目次
はじめに
スティーヴン・シェイピン+サイモン・シャッファー『リヴァイアサンと空気ポンプ:ホッブズ、ボイル、実験的生活』(吉本秀之監訳、柴田和宏+坂本邦暢訳、名古屋大学出版会、2016年)という本を買いました。
この本が発売された2016年から気になっていましたが、定価が5,800円(税別)とかなり高価な書籍だった為、私は買うのを躊躇してしまいました。しかし、その後書店から見かけなくなり、『ああ、やはりあの時に買っておけば良かった』と後悔していたのですが、昨日紀伊国屋書店新宿本店で棚に並んでいることに気づいてしまい、ついに買ってしまったのです。
書名の「リヴァイアサン」とは、政治哲学者として知られるあのホッブズの著作のことです。その「リヴァイアサン」と「空気ポンプ」という組み合わせは、何か意外な印象を受けるのではないでしょうか。
ホッブズとボイル
この本ではホッブズとロバート・ボイルの論争を扱っています。高校の物理化学で「ボイル=シャルルの法則」って習いますよね。あのボイルです。彼らの行った論争とは一体どのようなものだったのでしょうか。シェイピン&シャッファーは次のように述べています。
私たちがかかわる論争は、一六六〇年代と一六七〇年代初頭にイングランドで起こった。主役はロバート・ボイル(一六二七—一六九一年)とトマス・ホッブズ(一五八八—一六七九年)だ。ボイルは体系的な実験の有力な実践者として、また自然哲学において実験という営みがもつ価値を唱えたもっとも重要な人物のひとりとして登場する。ホッブズはイングランドでのボイルのもっとも強力な論的であり、ボイルの研究から生みだされる特定の主張や解釈を否定しようとした。さらに決定的なことに、ホッブズは実験プログラムがどうしてボイルが推奨した種類の知識を生みだすことができないのかをしめすための強力な議論を展開した。
(本書39頁)
要するに、ボイルとホッブズとの間には「実験」をめぐってその意義の認識の相違があったのです。
(ボイルの空気ポンプ、Wikipediaより)
私の興味は次の点にあります。すなわち、ホッブズが『リヴァイアサン』において政治哲学と自然哲学との連続性がどのようなものとして捉えられていたのか、という問題です*1。実際、シェイピン&シャッファーは本書の中で「『リヴァイアサン』(一六五一年)を自然哲学の書物として、そして認識論の書物として読む」(本書48頁)ことを試みています(第三章)。ホッブズの自然哲学の書として受け取られている『物体論』と、彼の政治哲学の書としてのみ受け取られている『リヴァイアサン』。これら両者を分離せずに統一的に解釈することの意義は、強調しすぎてもしすぎることはないでしょう*2。