まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヴィーコ『新しい学』覚書(4)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

 

著作の観念(承前)

神を観照する仕方について

ヴィーコは続けて「神」について言及しています。

すなわち、こそは自然を自由かつ絶対的に支配している知性であるというわけで——それというのも、神は、その永遠の計らいによって、自然的なかたちでわたしたちに存在をあたえてきたのであり、また自然的なかたちでわたしたちを保存しているからである——、そのように認識された神に、人間たちによって崇拝犠牲やその他の神聖な儀式とともに捧げられてきたさいに媒介となった部分がそれである。そして、その自然本性がつぎのような主要な特性、すなわち、社会生活を営もうとするという特性をもっている、人間たちによりいっそう固有の部分をつうじては、かれらは神を観照することをなんらしてこなかったのである。

(Vico1744: 2, 訳: 上18頁)

ここでまず一つ論点となるのが、神と自然との関係がどうなっているのか。そしてもう一つの論点が、神と人間との関係がどうなっているかです。

 ここで「神こそは自然を自由かつ絶対的に支配している知性である」と言われています。つまり「神」は自然に対して支配的な立場にある。

 では、この「知性」は人間のうちに内在しているものなのでしょうか、それとも人間にとって超越的な存在なのでしょうか。「神は、その永遠の計らいによって、自然的なかたちでわたしたちに存在をあたえてきたのであり、また自然的なかたちでわたしたちを保存している」のであり、その上「そのように認識された神に、人間たちによって崇拝が犠牲やその他の神聖な儀式とともに捧げられてきた」のですから、神に対して人間は従属的な立場にあるようです。

 これまで神については自然界という媒介を通じて考察されてきたが、人間の自然本性が有しているような社会生活あるいは政治社会の側面を通じては考察されてこなかった、だから、政治社会の側面を通じて神を観照していきましょう、ということをここでヴィーコは述べているようです。

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