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ヴィーコ『新しい学』覚書(13)

目次

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ヴィーコ『新しい学』(承前)

著作の観念(承前)

「新しい批判術」

さらに,ここで触れておくなら,この著作では,これまで欠如していたあるひとつの新しい批判術を用いて同じ異教諸国民の創建者たちにかんする真理の探究に入ることによって(これまで批判がかかわってきた著作家たちがそれらの諸国民の内部に登場するまでには〔それらの諸国民が創建されてから〕優に千年以上が経過していたにちがいないのである),ここに哲学文献学*1,すなわち,諸民族言語習俗平時および戦時における事蹟についての歴史のすべてなど,人間の選択意志に依存することがらすべてにかんする学問の検査に乗りだす(なにしろ,それの提供する原因は残念ながら曖昧ではっきりとしておらず,また結果も無限に多様であるため,これまでそれについて推理することには,わたしたちはほとんど恐怖を抱いてきたのだった).

(Vico1744: 6,上村訳(上)25頁)

ヴィーコは『学問の方法』でクリティカとトピカという二つの方法について言及している.キケロの『トピカ』以来,クリティカは真偽についての判断の術(ars iudicandi)とされ,トピカは論拠についての発見の術(ars inveniendi)とされてきた*2.時代的には若者はポール=ロワイヤル論理学を優先的に学んでいたが,このような論理学やデカルトの方法をヴィーコは当時のクリティカとして位置付けている.こうしたクリティカ中心の時代にあって,ヴィーコキケロに倣い,トピカがクリティカよりも先行することを説いているのである.

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 以上を踏まえて先ほどのパラグラフでは,『新しい学』の中で「新しい批判術」を用いることが宣言されている.この批判術は,一体何が,どのような点で「新しい」のであろうか.これがただの「批判」ではなく,〈術 ars 〉としての「批判」であるからには,そこにはいかにしてキケロ以来の伝統が受け継がれ,そして発展させられているのであろうか.

 この批判術の〈新しさ〉は,ポール=ロワイヤル論理学やデカルト主義のようないわば〈推論の精確さ〉だけにこだわったものではないという含意があるのではないだろうか.この「新しい批判術」は,「人間の選択意志に依存することがらすべてにかんする学説を検討すること」だと述べられている.「人間の選択意志」とは一体何であろうか.この点,ヴィーコは次のように述べている.

Ⅺ 人間の選択意志は,その自然本性においてはきわめて不確実なものであるが,人間として生きていくにあたって必要または有益なことがらについての,人々の共通感覚によって確実なものにされ,限定をあたえられる.そして,この人間として生きていくにあたって必要または有益なことがらこそは,万民の自然法の二つの源泉なのである.

(Vico1744: 76,上村訳(上)166頁)

「人間の選択意志」は(これは「恣意」とも言われる),いわゆる人間の自由意志に関わるものであり,エピクロスの〈逸れ〉の概念のように決定論的な発想から抜け出るものである.したがってそれはきわめて曖昧であり,ここで「不確実」と呼ばれる所以である.しかし,ヴィーコはこの「人間の選択意志」は「共通感覚」(あるいは常識,コモンセンス)によって確固として規定されているという.というのも,人間は生物として生きていくのに必要なもの,有用なものを,一定程度の共通認識として持っているからである.そして言語・習俗・歴史といったものが「人間の選択意志」に依存しているということは,これら言語・習俗・歴史などの学説は、「人間の選択意志」を規定しているところの「共通感覚」(常識、コモンセンス)を基盤としており,この「共通感覚」(常識,コモンセンス)によって(「人間の選択意志」を介して)間接的に規定されているということになる.そこでこれらの学説の基盤となっている「共通感覚」(常識,コモンセンス)こそが問題となる.

Ⅻ 共通感覚とは,ある階級全体,ある都市民全体,ある国民全体,あるいは人類全体によって共通に感覚されている,なんらの反省をもともなっていない判断 giudizio のことである.

 この公理は,つぎの定義とともに,諸国民の創建者にかんする新しい批判術を提供するだろう.それらの諸国民のなかにこれまで批判が携わってきた著作家たちが出現するまでには,優に千年以上の歳月が経過していたにちがいないのである.

