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スピノザ『エチカ』覚書(1)

目次

はじめに

 本稿では、スピノザ『エチカ』(畠中尚志訳、岩波文庫)の読解を試みたいと思う。

スピノザの『エチカ』

 スピノザ(1632-1677)の『エチカ』は、彼の生前に出版することが叶わず、1677年に彼の『遺稿集』に収められて出版された。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ef/Spinoza_Ethica.jpg

Spinoza 1677. 遺稿集に収められた『エチカ』の表紙)

この「エチカ」という語を畠中尚志は「倫理学」と訳している。「倫理学」といえば通常「道徳哲学 moral philosopy 」が観念されるのではないだろうか。だが、はたしてスピノザの「エチカ」は「倫理学」で良いのだろうか。「倫理学」と訳したからといって、本書では道徳や規範についてほとんど書かれていないように見える。もしかするとスピノザはその透徹なまなざしで事象を捉え記述したことによって、「倫理学」の意味そのものを刷新してしまったのかもしれない。だとするならば、スピノザの「エチカ」はいかなる意味で「倫理学」なのだろうか。この点について江川隆男は次のように述べている。

『エチカ』に結晶化されたスピノザの哲学は、アリストテレス以来の〈形而上学メタ・フィジック〉などではけっしてない。人は、スピノザの哲学に「形而上学」の思考を想定すべきではない。それは、むしろまったくの - 形而上学としての自然学フィジック〉ではないのか。そして、それは、同様に〈道徳学モラル〉などではけっしてない。というのも、それは、むしろ - 道徳主義としての倫理学エチカ〉だからである。こうした意味での〈自然学〉と〈倫理学〉との完全な融合が、まさに『エチカ』の思考の根本をなしている。言い換えると、スピノザは、哲学を形而上学と道徳主義から解放したのである。

(江川 2019:4)

つまり、「哲学」といえば通常「形而上学」が観念され、「倫理学」といえば通常「道徳学」が観念されるが、そのどちらの路線もスピノザは退けたものとして『エチカ』を提示したというのである。これはスピノザ『エチカ』の位置付けについての非常に魅力的な解釈である。少なくともスピノザの「エチカ」が、従来の意味でのそれとは異なっていることがわかる。

幾何学的秩序に従って論証された」

幾何学的秩序に従って論証された

    エ  チ  カ

Spinoza 1677、訳35頁)

この表紙には「幾何学的秩序に従って論証された/エチカ」とある。この「幾何学的秩序」とは一体何であろうか。

 すでに本文を読んだことのある読者ならご承知と思うが、「定義」から始まって、「公理」そして「定理」とその「証明」へと進んでいく叙述様式のことを、スピノザは「幾何学的秩序に従って論証された」とする。このような叙述様式は、哲学書あるいは思想書においては非常にユニークであり、同じことだがこの点がスピノザスピノザたらしめているといっても過言ではない。

スピノザ以前のユークリッド幾何学の哲学者への影響——ホッブズの場合

 ちなみに、ホッブズ(1588-1678)は欧州を旅して、最新の科学に触れ、ユークリッド幾何学に影響を受けたおかげで、晩年あの三部作を書き残したと言われている。

 ウィリアムの突然の死によってキャヴェンディッシュ家を一時離れることになったホッブズは、近隣の貴族クリフトン卿に請われてその子息の「グランド・ツアー」に同行し、一六二九年から三〇年にかけてフランスとスイスを廻る。「幾何学との恋に落ちた」というJ・オーブリーによる『名士列伝』の言葉であまりにも有名な、エウクレイデスの『原論』との出会いは、この二度目の大陸旅行のおり、ジュネーヴに滞在中のことであったと言われている。

