目次
ヴィーコ『新しい学』(承前)
著作の観念(承前)
口絵の光線と『新しい学』の叙述の順序
同じ神の摂理の光線が形而上学の胸のところで反射して,拡散しながら,わたしたちのもとに届いている異教世界最初の著作家であるホメロスの像にまで達しているのは,その光線が,形而上学——それは,そのような〔異教世界を創建することになった最初の〕人間たちがそもそも人間的に思考することを最初に開始したとき以来,人間的な諸観念の歴史〔Storia dell'Idee umane〕にもとづいて形成されてきたのであるが、その形而上学の力によって,わたしたちのもとで,ついに,全身がこのうえなく強靭な感覚とこのうえなく広大な想像力のかたまりであった異教世界の最初の創建者たちの愚鈍な知性にまで降りていくにいたったからである.そして,かれらは人間の知性および分別力を用いうる,唯一の,しかもまったく愚かで呆けた能力しかもっていなかったという,この同じ理由からして,これまで考えられてきたのとは異なるばかりか,まったく正反対に,詩の諸原理〔起源〕は,疑いもなく異教徒たちにとっての世界で最初の知恵であった詩的知恵,または神学詩人たちの知識の,これまた同じ理由でこれまで知られずにきた諸原理〔起源〕のうちに見出されるのである.
(Vico1744: 5,上村訳(上)23〜24頁)
冒頭に「同じ神の摂理の光線が形而上学の胸のところで反射して,拡散しながら,わたしたちのもとに届いている異教世界最初の著作家であるホメロスの像にまで達している」とあるが,要するに光線の向かう順番が『新しい学』の叙述の順番を表現している.すなわち,「神の摂理」が『新しい学』第1巻「原理の確立」に対応し,その光線が向かう「形而上学」は『新しい学』第2巻「詩的知恵」に対応し,さらに光線が反射して向かう「ホメロスの像」は『新しい学』第3巻「真のホメロスの発見」に対応しているのである.
観念の原理と言語の原理
実際ヴィーコは『新しい学』最初の1725年版を出版したのちにその構成を反省し,以後の1730年版と1744年版で叙述を大幅に変更している*1.この辺りの事情についてはヴィーコの『自伝』で次のように述べられている.
また,いま語ったような理由によって,その著作はナポリでも他の場所でも自分が費用を負担して出版してやろうという出版者が見つからなかったため,ヴィーコは別の処理法を考え出すことにした.それはおそらくその著作が本来とっていてしかるべき処理法であったのだが,こういう必要に迫られることがなかったならば,ヴィーコにしても到底考えつかなかったであろうもので,さきに出版された書物〔一七二五年の『新しい学』〕と比較対照してみれば,そこで採用されていたやり方とは,雲泥の差があることが明らかに見てとられるのである.また,この新しい処理法のもとでは,以前の著作では著作の筋立てを維持するために「註解」のなかで切り離されて雑然と羅列されていたことがらが,いまや,新しく追加されたかなりの量の事項とともに,ひとつの精神によって組み立てられ,ひとつの精神によって統率されているのが見られる.そして,このような秩序の力が働いた結果(この秩序の力こそは,論の展開にとって本来的な性質であることにくわえて,簡潔さの主要な原因のひとつである),すでに出版された書物〔一七二五年の『新しい学』〕と今度の草稿とでは,わずか三葉分の増加があったのみである.
(ヴィーコ2012,強調引用者)
ヴィーコはこのように「秩序の力」によって『新しい学』の構成が変更されたと伝えているが,この構成変更は「観念の原理と言語の原理」の扱い方という本質的な問題を含んでいた.
『新しい学・第一版』では,主題においてではなかったにしても,順序においてたしかに誤った.というのも,観念の原理と言語の原理とは本性上互いに結合しているにもかかわらず,両者を切り離してあつかってしまったからである.また,そのどちらの原理とも別個にこの学があつかうもろもろの主題を展開していくさいの〔否定的な〕方法について論じたが,これらの主題は,もうひとつの〔積極的な〕方法によれば,観念と言語双方の原理から順次出てくるはずなのであった.このようなわけで,そこでは順序において多くの誤謬が生じることとなったのだった.
(ヴィーコ2012,強調引用者)
ヴィーコによれば「注解」スタイルはネガティヴな方法であり,なぜならそれは観念の原理と言語の原理を個別に切り離してしまうからだという.彼のポジティヴな方法はそうではなく,観念の原理と言語の原理が一体となってそこから主題が秩序をもって生まれるようなものである.