まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヴィーコ『新しい学』覚書(13)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

 

(承前)著作の観念

「新しい批判術」

続いてヴィーコは「新しい批判術」という自身の方法について述べています。

さらに、ここで触れておくなら、この著作では、これまで欠如していたあるひとつの新しい批判術を用いて同じ異教諸国民の創建者たちにかんする真理の探究に入ることによって(これまで批判がかかわってきた著作家たちがそれらの諸国民の内部に登場するまでには〔それらの諸国民が創建されてから〕優に千年以上が経過していたにちがいないのである)、ここに哲学文献学*1、すなわち、諸民族言語習俗平時および戦時における事蹟についての歴史のすべてなど、人間の選択意志に依存することがらすべてにかんする学問の検査に乗りだす(なにしろ、それの提供する原因は残念ながら曖昧ではっきりとしておらず、また結果も無限に多様であるため、これまでそれについて推理することには、わたしたちはほとんど恐怖を抱いてきたのだった)。

(Vico 1744:6、訳25頁、強調引用者)

多くのヴィーコ研究書でも述べられている通り、ヴィーコは『学問の方法』などでクリティカとトピカという二つの方法について繰り返し述べてきました。キケロの『トピカ』以来、クリティカは真偽についての判断の術(ars iudicandi)とされ、トピカは論拠についての発見の術(ars inveniendi)とされてきました*2。時代的には若者はポール=ロワイヤル論理学を優先的に学んでいましたが、このような論理学やデカルトの方法をヴィーコは当時のクリティカとして位置付けました。しかし、こうしたクリティカ中心の時代にあって、ヴィーコキケロに倣って、トピカがクリティカよりも先行することを説きました(詳しくは以下のリンク先をご覧下さい)。

sakiya1989.hatenablog.com

 さて、以上を踏まえて先ほどのパラグラフでは『新しい学』の中で「新しい批判術」を用いることが宣言されています。では、この批判術は一体何が「新しい」のでしょうか。またこれがただの「批判」ではなく、いわば〈術 ars 〉としての「批判」であるからには、そこにはいかにしてキケロ以来の伝統が受け継がれ、そして発展させられているのでしょうか。

 この批判術の新しさは、ポール=ロワイヤル論理学やデカルト主義のようないわば〈推論の精確さ〉だけにこだわったものではないという含意があるのではないでしょうか。この「新しい批判術」とは「人間の選択意志に依存することがらすべてにかんする学説(Dottorina)を検討すること(esaminare)」だと述べられています。では、その「人間の選択意志」とは一体何でしょうか。「人間の選択意志」についてヴィーコは次のように述べています。

Ⅺ 人間の選択意志は、その自然本性においてはきわめて不確実なものであるが、人間として生きていくにあたって必要または有益なことがらについての、人々の共通感覚によって確実なものにされ限定をあたえられる。そして、この人間として生きていくにあたって必要または有益なことがらこそは、万民の自然法の二つの源泉なのである。

(Vico 1744:76、訳166頁)

「人間の選択意志」は(これは「恣意」とも言われますが)、いわゆる人間の自由意志に関わるものであり、エピクロスの〈逸れ〉の概念のように決定論的な発想から抜け出るものです。したがってそれはきわめて曖昧であり、ここで「不確実」と呼ばれる所以です。しかし、ヴィーコはこの「人間の選択意志」は「共通感覚」(あるいは常識、コモンセンス)によって確固として規定されていると言います。というのも、人間は生物として生きていくのに必要なもの、有用なものを、一定程度の共通認識として持っているからです。そして言語・習俗・歴史といったものが「人間の選択意志」に依存しているということは、これら言語・習俗・歴史などの学説は、「人間の選択意志」を規定しているところの「共通感覚」(常識、コモンセンス)を基盤としており、この「共通感覚」(常識、コモンセンス)によって(「人間の選択意志」を介して)間接的に規定されているということになります。そこでこれらの学説の基盤となっている「共通感覚」(常識、コモンセンス)こそが問題となりえます。

Ⅻ 共通感覚とは、ある階級全体、ある都市民全体、ある国民全体、あるいは人類全体によって共通に感覚されている、なんらの反省をもともなっていない判断 giudizio のことである。

 この公理は、つぎの定義とともに、諸国民の創建者にかんする新しい批判術を提供するだろう。それらの諸国民のなかにこれまで批判が携わってきた著作家たちが出現するまでには、優に千年以上の歳月が経過していたにちがいないのである。

(Vico 1744:76、訳167頁)