 さる紳士の邸宅の図書室で、開いて置かれてあったその書物にたまたま目を留めると、その個所は第一巻の定理四七、すなわち有名な「ピュタゴラスの定理」の証明であった。ホッブズは定理を読み、当初それが真理かどうかを人間が知ることは不可能であると思ったという。ところが、証明を読み、さらには先立つ諸定理から最初の諸原理(定義)にまで遡ってみたとき、彼はその真理性をついに確信せざるをえなかった。明確な定義から出発して、真理(定理)を演繹的に論証していく幾何学の方法は、ホッブズがそれまで慣れ親しんできた、多彩なレトリックを駆使して読み手(あるいは聴き手)を説得していく「人文主義」の手法とは、まったく異質なものであった。

 もちろん幾何学やエウクレイデスやピュタゴラスの定理について、彼がこのときまで何も知らなかった、とは考えにくい。ただ、幾何学的方法の真の意義に初めて気づいた、ということは十分ありうるだろう。大学で学んだスコラ哲学にも、最初にイタリア訪問で出会った人文主義にもなかった、議論の余地のない確実な「学知」(scientia; science)を獲得する「方法」の実例が、そこには示されていたのである。

(伊豆藏 2007:66〜67)

とはいえ、ホッブズスピノザユークリッド幾何学に影響を受けながらも、両者の叙述の仕方は大きく異なっている。

スピノザ幾何学的秩序

 そもそもスピノザユークリッド幾何学とどのようにして出会ったのだろうか。この点については残念ながら、スピノザのいわゆる「破門」以後の資料が乏しいとされ、伝記的資料を読んでいても判然としない。が、どうやらスピノザ幾何学的秩序に関心を持ち始めたのは『神・人間そして人間の幸福に関する短論文』(生前未刊行)を書いた頃のようである。

スピノザが『短論文』を印刷しなかった理由の一つは、おそらく、彼がその表現形式に不満であったという点にある。彼はこのころすでに、定義・公理・定理をもとに命題を証明する(そして証明された命題は定理に追加される)という幾何学的秩序に関心をもち始めていた。彼は四つの命題を幾何学的に証明し、それを『短論文』の付録とする。幾何学的秩序を実地に試してみたのである。これ以後スピノザは、『短論文』を内容的に練り上げるとともに、新たな中身を幾何学的秩序のもとで表現するという作業に着手する。彼は、まとまった原稿ができるたびに、それをアムステルダムの「スピノザ・サークル」に送り始める。まさしくこの原稿が、後年の『エティカ』の最初期の草稿にほかならない。

(松田 2007:398)

その後スピノザは、「スピノザ・サークル」の友人たちの期待に応え、デカルト哲学を幾何学的に再構成した『デカルトの哲学原理』を1663年に出版している。

 ではスピノザは何故、その叙述様式に幾何学的秩序を採用したのだろうか。やはりデカルト哲学の影響だったのだろうか。この点については正確なことは言えないが、少なくともスピノザがその叙述様式に幾何学的秩序を採用したことによって、本来の幾何学的秩序の形式とスピノザの『エチカ』における叙述様式との間に相違があることが明らかにされてきた。

たしかに、スピノザ幾何学的秩序を採った主要な理由は、『省察』付録「第二答弁」においてデカルトが言うように、それが説得法——「同意を奪取する」方法——として有効であるという点にあったのであろう。しかしながら、われわれが『エティカ』を読解するためには、「実体」「属性」「様態」「神」といった基本用語をスピノザが線形的かつ構文論的にいかに並べ替えて諸命題を紡ぎ出しているかを考察しても実際問題として不毛なのである。そのような数学的潔癖さを求めるなら、われわれは数学者・論理学者としてのライプニッツが『エティカ』について再三記したのと同じ批判を繰り返さねばならないであろう。「『エティカ』において彼〔スピノザ〕は、かならずしもつねに、みずからの諸命題を十分に説明しているわけではない。私はこの点に判然と気づいている。論証の厳密さから逸脱したために、彼はときとして誤謬推理を犯しているのである」。また「たしかにスピノザは論証についてたいして熟達しているわけではない」。

(松田 2007:415〜416)

