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真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ホッブズ『リヴァイアサン』覚書(3)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

ホッブズリヴァイアサン』(承前)

序説(承前)

ホッブズの合理的な「自然」観

技術はさらにすすんで、自然の理性的でもっともすぐれた作品である、人間を模倣する。すなわち、技術によって、コモン-ウェルスあるいは国家ステートラテン語ではキウィタス)とよばれる、あの偉大なリヴァイアサンが、創造されるのであり、それは人工的人間にほかならない。ただしそれは、自然人よりも形がおおきくて力がつよいのであって、自然人をそれが保護し防衛するようにと、意図されている。

(Hobbes1651: 1, 訳37頁)

「人間 Man 」を模倣した「人工的人間」として、「リヴァイアサン」が立ち現れている。ただしこの「人間」とは、機械論的に把握される限りでの「人間」、つまり心臓や神経や関節を発条や紐や歯車のような部品に置き換えることができるような運動体として理解されているような「人間」である。

 そして「自然の理性的でもっともすぐれた作品」という箇所には、「自然」の中に「理性的 Rationall 」なものがある、というホッブズの「自然」観が垣間見える。自然のうちに合理性があるからこそ、それを模倣する意義があるのだ。

近代的な「国家」概念としての「リヴァイアサン

 ホッブズは「リヴァイアサン LEVIATHAN 」の呼び名として「コモンウェルス COMMON-WEALTH 」「国家 STATE 」「キウィタス CIVITAS 」の三つを挙げている。これらの呼び名はいずれも国家共同体のことを指しているとみて間違いない。だが、ホッブズのいう「リヴァイアサン」や「キウィタス」を、古典的な意味でのそれ、すなわち聖書の中の「レヴィアタン」や、古典古代の都市国家(ポリス)等とただちに混同しないよう注意が必要である。というのも、それらに並置されているホッブズの「国家 STATE 」とは、マキアヴェッリ以後の政治概念であり、ホッブズの政治哲学はその系譜に位置しているからである。この点について平子友長は次のように述べている。

 周知のように国家=スタート stato という概念は、十六世紀初頭マキアヴェッリによって初めてヨーロッパにもたらされた全く新しい政治概念であった。

……中略……

 マキアヴェッリによって十六世紀初頭のイタリア半島の政治状況に即して構想されたスタートの思想を、精緻な政治理論として完成させた人がホッブズであった。

 『リヴァイアサン』において、国家の仕事は複数の諸個人がともに「生きること」を可能にする環境を人為的に創出することの一点に絞られた。ホッブズ自身がコモン・ウェルス Common-welath と呼んでいる政治組織は後世ステイト state と呼ばれるものである。ステイトの思想にとって核心的なことは、その構成員が抽象的な「人 man」一般であることにある。理論的には、自然状態において「各人の各人に対する戦争状態」に置かれるすべての諸個人が、民族・原語・ジェンダー・文化等の相違を一切捨象されて、同一のステイトの可能的構成員とされたのであった。彼らに要求された資質は、「死の恐怖」と「自然法」(平和を確立するために万人が同意できる諸条項)を案出する理性的能力だけであった。ステイトの構成員の抽象性に対応して、ステイトにはいかなる地理的限界もない。もちろんホッブズは、現実のステイトが複数存在することを知っていたけれども、それは理論的には自然状態の変形された継続、つまり個人を単位とした戦争状態からステイトを単位とした戦争状態への転換として了解された。

(平子2003)

このような「ステイト」の形成を前提として、十七世紀から十八世紀の西欧においてステイトはネイション・ステイトへと変貌を遂げることとなる。

なぜホッブズは「リヴァイアサン」という呼び名を「国家」概念に与えたのか

 ところでホッブズはなぜ「あの偉大なリヴァイアサン」などと、わざわざ『旧約聖書』に登場する怪物の名を持ち出したのであろうか。この疑問はすでに森康博によって提起されている。

著書『リヴァイアサン』は「コモン - ウェルス」論として展開されているのは明らかで、<リヴァイアサン>の語をあらたに導入する必然性はないように思える。にもかかわらず、なぜホッブズは『旧約聖書』の海獣リヴァイアサン>をもち出してきたのであろうか。その意図は何であろうか。

(森2013: 119)

森はこの問いに対する応答を、いわゆる<王の二つの身体>論と絡めて『法の原理』に遡って探究しているのであるが、最終的にその問いに十分応えられているようには私には思われない。

 先の疑問に対する応答はいくつか考えられうるが、さしあたり「コモンウェルス」「ステート」「キウィタス」等々、それには複数の呼び名が与えられていたこともあり、これらを「リヴァイアサン」という一つの表象の下に統合する必要があったからではないかと私は考える。その表象が読者に伝えているのは、個としての人と比較してのその大きさと、暴力的なまでの圧倒的なであろう。

 この点に関して、川出良枝は「リヴァイアサン」を「メタファー」と解している。

本書のタイトルともなったリヴァイアサンとは、旧約聖書の「ヨブ記」に登場する海の獣である。その力たるや、「剣も槍も、矢も投げ槍も彼を突き刺すことはできない」。この地上に支配者をもたず、「驕り高ぶるものすべてを見下し、誇り高い獣すべての上に君臨している」。ホッブズはこの空想上の怪物を、平和と防衛を人間に保障する絶対的な主権的権力のメタファーとして用いる。

(川出2009)

ホッブズの「リヴァイアサン」が「メタファー」であるという川出の解釈に、筆者も賛同したい。つまり「リヴァイアサン」に込められているのは、ホッブズの巧みな修辞学的戦略なのである。

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