まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

現状と課題

 最近は仕事上の課題が立て込んでおり、おそらく再来週までは、とてもじゃないが落ち着いて哲学など出来る状態ではない。

 仕事上の課題とは、通常業務に関するものではなくて、今後のターニングポイントになり得るような私個人のキャリアに関わることである。今週末までにはそのスライドを作成しなければならない。しかし、そのスライドが上手くいっていないように感じている。

 この上手くいかなさは既視感がある。修論を書いていたM2の頃のことだ。若きマルクスの草稿『ヘーゲル国法論批判』をテクスト内在的に何度読み返しても、ヘーゲルに対するマルクスの浅薄な批判しか読み取ることができなかった。ことがらの悪い点を見出すことよりも、良い点を見出すことの方がより難しいと言われる。だが、マルクスの肯定的な部分を取り出そうとしても、当時の私にはどうしてもそれができなかった。解決策が見えないままM3になった。

 結局、修論が上手くいかないことで就活を始めたことは良い気分転換になったし、後輩の影響で読み始めたアーレントの『人間の条件』は目から鱗が落ちるほど、修論を進めるためのきっかけになった。上手くいかなかった歯車が回り始めた。

 最終的に修論では、マルクスヘーゲル批判に肯定的な部分を見出すことができないことを率直に書く内容になった。それはもちろんマルクスの批判の論理を理解した上で、それでも自分が同意できない議論を明確化する作業だった。マルクスを批判することは私自身の中で勇気のいる作業であったし、その作業と同時に、マルクスを研究対象としたことに対して父親から繰り返し強く非難され続けねばならなかったことは、その後今の会社で働き始めた後もしばらく精神的な不調を来す原因になった。

 話を戻すと、今の私は、M2の頃に上手く修論が書けなかったのと同じような状況にあり、根本的に方針を変えないとおそらく失敗するであろうという既視感を抱いている。幸いまだ日にちがあるが、おそらくなるようにしかならないだろう。

 M2の頃の私には「このテクストが分からない」ということがすでに分かっていた。「分からない」ということが答えだったのだ。答えにはもう気づいているはずなのだから、あとはその答えを受け入れられさえすれば良いのだと思う。