松田によれば、「公理体系で書かれているかぎりは、後続する諸命題が先行する諸命題から積み上げ式に、かつ、構文論的(形式論理的)に導出されねばならない」(414頁)が、「『エティカ』における実際の「論証」はそのような線形的かつ構文論的な秩序では書かれていない」(同前)という。したがって、スピノザは、『エチカ』の外観とは異なって、幾何学的秩序にはそれほど厳密には習熟していなかったものとみなされている。工藤喜作は、幾何学的秩序についてのスピノザユークリッドの相違点について次のように述べている。

エチカに於いて示された幾何学的方法とは、論証の綜合的な方法であって、ユークリッドをそのモデルにしたものであった。しかしそれはすでに指摘した如く外面的なものに止まり、その内面にいたらなかった。彼はユークリッドからその哲学を説明するため多くの例を借用したとは云え、その方法の基礎たる定義に於いて、またその根源の認識たる直観知に於いてユークリッドとは異なるものがあった。彼に於いて精神に真に関係する幾何学的秩序は、 imaginatio を援用してでなく、精神それ自身から生ずる純粋な知的な秩序である。斯かるものは最早ユークリッドには見当らない。直観知や定義に於けるデカルトの影響を考慮するならば、デカルトがその「方法序説」第二部に於いて示した方法の四つの規則、或いはレグラエに於いて詳細に論じた広義の幾何学的方法が、スピノザ幾何学的な方法でもあったことは疑い得ないところである。

(工藤 1959:33)

実際にスピノザ幾何学的方法による論証がどのようなものなのかについては、これから本文とともに次第に検討していきたいと思う。

幾何学の発展——ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学

 そもそも「幾何学」とは何だろうか。これはもともと古代ギリシャ語のγεωμετρία、すなわち「土地(γη, geo- )」を「測量すること(μετρεω, metron) 」の謂である。

 ユークリッド幾何学と呼ばれるものは、アレクサンドリアのエウクレイデス(Εὐκλείδης)の編纂したいわゆる『原論』(Στοιχεῖα)に収められている。点や線、直線などの「定義」から出発し、「公準(要請)」、「公理(共通概念)」へと進む。

 このユークリッド幾何学はすでに数多くの批判にさらされてきた。平行線公準が成立しないことから非ユークリッド幾何学が生まれた。ユークリッド幾何学はいわば「平面上の幾何学」だが、非ユークリッド幾何学はいわば「曲面上の幾何学」である。ヒルベルトの『幾何学基礎論』も欠かせない。

 いまスピノザの『エチカ』を読むということは、こうした幾何学の発展も無視できないものと考える。はたして、スピノザのいう「幾何学的秩序」とは、いかなる意味で「幾何学的」だというのだろうか。というのも、ユークリッド幾何学の先に非ユークリッド幾何学が成立したように、ユークリッド=平面「幾何学的秩序に従って論証された」スピノザの『エチカ』の先には、もしかすると非ユークリッド=曲面「幾何学的秩序に従って論証された」非スピノザ的エチカもまた成立するかもしれないからである。

本書の部門構成

 さて、『エチカ』の目次は次のように掲げられている。

五部に分たれ、その内容左〔以下〕の通り

第一部 について

第二部 精神の本性および起源について

第三部 感情の起源および本性について

第四部 人間の隷属あるいは感情の力について

第五部 知性の能力あるいは人間の自由について

(訳35頁、強調引用者)

今回この表紙の目次を見て改めて気づいたことがある。 畠中訳にはない強調を入れてみたのは、ラテン語原文で大文字で書かれた部分である。このような強調がスピノザの手によって指示されたものなのかはわからない。だが、この強調を見れば、それぞれの部門がどこに重点を置いているのかが多少なりとも看取できよう。

 「第二部 精神の本性および起源について」では、「本性」が先で「起源」が後に書かれている。他方で、「第三部 感情の起源および本性について」では、「起源」が先で「本性」が後に来ている。第二部と第三部で「本性」と「起源」の順番が逆になっているのはどういうことなのか。

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