「共通感覚」 (常識、コモンセンス)における〈共通〉性とは「ある階級全体、ある都市民全体、ある国民全体、あるいは人類全体」における〈共通〉性であり、またその〈感覚〉性は、それが感覚であるがゆえに理性を介しない直截的で「無反省的な」ものです。

 しかもこの「共通感覚」が件の「新しい批判術」を提供すると述べられている点に関しては、わたしたちはキケロが彼の『トピカ』においてトピカとクリティカをそれぞれ〈発見の術〉と〈判断の術〉として区別していたことを想起する必要があるでしょう。これこそまさに「新しい批判クリティカ術」を提供する「共通感覚」が「判断」であるとされている所以です。

ヴィーコマルクス

 こうした「批判」の方法は様々なトピックの書物を分野横断的に読解し、「批判 Kritik 」として統合していくマルクスの方法に受け継がれていると言えるのではないでしょうか。かつて柄谷行人は『トランスクリティーク』でマルクスからカントへ遡って読み込む必要性を感じたと述べていたように記憶しておりますが、マルクスの「批判」はカントよりもむしろヴィーコの「新しい批判術」にまで遡る必要があるのではないでしょうか。

 こうした読み方は、当時「死せる犬」と扱われていたヘーゲルの弟子だと自ら述べた序文を読んだとしてもそうはならないはずです。しかし、ヘーゲルをいくら読みといたとしても「批判」の観点はヘーゲルには見出すことができません。ヘーゲルとは別の思想家を経由する必要があるのです。もちろん若きマルクスフォイエルバッハ人間主義に影響を受けており、そのフォイエルバッハヘーゲル哲学「批判」をマルクスヘーゲル法哲学「批判」よりも先に著していることは承知しています。しかしマルクスエスプリに富んだ「批判」の仕方は、フォイエルバッハらのいわゆるヘーゲル左派の「批判」の仕方とは明らかに違います*3。むしろここで注目したいのは、思想史における「批判」のもっと大きな流れのことです。

 例えばフォイエルバッハヘーゲル哲学「批判」の方法は、逆さまにされていた主語と述語を転倒させるというものでした。これは論理的であるだけで、単なるクリティカに過ぎません。これに対してマルクスフォイエルバッハのようなクリティカだけでは空疎な批判に陥ることに気付き、『独仏年誌』(1844年)以後、古典派経済学や人間社会に関する事柄を分野横断的に生涯学ぶこと(あるいは現実的な問題の場所を発見すること、トピカ)を重視しました。このような流れは、まさに〈トピカがクリティカに先行する〉というヴィーコの主張(もっと遡ればキケロそしてアリストテレスの『トピカ』にたどり着きます)を裏付けるものです。こうした点が、マルクスと他のヘーゲル左派の分岐点になったのではないかと私は思います。

 マルクスヴィーコに言及しているのは『資本論』(Das Kapital, 1863年)の一箇所とラサール充手紙(1862年4月28日)だけですが*4、もしマルクスの「批判」の源流がこのようにヴィーコに見いだされるとしたら、なんとも面白くはないでしょうか。

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:「哲学 Filosofia 」と「文献学 Filologia 」については次の箇所も参照。「哲学道理〔理性〕観照し、そこから真実なるものについての知識が生まれる。文献学人間の選択意志の所産である権威を観察し、そこから確実なるものについての意識が生まれる。/この公理は、後半部分にかんして、文献学者とは諸言語およびにあっての習俗法律にあっての戦争講和同盟旅行通商などの双方を含めた諸国民の事蹟の認識に携わっている文法家歴史家批評家の全体のことである、と定義する。」(Vico 1744:75-76、訳165頁)。

*2:キケロは『トピカ』で次のように述べている。「およそ議論のための厳密な方法は二つの部門、つまり一は発見(invenire)の部門、他は判断(iudicare)の部門からなり、私が思うに、アリストテレスがこの両部門の創始者であった。ところがストア派は後者の部門だけに関心を寄せてきたにすぎない。実際、ストア派は、彼らが弁証術(dialektike)と呼ぶ学において、判断の方法だけに専心してきたのである。しかし、トピカ(topica)と呼ばれる発見の術の方が、実用に役立つだけでなく、自然の秩序において先行するにもかかわらず、彼らはこれをまったく無視してきたのである。」(キケロ 2010:21)。

*3:フォイエルバッハに影響を受けていた頃のマルクスの〈批判〉と〈方法〉については拙稿、荒川 2013をみよ。

*4:木前 2008、8頁。