まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ジャック・デリダ『弔鐘』覚書(2)

目次

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ジャック・デリダ『弔鐘』(承前)

(左)ヘーゲル

デリダの問い

 Qui, lui?

 誰か、彼とは?

(Derrida1974: 7,鵜飼訳(1)249頁)

この問いは一見すると自明であるように思われる。なぜなら、ここで「彼 lui」とはヘーゲルに他ならないからである。どうしてデリダはこのような奇妙な問いを発したのであろうか。しかしデリダに言わせれば、その一見すると自明な問いが奇妙なのではなく、「彼〔ヘーゲル〕の名がとても奇妙」なのだという(後述)。

(右)ジュネ欄

〈残余〉とは何か

     Comme le reste.

 残余と同じく。

(Derrida1974: 7,鵜飼訳(1)248頁)

ここで「残余と同じく」とはどういう意味であろうか。これは、二つに分かれた『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げ棄てられた一幅のレンブラントから残ったもの』(Ce qui est resté d’un Rembrandt déchiré en petits carrés bien réguliers, et foutu aux chiottes)が、それ自体、残余と同様の役割を果たすということだろうか。

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