundriss 」を示そうとしているのである.

 ちなみに18世紀頃から確認される Grundriss の用法は,それ以前にラテン語で Sciagraphia と表記されていたものに該当するだろう.その過渡期の一例として,バウムガルテン『哲学的百科事典の素描』(Baumgarten, Sciagraphia Encyclopaediae Philosophicae, 1769)を挙げておく.ラテン語の Sciagraphia の語源は,ギリシア語の σκιαγραφία (「素描スケッチ」の意)である.三浦和男による「基本スケッチ Grundriss 」という『法の哲学』の邦題は,この点まで意味を遡及的に汲み取っていると思われる.

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