まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヘーゲルと医学——解剖学・有機体・病理学(1)

目次

「自分自身が医者であり、しかも、きわめて思索的な医者でもあるケネー氏は、政治体についても同じ種類の理解を心に思い浮かべ、それは、一定の厳密な養生法——完全な自由と完全な正義という厳格な養生法——の下でのみ、成功してうまくいくと想像したように思われる。」(アダム・スミス国富論』高哲男訳(下)273頁)

はじめに

 「ヘーゲルと医学」というタイトルで語るべきことは何であろうか。「ヘーゲルと医学」というタイトルを冠した論文がこれまでになかったとしても、間接的にはそのような内容は扱われてきた。それは主に有機体論との関係においてである。このテーマに関しては最近発表された大河内泰樹「正常な異常性:ヘーゲル有機体論における死に至る病(Taiju Okochi, „Normale Abnormität. Die Krankheit zum Tode in Hegels Lehre über den Organismus“, 2022)が最も注目に値する。

 ヘーゲルシェリングの医学思想(坂井1996)、とりわけその有機体論の発想を受け継いで、自らの社会思想に生かしている(『法の哲学』)。この点については加藤尚武(加藤2007)や長島隆(長島1999-2001)の論考でも触れられていよう。

ヘーゲルと医学

 「ヘーゲルと医学」というテーマで直截的に語ることが難しいのは、ヘーゲル学者が基本的には文献学者であって、実践的な医学者ではないことに起因するであろう。

 医学にはどのような専門分野が存在するであろうか。さしあたり基礎医学について瞥見しておこう。

  • 解剖学
    • マクロ解剖学
    • ミクロ解剖学(細胞生物学・組織学)
  • 生理学
    • 神経生理学
    • 器官生理学
  • 環境生理学・体力医学
  • 生化学・栄養学
  • 薬理学
  • 病理学
    • 人体病理学・診断病理学
    • 実験病理学・分子病理学
  • 微生物学
    • 細菌学
    • ウイルス学
    • 真菌学
  • 寄生虫学・医動物学
  • 免疫学
  • 実験動物学
  • 放射線生物学
  • 医用工学
  • 音声言語医学
  • 腫瘍学
  • 遺伝学
  • 神経科
  • 分子生物学生命科学・細胞生物学

また社会医学には次のような専門分野がある。

  • 衛生・公衆衛生・保健学
    • 衛生・公衆衛生・保健学一般
    • 疫学・予防医学・検診医学
    • 環境医学
    • 産業保健・労働衛生
    • 学校保健
    • 医療制度・医療経済
    • 社会保障社会福祉
    • 病院管理・病院経営
    • 国際保健・国際医療協力
  • 法医学
  • 医療法学
  • 医学・医療情報学
  • 医学統計学・理論医学
  • 医学・医療倫理学

さらに臨床医学には次のような専門分野がある。

医学の専門分野があまりに多岐にわたるため、一部の小カテゴリーは省略させてもらった。

 わざわざこれほど多くの専門分野を羅列したことには二つの理由がある。およそ医学の全体像を俯瞰するのに丁度良いという理由と、ヘーゲルの哲学が医学のどの専門分野と関わり得るのかということを考えるためである。例えば、公衆衛生の分野は、ヘーゲル『法の哲学』におけるポリツァイ論と関連するかもしれない。その他の専門分野は、『エンツュクロペディー』の自然哲学の中で一部触れるところがあるかもしれない。

ヘーゲルと解剖学

 さて、上記のような医学カテゴリーの羅列というのは、ヘーゲルに言わせれば「哲学的」ではないであろう。特に解剖学のそれは、ヘーゲルが『精神現象学』の「序文」で批判していることで知られている。

 しかしながら、ヘーゲルの読み手である我々は、例えば解剖学の何たるかを十分に知っているだろうか。へーゲリアンが安易にヘーゲルの思想に身を委ねて、有機体論を是とし、解剖学を退ける立場を取っているというのではない。単純に現代の医学の水準に知識をアップデートしていないのに、ヘーゲルが医療に関する比喩を使用しながら、その含意を批判的に捉えることがそもそも可能であろうか。

 坂井建生『図説 人体イメージの変遷』(岩波書店、2014年)という本がある。この本を紐解くと、古代から近代にかけて、解剖図の描写の変遷が垣間見える。その描写は近代になるにつれ、きめ細かい表現になっていく。

ホッブズと解剖生理学

 人体をどのように捉えるのか、ということは、それぞれの時代の制約を受けている。ルソーも『社会契約論』で国家を論ずるにあたって、人体の比喩を用いたし、その前にはホッブズが『リヴァイアサン』で人体の機構を機械論的に論じた上でコモンウェルスについて論じている。したがって、社会思想史の観点からみても、解剖生理学と政治的国家論とは切ってもきれない関係にあると言える。ただ問題なのは、ホッブズやルソー、そしてヘーゲルの読み手である現代の我々が、そこまで医学に通暁していないことによって、その思想を適切に評価することが難しくなっているのではないかということである。

 その時代の解剖生理学の水準が、その時代の哲学や思想を規定するという考えは、そんなに荒唐無稽な話ではない。例えば、昔は女性の生殖器は男性のペニスが内側に引っ込んだものだと考えられていた*1。したがって、その頃には性は一元的なものとして認識されており(トマス・ラカーの「ワンセックス・モデル」)、それが人体の認識に影響を及ぼしていたと考えられる。

 ホッブズの政治哲学が当時の解剖生理学の水準を基礎としつつも、男性と女性の生物学的性差セクシュアリティに対してはあまり注意を払っていないように見えるのは、セックスに対するそのような一元的な認識があったからかもしれない。

 人間の発生を神の創造と関係なく説明するホッブズの議論は、従来あまり注目されてきませんでしたが、これは女性の問題を考える際には非常に重要な論点です。なぜなら女性差別の根本にある、神により女性は男性に従うよう創られ、また「原罪」後に神が女性の服従を命令したというキリスト教の教えをまったく意味のないものとしているからです。

 ホッブズの「自然状態」では、女性も男性も、自分ひとりで、他人と関係なしに生まれます。つまり完全に自由で、完全に平等なのです。そして、自分の生命を守ることを目的として生きていくとホッブズはいいます。それを彼は、「自己保存」とよびました。ホッブズは、人間社会の構成を考える時、一貫して人間が「生きる」という「自己保存」を目的として論じました。

(中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』集英社、2021年、63頁)

中村は、ホッブズのこうした男女平等の自然観から出発して、ホッブズの母権論に着目している。中村によれば、西欧の結婚観においては「庇護された妻の身分」という「カヴァチャー coverture」理論が支配的であったという。こうした男性優位の思想の源流は、古くはアリストテレスや『聖書』に見出され、マルティン・ルタージョン・ロックらの主張によって理論的に強化されていった。対してホッブズは、アリストテレスを批判し、その母権論によって男性と女性の同権性を主張した点で、社会思想史上、特異な位置を占めているのである。中村はそこにホッブズの先見性を見いだしている。

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文献

*1:弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史』山川出版社、2021年、129〜133頁。