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ヴィーコ『新しい学』覚書(18)

目次

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ヴィーコ『新しい学』(承前)

著作の観念(承前)

ホメロスの詩とその文体

こうしてまた、第二には、英雄物語も、すべての諸国民においてそれらの国民が野蛮状態にあった時代に花開いていたのが見られる英雄たちかれらの英雄的習俗の真実の歴史なのであった。だから、ホメロスの二つの詩なおも野蛮状態にあったギリシアの諸氏族の自然法大宝庫であることが見いだされるのである。なお、その時代はギリシア史の父と称されるヘロドトスの時代までギリシア人のあいだで続いていたことが、この著作において確定される。じっさいにも、ヘロドトスの著作はいずれも大部分が物語で埋まっており、文体ホメロスなところを多分にとどめている。そして、かれのあとに続いてやってきて、詩的な語法と通俗的語法との中間を行くような語法を使っている歴史家たちもすべて、なおもこの勢力圏内にとどまっていたのであった。

(Vico1744: 7, 訳: 上27頁)

ホメロスの二つの詩」というのは『イリアス』と『オデュッセイア』のことですね。なぜこれらが「ギリシア諸氏族の自然法の二大宝庫」なのかというと、ホメロスの詩が現存する最古の作品だからでしょう。

 ホメロスについては以前「ルソー『言語起源論』覚書(2)」でも触れましたので、そちらもぜひご覧ください。以下の議論もこれを踏まえています。

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 今回注目したいのは、ヴィーコが「文体」に言及している点です。

 まず「文体」が「ホメロス的」だというのはどういうことでしょうか。ホメロスの詩が文字として書き起こされたのは紀元前6世紀頃であり、その作品の成立した紀元前8世紀頃よりもずっと後になってからです。それまでは朗読されて伝承されてきたのですから、そこには音楽的な抑揚があったと考えられます。

 そうすると、ヴィーコが「詩的な」フレーズと「通俗的な」フレーズという区別をしたことの意味も理解できると思います。つまりヴィーコは、ホメロスの詩にみられるような音楽的な抑揚のある文体のことを「詩的な」フレーズと呼び、後にそうした音楽的な抑揚の失われた散文のような文体のことを「通俗的な」フレーズと呼んで区別したのではないでしょうか。

 時代的には「詩的な」フレーズが先行しているわけで、それが失われるまではホメロスの「勢力圏内にとどまっていた」といえそうです。

(つづく)

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