トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』(加藤節訳、筑摩書房、2022年)
完訳として刷新された『リヴァイアサン』
加藤節先生にはすでにアーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(岩波書店、2000年)やジョン・ロック『完訳 統治二論』(岩波書店、2014年)の訳者として名高い業績がある。その加藤先生でさえも「stateとcommonwelth、nation、subject、とcitizenとpeople、civil」(下、549頁)といった語については、訳語の選定に苦慮されたことが伺える(本書「「解説」にかえて」)。
それにしても最近のちくま学芸文庫は本気だ。筑摩書房が社会科学の名著もさることながら、古典の良質な翻訳の出版に努めていることがわかる。だからちくま学芸文庫にホッブズ『法の原理』(高野清弘訳、筑摩書房、2019年)が収められたことも偶然ではなかった。水田洋訳に代わる『リヴァイアサン』の完訳がようやく出版されたことは、ヘーゲル『精神現象学』(熊野純彦訳、筑摩書房、2018年)の出版に次ぐ快挙である。筑摩書房は明らかに定評のある翻訳の刷新を目指している。
完訳というのは、参照する際に重要な決め手となり得る。ジョン・ロック『統治二論』もそうだが、ホッブズ『リヴァイアサン』は社会契約説に関わる前半の箇所ぐらいしか翻訳されないことが多かった(例えば、中公クラシックス、光文社古典新訳文庫)。そのため後半部は唯一の完訳であった岩波文庫の水田洋訳を参照するしかなかったが、加藤節訳が今後は大いに参照されるであろう。水田洋訳はラテン語版との対照が付いているから、その点で今後も参照され続けるであろう。
『リヴァイアサン』や『統治二論』を完訳するとなると、どうしても半分は宗教との対立を考慮しなければならなくなる。単に政治国家と世俗の関係のみならず、神や国教会のような権力をも考慮に入れる必要が出てくる。この点については、以前紹介した梅田百合香『ホッブズ リヴァイアサン シリーズ世界の思想』(KADOKAWA、2022年)を参照されたい。