目次
ヴィーコ『新しい学』(承前)
著作の観念(承前)
ホメロスの詩とその文体
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こうしてまた,第二には,英雄物語も,すべての諸国民においてそれらの国民が野蛮状態にあった時代に花開いていたのが見られる英雄たちとかれらの英雄的習俗の真実の歴史なのであった.だから,ホメロスの二つの詩はなおも野蛮状態にあったギリシアの諸氏族の自然法の二大宝庫であることが見いだされるのである.なお,その時代はギリシア史の父と称されるヘロドトスの時代までギリシア人のあいだで続いていたことが,この著作において確定される.じっさいにも,ヘロドトスの著作はいずれも大部分が物語で埋まっており,文体もホメロス的なところを多分にとどめている.そして,かれのあとに続いてやってきて,詩的な語法と通俗的な語法との中間を行くような語法を使っている歴史家たちもすべて,なおもこの勢力圏内にとどまっていたのであった.
(Vico1744: 7,上村訳(上)27頁)
「ホメロスの二つの詩」というのは『イリアス』と『オデュッセイア』のことであろう.なぜこれらが「ギリシア諸氏族の自然法の二大宝庫」なのか.その理由は,まさにホメロスの詩が伝承された最も古い文学作品であったからではないだろうか*1.
今回注目したいのは,ヴィーコが「文体 Stile 」に言及している点である.
まず「文体」が「ホメロス的」だというのは,どういうことを意味するだろうか.ホメロスの詩が文字として書き起こされたのは紀元前6世紀頃であり,その作品の成立した紀元前8世紀頃よりもずっと後になってからである.それまでの間,ホメロスの詩は朗読されて伝承されてきたのであるから,そこには音楽的な抑揚があったと考えられる.
その点を考慮すると,ヴィーコが「詩的な」フレーズと「通俗的な」フレーズという区別をしたことの意味も理解できるだろう.つまりヴィーコは,ホメロスの詩にみられるような音楽的な抑揚のある文体のことを「詩的な」フレーズと呼び,後にそうした音楽的な抑揚の失われた散文のような文体のことを「通俗的な」フレーズと呼んで区別したのではないだろうか.年代的には「詩的な」フレーズが「通俗的な」フレーズに先行していたのであり,「詩的な」フレーズが失われてしまうまでは,ホメロスの「勢力圏内にとどまっていた」のである.
(つづく)
文献
- Vico, Giambattista, 1744, Principj di scienza nuova, Napoli. (Österreichische Nationalbibliothek, 2015)
- ヴィーコ 2018『新しい学』上村忠男訳,中央公論新社.
*1:なおホメロスについては拙稿「ルソー『言語起源論』覚書(2)」も参照のこと.