まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ホッブズ『リヴァイアサン』覚書(6)

目次

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ホッブズリヴァイアサン』(承前)

序説(承前)

人びとを読むことは可能か

第一に関しては、賢明さ Wisdome は、書物を読むことによってではなく、人びとを読む〔知る〕ことによって獲得されるのだという格言が、近ごろおおいに利用されている。そのけっかとして、互いに相手の背後で無慈悲に非難しあうことによって、自分が人びとのなかに読みとったとおもうことを示して、おおいによろこんでいる人びとがあり、こういう人びとは、その大部分は、そうするよりほかに、賢明であることの証拠を提出することができないのである。

(Hobbes1651: 2, 訳38〜39頁)

「第一に関しては Conderning the first 」というのは、前回見た「第一に、それの素材製作者、それらはともに人間 Man である」という箇所に関してということであり、つまり第一部のテーマである「人間」に関して、ということであろう。

 ただ書物を読むのではなく、人間を書物のように読んで知ることで賢くなれるという諺があるかどうかは寡聞にして知らない。アリババ創業者のジャック・マー(馬雲)は「人は一冊の読みごたえのある本だ。私にとって2万4000人の社員は2万4000冊の本である」(張燕『ジャック・マー アリババの経営哲学』ディスカヴァー・トゥエンティワン)と述べたというが、ホッブズが引いている諺はちょうどジャック・マーのこの考えに近いといえる。その諺は要するに、本を読んで知識を得ているだけではだめで、実際の生きた人びとに目を向けた方がよっぽど賢くなれるよ、ということを主張しているように思われる。

 しかしながら、この諺の見解に対してホッブズは批判的である。というのも、ある人が他人のうちに読み取ったと思い込んでいるものは、実際に読み取られたその人自身でなければそれが真実かどうか分からないからである。こうなると『そもそも人びとを読むことは可能なのか』という疑問が生じてくることになるだろう。そしてホッブズは『人びとを読むことが不可能である』という立場から、推論の出発点を自分自身のうちに向けるのである。

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