目次
著作の観念(承前)
農耕神サトゥルヌス
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つぎに、麦穂の冠をかぶって天文学者たちのところに行く、というように詩人たちによって描かれている処女は、詩人たちがかれらの世界の最初の時代であったとはっきり語っている黄金の時代からギリシア史が始まったことを意味している。この黄金の時代には、何世紀にもわたって、歳年は小麦の収穫によって数えられていたのであって、小麦こそは世界で最初の黄金であったことが見いだされるのである。そしてこのギリシア人の黄金の時代にローマ人にとってのサトゥルヌスの時代が同一段階のものとして対応しているのであって、サトゥルヌスは、〈サトゥス〉satus、すなわち、種が播かれた土地ということから、こう呼ばれたのであった。
(Vico1744: 3, 訳: 上20〜21頁)
ここで「黄金の時代」という言葉が登場しますが、これはギリシア神話のいわゆる「黄金時代」(χρύσεον γένος)を指しています。ヘシオドス『仕事の日々』には五時代説話が叙述されており、彼は黄金時代、白銀時代、青銅時代、英雄の時代、鉄の時代という五つの時代区分を示しています。
これらすべてのことからつぎの重大な系が出てくる。すなわち、金、銀、銅、鉄というあの世界の四時代区分は頽廃した時代の詩人たちが作りあげたものだということである。なぜなら、最初のギリシア人のもとで黄金の時代にその名をあたえているのは、麦というこの詩的な黄金であったからである。
(ヴィーコ2018: 上483)
この歴史観においては、人類は神々とともに平和に暮らしていたが、徐々に争うようになったので、人類は堕落へと進んでいったとみなされます。
ここで登場するサトゥルヌス(Saturnus)とはローマ神話に登場する農耕神のことです。サトゥルヌスは初めて人間に農耕を教え、太古のイタリアに黄金時代を築いたとされます。
「観念の一様性」と「共通感覚」
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また、この黄金の時代には神々は地上で英雄たちと交わっていた、とも詩人たちは忠実にわたしたちに伝えている。そう、忠実にである。というのも、やがて論証されるように、単純素朴で粗野な異教世界の最初の人間たちは、もろもろの恐るべき迷信でいっぱいになったこのうえなくたくましい想像力の強力な惑わしにあって、自分たちが真実地上で神々を見ているものと信じこんでいたからである。また、それがやがて、オリエント人のもとでも、エジプト人のもとでも、ギリシア人のもとでも、ローマ人のもとでも、互いに相手のことをなにひとつ知らないでいたにもかかわらず、〔かれらが人間として抱いていた〕観念の一様性によって、等しく、地上から、神々は惑星に、英雄たちは恒星にまで高めあげられていったことも、ここ〔本書〕でのちに見いだされるとおりである。このようにして、サトゥルヌスはギリシア人にとってのクロノス(Κρόνος)であるが、クロノス(Χρόνος)は同じくギリシア人にとっては時間(tempo)をも意味していて、このサトゥルヌスないしはクロノスから、年代学、すなわち時間の学説に、いまひとつ別の新たな原理があたえられることになるのである。
(Vico1744: 3-4, 訳: 上21〜22頁)
神々というのは今となっては地上の存在ではなく天界の存在と考えられていますが、古代の人々にとっては神々は地上にいたのも同然と思い込まれていたので、神々は英雄と交わっていたという逸話が生まれた。ただしこれは古代人の想像力の賜物というか迷妄に過ぎなかったとヴィーコは指摘しています。その迷妄が解かれる過程のためなのか、人類の推理・認識能力が発達したためなのか、次第に神々と英雄の位置付けは天界の星々へと移動していくといいます。
ここには「観念の一様性」という言葉が登場します。地域の異なる国民(ここでは例えばオリエント人、エジプト人、ギリシア人、ローマ人など、地球上で見れば割と近い地域に属している国民と言えるかもしれませんが)が互いに知らない間柄であるにもかかわらず、共通の観念を抱いていたことを、ヴィーコは「観念の一様性」と呼んでいます。この点は、本書第二部の箇所で「共通感覚」とともに改めて論じられることになります。
互いに相手のことを知らないでいる諸民族すべてのもとで生まれた一様な観念には、ある一つの共通の真理動機が含まれているにちがいない。/この公理は、人類の共通感覚が万民の自然法についての確実なるものを定義するために神の摂理によって諸国民に教示された基準であることを確定する一大原理である。
(ヴィーコ2018: 上167)
農耕の神クロノス(Κρόνος)と時間の神クロノス(Χρόνος)
ヘシオドスによれば、黄金時代の神々の支配者はクロノス(Κρόνος)だったとされています。クロノスはギリシア神話における大地および農耕の神でした。そのため、ローマ神話における農耕神であるサトゥルヌス(Saturnus)と同一視されてきました。一つ注意が必要なのは、同じ読み方でクロノス(Κρόνος)とは別の神であり、時間の神であるクロノス(Χρόνος)の存在です。クロノス(Χρόνος)は「年代学」の由来でもあります*1。
これはラティウム〔ラツィオ〕の諸国民のもとで始まった神々の時代であって、特性の面でギリシア人の黄金の時代に対応している。やがてわたしたちの神話学によって見いだされるように、ギリシア人にとって最初の黄金は穀物であった。そして穀物の収穫によって最初の諸国民は何世紀にもわたって年をかぞえていたのだった。また、サトゥルヌスはローマ人によって〈サトゥス〉satus、種を播かれた、ということからこう呼ばれた。このサトゥルヌスのことをギリシア人は〈クロノス〉と呼んでいるのだが、そのギリシア人のもとでは〈クロノス〉 Χρόνος は時間のことであって、ここから〈クロノロジーア〉〔年代学〕という言い方は出てきたのである。
(ヴィーコ2018: 上114-115)
サトゥルヌスであれクロノスであれ、これらの神々が互いに混同されてきたとはいえ、麦穂の収穫の周期という点から農耕と時は密接な関係を持っていたわけで、そのかぎりで農耕の神が時を司る神とみなされてきたと思われます。
文献
- Vico, Giambattista 1744, Principj di scienza nuova, Napori.
- ヴィーコ, ジャンバッティスタ 2018『新しい学』上村忠男訳, 中央公論新社.
*1:詳細は『新しい学』[第10部]「詩的年代学」で論じられる。「神学詩人たちは、このような天文学に合わせて、年代学に始まりをあたえた。なぜなら、ラティウムの人々によって〈サトゥス〉satus、〈種播かれた土地〉ということからサトゥルヌスと呼ばれ、ギリシア人からクロノスと呼ばれていた神(ギリシア人のもとでは〈クロノス〉は時間を意味する)は、最初の諸国民(最初の諸国民はすべて農民で成り立っていた)はかれらのおこなっていた麦の収穫(それは、農民たちがまるまる一年を費やしていた、唯一の、あるいは少なくとも最大の仕事である)でもって年数を数えはじめたことをわたしたちに理解させてくれるからである。そして、かれらは最初のうち口が利けなかったので、麦の穂、もしくは麦藁の数によって、収穫をおこなった回数と、またそれと等しい数の年数を表わそうとしていたにちがいないのだった。」(ヴィーコ2018: 下180-181)。