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ホッブズ『リヴァイアサン』覚書(7)

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ホッブズリヴァイアサン』(承前)

序説(承前)

しかし、近ごろでは理解されていない、もうひとつの格言があって、もし人びとがその労をとりさえしたならば、それによって、ほんとうにおたがいを読むことを、まなびえたであろう。それは、汝自身を読め Nosce te ipsum, Read thyself という格言であり、それが意味したのは、今日つかわれているように、権力をもった人びとの、その下位の人びとに対する野蛮な状態を黙認することでも、ひくい地位のものの、優越者に対する無礼なふるまいを奨励することでもなく、つぎのことをわれわれにおしえることであった。すなわち、あるひとりの人間の諸思考と諸情念が、他のひとりの人間の諸思考と諸情念に類似しているために、だれでも自分のなかをみつめて、自分が思考し判断し推理し希望し恐怖し等々するときに、何をするか、それはどういう根拠によってかを、考察するならば、かれはそうすることによって、同様なばあいにおける他のすべての人びとの諸思想と諸情念がどういうものであるかを、読み、知るであろう、ということである。

(Hobbes1651: 2, 訳39頁)

「汝自身を知れ γνῶθι σεαυτόν 」という古代ギリシアの有名な箴言がある。英語ではこれは Know thyself と訳されるのが普通だが、ホッブズはこれを「汝自身を読め Read thyself 」と訳している。英語の read には「〜を読んで理解する」という意味があるので、ホッブズのように訳すことも可能であろう。なによりホッブズのように訳すことによって、「賢明さは、書物を読むことによってではなく、人びとを読むこと reading によって獲得される」という先に見た格言との連続性が保たれている。

古代ギリシアにおける「汝自身を知れ」の意味

 「汝自身を知れ」という箴言は「デルフォイの神殿におけるアポロンの神託を受けたソクラテスの命題」(藤原2008: 133)として一般的に知られている。

 この箴言は元来、古代ギリシアにおいてはどのような意味で受け止められていたのだろうか。この箴言の当時の理解について、中畑正志は次のように述べている。

GS〔GSは「汝自身を知れ γνῶθι σ(ε)αυτόν 」の略記——引用者〕は、大方の解釈のとおり、自分の分をわきまえよ、身のほどを知れ、という意味で理解されたといってよい。そして身のほどを知る上で大切なのは、まず、神と対比された存在としての人間であることを自覚することだった((Ps,-)Aeschyl. Prom. vinct. 309)。また、身のほどとは、神との関係だけでなく、共同体や他者との関係からも規定される。社会関係のなかでの自己の役割を知ることも、自分自身を知ることの重要な意味であった(Xenophon Cyr. 7.2.20-21)。一見したところ対他的関係からは独立に測定できそうな自己の能力の認知についても、このような自己知の理解が妥当する。クセノポンは、ソクラテスが(デルポイ箴言としての)GSの求める自己知を〈自己の能力を知る〉こととして理解する様子を描いているが、そのような能力とは、馬の能力がその馬の用途との関連ではじめて特定されるように、社会や共同体との要請との関連で特定され、その要請を満たすことができる、ということを意味した(Mem. 4.4.24sqq.)

(中畑2013: 101-102)

要するに、古代ギリシアにおいては「汝自身を知れ」という箴言は、神と共同体という二つの軸において規定された自己を概念的に把握する、という意味で理解されていたのである。したがって、自己に相対するものが神であれ共同体であれ、他者を抜きにして自己を理解することはできないということになる。

ホッブズにおける「汝自身を知れ」の意味

 では、ホッブズはこの箴言をどのように捉えているのだろうか。

 ホッブズによれば、この箴言はもはや「身の程知らずが、身の程をわきまえよ」という意味に転じてしまったという。

 これに対してホッブズは、一人一人の人間には大きな違いがなく、各々がたがいに類似の性質を持っていると考える。だから自分自身への理解を徹底すれば、それは同時に類似の性質をもつ人間一般への理解につながることになる。

 しかしながら、ホッブズによるこの箴言の解釈は、先に見た古代ギリシアにおけるそれとは異なった理解である。すなわち他者(とりわけ共同体)との関係の中で自己を知るという古代ギリシアの思想が、ホッブズにおいては、自分自身を分析的に読み解くことによって自己の延長線上に共同体を知るという思想に変化している。

(つづく)

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