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〈哲学〉と〈数学〉の関係を考える

目次

はじめに

 〈数学〉の発展がその時代の〈哲学〉に与えた影響は決して少なくない。かの偉大な哲学者プラトンは、算術・幾何学天文学などの科目を事前に修めることを、自身の創設したアカデメイアに入門して哲学するための条件として課した。〈哲学〉は、その黎明期からつねにすでに、〈数学〉を自らの前提としていたのである。デカルトライプニッツの名を挙げるまでもなく、〈哲学〉は〈数学〉の発展とともに歩んできた。本稿では、〈哲学〉と〈数学〉の関係を歴史的かつ内在的に明らかにしていきたいと思う。

思考実験その一:〈哲学〉と〈数学〉の四則演算

 〈数学〉は数を取り扱い、その計算は四則演算(+/−/×/÷)を基礎とする。では、〈哲学〉と〈数学〉の関係は、四則演算によって示すことができるだろうか。この点について、以下に思考実験を行ってみよう。

思考実験その1

(1)哲学+数学=α

(2)哲学−数学=β

(3)哲学×数学=γ

(4)哲学÷数学=δ

上記の計算式はあくまで思考実験であり、これらの計算式が成立するのかどうか明らかではない。

 第一に、〈哲学〉および〈数学〉の内実が明らかにされない限り、上の計算式を解くことはできない。しかし、〈哲学〉とは何か、〈数学〉とは何か、といった事柄は、一意に規定されうるものではない。フーコーが〈エピステーメー〉という言葉で表現したように、〈哲学〉や〈数学〉のような〈学問〉、すなわち人間の〈知〉のあり方は、時代精神とともに変化する。なぜなら、それは、これまでの歴史および社会の変容の中で営まれてきた思想の総体だからである。

 第二に、〈哲学〉と〈数学〉が相互に四則演算可能な学問領域であるならば、両者は同じ範疇に統一され得る。なぜなら、相違なる範疇の概念を相互に四則演算することは不可能であるからだ。四則演算は〈数学〉のという学問領野の中に包摂されてはいるが、そもそも〈数学〉の領域それ自体に四則演算を適用することは可能であろうか。〈哲学〉と〈数学〉を計算式に代入することは、いわゆる「カテゴリーミステイク」ではないのか。それとも自己言及的に可能であろうか。こうした考え方はアリストテレスの学問論に根ざしており、アリストテレス主義と呼ばれる。デカルトが「普遍数学」を構想するまでは、アリストテレス主義が学問の主流だったのである。したがって、〈哲学〉と〈数学〉の関係を考えるにあたって取り上げられるべきはデカルトである。

思考実験その二:等式の変形

 ちなみに、上記の「思考実験その一」の方程式を変形すると、以下のように示される。

思考実験その二

(1)哲学=α−数学

(2)哲学=β+数学

(3)哲学=γ÷数学

(4)哲学=δ×数学

「α/β/γ/δ」によって、〈哲学〉と〈数学〉の関係が示されている。上の「α/β/γ/δ」には一体何が入るだろうか?ここで一つ想像力を働かせてみよう。

(例)

(1)哲学A=自然科学−数学

(2)哲学B=人文学+数学

(3)哲学C=神学÷数学

(4)哲学D=法学×数学

「思考実験その二」の「α/β/γ/δ」に、それぞれ〈自然科学〉〈人文学〉〈神学〉〈法学〉を入れてみた。これによって四つの〈哲学〉(哲学A/B/C/D)の可能性が出てきた。これだけでもすでに〈哲学〉の多様性が示されていることがわかる。

〈哲学〉の条件としての〈数学〉

 冒頭でも言及したように、プラトンは、(〈数学〉の範疇の下にある)算術・幾何学天文学などの科目を修めることを、アカデメイア入門の前提条件として課した。ここではいわば〈数学〉が〈哲学〉の条件となっている。〈哲学〉をおこなうにあたって、こうした条件は正当であろうか。プラトンは、一体なぜ〈数学〉を修めることを〈哲学〉の条件としたのであろうか。そしてもし哲学するためのアカデメイアを現代に復建するとしたら、〈数学〉のどこまでの範囲が入門の条件として課せられるべきであろうか。

 プラトンが〈数学〉に関する科目を〈哲学〉するための条件として課した理由として、真っ先に思い浮かぶことは、〈数学〉を修めることによって、あらかじめ適切な推論の仕方を学んでおくという意義である。だが、プラトン自身の著作は、弁証法によって、つまり対話によって叙述されている。プラトンが〈数学〉科目を〈哲学〉の条件として課したわりには、彼の哲学は文学的に叙述されているといえる。

 幾何学的論証が影響力を持ったのは、時代がもっと降ってからである。それは例えば、幾何学に衝撃を受けたホッブズの社会哲学の著作や、スピノザの『エチカ』の時代に応用され始めたのである。

 現代版のアカデメイア2.0を復建するにあたって、さしあたりヘーゲルの『論理の学』第一巻「存在論」を参照点にしよう。ヘーゲルがそこで言及している数学者や科学者と言えば、アルキメデス(Ἀρχιμήδης, c. 287 – c. 212 BC)、ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)、デカルト(René Descartes, 1596-1650)、カヴァリエリ(Bonaventura Cavalieri, 1598-1647)、ニュートン(Isaac Newton, 1642-1727)、ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)、オイラーLeonhard Euler, 1707-1783)、ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange, 1736-1813)、シュペール(Friedrich Wilhelm Spehr, 1799-1833)らである。そこでは微積の概念が哲学的に考察されている。したがって、〈数学〉の、少なくとも微積の範囲までは、〈哲学〉するための条件として課せられて然るべきである。

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