(Vico1744: 76,上村訳(上)167頁)

「共通感覚」 (常識,コモンセンス)における〈共通〉性とは「ある階級全体,ある都市民全体,ある国民全体,あるいは人類全体」における〈共通〉性であり,またその〈感覚〉性は,それが感覚であるがゆえに理性を介しない直截的で「無反省的な」ものである.

 しかもこの「共通感覚」が件の「新しい批判術」を提供すると述べられている点に関しては,わたしたちはキケロが彼の『トピカ』においてトピカとクリティカをそれぞれ〈発見の術〉と〈判断の術〉として区別していたことを想起する必要がある.これこそまさに「新しい批判クリティカ術」を提供する「共通感覚」が「判断」であるとされている所以である.

ヴィーコマルクス

 こうした「批判」の方法は様々なトピックの書物を分野横断的に読解し,「批判 Kritik 」として統合していくマルクスの方法に受け継がれていると言えるのではなだろうか.かつて柄谷行人は『トランスクリティーク』でマルクスからカントへ遡って読み込む必要性を感じたと述べていたように記憶しているが,マルクスの「批判」はカント以前のヴィーコの「新しい批判術」にまで遡る必要があるのではないか.

 こうした読み方は,当時「死せる犬」と扱われていたヘーゲルの弟子だと自ら述べた序文を読んだとしてもそうはならないはずである.しかし,ヘーゲルをいくら読みといたとしてもマルクスの「批判」の立脚点は,ヘーゲルには見出すことができない.ヘーゲルとは別の思想家を経由する必要がある.もちろん若きマルクスフォイエルバッハ人間主義に影響を受けており,そのフォイエルバッハヘーゲル哲学「批判」をマルクスヘーゲル法哲学「批判」よりも先に著していることは重々承知している.しかしマルクスエスプリに富んだ「批判」の仕方は,同時代のいわゆるヘーゲル左派(Hegelsche Linke)の「批判」の仕方とは明らかに違っている*3.むしろここで注目したいのは,思想史における「批判」のもっと大きな流れのことである.

 例えば,フォイエルバッハヘーゲル哲学「批判」の方法は,逆さまにされていた主語と述語を転倒させるというものであった.しかしこれはその内容とは裏腹に形式論理的な批判に過ぎず,素材を抜きにした単なるクリティカに過ぎなかった.これに対してマルクスフォイエルバッハのようなクリティカだけでは空疎な批判に陥ることに気付き,『独仏年誌』(1844年)以降,古典派経済学や人間社会に関する事柄を分野横断的にその生涯にわたって学び,現実的な問題の場所を発見すること,すなわちトピカを重視した(マルクスエンゲルスの『状態』を評価するのもこの観点からであろう).こうした点が,マルクスと他のヘーゲル左派との大きな分岐点になったのではないかと思われる.

 尤もマルクスヴィーコに言及しているのは,『資本論』(Das Kapital, 1863年)の一箇所とラサール充手紙(1862年4月28日)だけであるという(木前2008:8).しかし,もしマルクスの「批判」の源流がこのようにヴィーコに見いだされるとしたら,なんとも面白くはないだろうか.

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文献

*1:「哲学 Filosofia 」と「文献学 Filologia 」については次の箇所も参照のこと.「哲学道理〔理性〕観照し,そこから真実なるものについての知識が生まれる.文献学人間の選択意志の所産である権威を観察し,そこから確実なるものについての意識が生まれる./この公理は,後半部分にかんして,文献学者とは諸言語およびにあっての習俗法律にあっての戦争講和同盟旅行通商などの双方を含めた諸国民の事蹟の認識に携わっている文法家歴史家批評家の全体のことである,と定義する.」(Vico1744: 75-76,上村訳(上)165頁).

*2:キケロは『トピカ』で次のように述べている.「およそ議論のための厳密な方法は二つの部門,つまり一は発見(invenire)の部門,他は判断(iudicare)の部門からなり,私が思うに,アリストテレスがこの両部門の創始者であった.ところがストア派は後者の部門だけに関心を寄せてきたにすぎない.実際,ストア派は,彼らが弁証術(dialektike)と呼ぶ学において,判断の方法だけに専心してきたのである.しかし,トピカ(topica)と呼ばれる発見の術の方が,実用に役立つだけでなく,自然の秩序において先行するにもかかわらず,彼らはこれをまったく無視してきたのである.」(キケロ2010:21).

*3:フォイエルバッハに影響を受けていた頃のマルクスの〈批判〉と〈方法〉については荒川2013をみよ.