目次
著作の観念(承前)
ゼノンの運命論(宿命論)とエピクロスの原子論
続きです。
![]()
神の摂理の光線は、形而上学が胸の飾りにしている凸面の宝石を照らしている。これは、傲慢な才気によっても卑賤な肉体的快楽によっても汚濁されていない清澄で純粋な心をここ〔本書〕では形而上学はもつべきであることを指し示している。前者の傲慢な才気によってゼノンは運命〔宿命〕を生み出し、後者の卑賤な肉体的快楽によってエピクロスは偶然を生み出した。そして、両者は、このために神の摂理の存在を否定してしまったのであった。
(Vico1744: 4-5, 訳: 上23頁)
ここで2人の哲学者が登場します。ギリシアの哲学者ゼノンとエピクロスです。
まずゼノン(キティオンのゼノン、紀元前335-263年)はいわゆるストア派の創始者として知られており、彼の言葉に「運命(πεπρωμένο)に従っていっさいは生ずる」というものがあるそうです。『すべては超越的な力によって左右されている』というこうした考え方は「運命論」や「宿命論」等と呼ばれています。
次に、ここでヴィーコが言及しているエピクロスの生み出した「偶然 Caso 」とは、彼の原子論に関係があります*1。エピクロスはデモクリトスの原子論を継承しましたが、デモクリトスの原子論が決定論的であったのに対して、エピクロスにはいわゆる「クリナメン」、つまり原子の〈逸れ〉という考え方があったとされています*2。もっともエピクロス自身の著作は散逸しており、彼の思想が伝わったのはディオゲネス・ラエルティオスやルクレティウスらの著作を通してであります。
ところでヴィーコは「後者〔の卑賤な肉体的快楽〕によって col secondo エピクロスは偶然を生み出した」と述べていますが、「快楽 piacere 」と「偶然 caso 」を結びつけているのは何故でしょうか。エピクロスの原子の〈逸れ〉という考え方は、従来の決定論的な考え方を退け、人間の「自由意志 libera voluntas 」の肯定につながりました。この「意志 voluntas 」という語は「快楽 voluptas 」という語と「アルファベット一文字の違いでしかない」(中金2017: 5)という点で似ており、この点でエピクロスの原子論がかれ固有の快楽主義(とっても彼は肉体的快楽の追求を称揚したのではないのですが)と密接な関係を持っている可能性があります。
ヴィーコは『新しい学』の中でストア派のゼノンやエピクロスを次のように批判しています。
![]()
![]()
だから、この学は、それの主要な面のひとつとしては、神の摂理についての悟性的に推理された国家神学でなければならない。このような学がこれまで欠如していたように見えるのは、哲学者たちがストア派やエピクロス派のように神の摂理の存在をまったく知らずにきたからである。エピクロス派は、原子の盲目的な競合が人間たちの諸事万般を掻き立てているのだと言い、ストア派は原因と結果の隠れた連鎖がそれらを引きずっているのだと言う。あるいはまた、神の摂理を自然的事物の秩序にかんしてのみ考察してきたからである。このため、かれらは形而上学を〈自然神学〉と呼んで、これのなかでこの神の属性を観照し、天球や四大〔天・地・火・水の四大元素〕などのような物体の運動において観察される形而下の秩序によって、また、他のもっと小さな自然的事物にもとづいて観察される究極原因のうちに、神の摂理を確認してきたのであった。しかし、かれらは神の摂理を国家制度にかんすることがらの領域においても推理すべきであったのである。
(Vico1744: 120-121, 訳: 上262〜263頁)
ヴィーコは、彼らが自然学の方面にばかり目を向けて、国家社会の事柄にかんしては「神の摂理」を考察してこなかったからだといいます。こうした観点は「著作の観念」冒頭の「哲学者たちはこれまでずっと神の摂理を自然界の秩序のみをつうじて観照してきたので、ただたんにそれ〔神の摂理〕の一部分をしか論証してこなかったのであった」(Vico1744: 2, 訳: 上18頁)という箇所にも通じています。
〈私的なもの〉の表現としての「平面」と〈公的なもの〉の表現としての「凸面」
![]()
さらにはまた、それは、これまで哲学者たちがおこなってきたように、神の認識が形而上学のところで終止してしまって、形而上学が自分だけ私的に知的なことがらによって照らし出され、ひいては、ただたんにおのれひとりの道徳的なことがらだけを統御するようなことになってはならないことをも指し示している。もしそれだけでよいのなら、平らな宝石で表示されていただろう。ところが、宝石は凸面で、光線はそこで反射して外部に拡散している。これは、摂理を立てている神を形而上学は公共的な道徳的なことがら、すなわち、諸国民がこの世に登場し自己を保存してきたさいに手立てになっている国家制度的な習俗のうちに認識するのでなければならない、ということなのである。
(Vico1744: 5, 訳: 上23頁)
ここで注目すべきは宝石の形状です。形而上学が身につけているのは、「平らな piano 宝石」ではなく「凸面の conversso 宝石」だと述べられています。「平ら」と「凸面」の形状の違いはどこにあるのでしょうか?
宝石の平らな形状は、自己の私的な領域のうちに閉じこもってしまうこと、いわば物事を矮小化してしまうことの表現です。それは「自分だけ私的に知的なことがらによって照らし出され、ひいては、ただたんにおのれひとりの道徳的なことがらだけを統御するようなこと」だとされています。
これに対して宝石の凸面の形状は、外に広がっていくこと、公的な事柄の表現です。「宝石は凸面で、光線はそこで反射して外部に拡散している。これは、摂理を立てている神を形而上学は公共的な道徳的なことがら、すなわち、諸国民がこの世に登場し自己を保存してきたさいに手立てになっている国家制度的な習俗のうちに認識するのでなければならない、ということなのである」。この箇所をよく読むと、道徳には二種類あることがわかります。一つは前者の〈私的な道徳〉であり、もう一つは後者の〈公共的な道徳〉です。口絵の形而上学が身につけている宝石は凸面状ですので、〈公共的な道徳〉を志向する表現となっています。
ヴィーコは、スコラ哲学のように社会から引きこもって自己内反省することで神を観照するような仕方を退けているわけで、そういったやり方ではなくむしろ社会の「習俗」のうちに神を観照するという方法を採用するわけです。ですので「哲学者たちがおこなってきたように」という箇所で批判されているのはスコラ哲学者の形而上学だとも言えるのであり、ヴィーコはここでいわば〈社会-形而上学者〉のような立場をとるわけです。