まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヘーゲル『美学講義』覚書(1)

はじめに

 本稿ではヘーゲル『美学講義』(Vorlesungen über die Aesthetik)を取り扱う。

 ジャック・デリダJacques Derrida, 1930-2004)はその代表作『弔鐘』の中でヘーゲル『美学講義』の一節を参照している。筆者もまたデリダ『弔鐘』を解釈している最中*1であるが、その際にヘーゲル『美学講義』の解釈を同時に示すと煩瑣に過ぎるように思われたので、ヘーゲル『美学講義』のテクストに内在した読解をここに独立して設けておくことにした。

ヘーゲル『美学講義』

(最初のヘーゲル『美学講義』は『ヘーゲル全集』第10巻に収められ、1835年から1838年にかけて3分冊に分かれて出版された)

 一般的に流通しているヘーゲルの『美学講義』は、第一に聴講者H. G. ホトーの手によって編纂されたテクストであり、そのために近年では「歪曲されたテクスト」とも言われている。近年のヘーゲル研究では、最初期の『ヘーゲル全集』のように各年度の講義録を一つに統合する傾向に反して、ヘーゲルの各講義録に内在して、年度ごとのヘーゲルの思想の深化と差異とを詳らかにする傾向にある*2

ヘーゲルの『美学講義』には、これまで、ホトーが編集した第一版(1835〜18381年)と第二版(1842〜1845年)、ラッソンが編集した版(1931年)があった。これらはすべて、ヘーゲルベルリン大学で行った複数の学期の『美学講義』の筆記録を、複数の学生から編者が寄せ集めて作り上げたものである。竹内敏雄訳のヘーゲル『美学』(岩波書店)も、長谷川宏ヘーゲル『美学講義』(作品社)もそれらの版をもとにしている。しかし今日では、ヘーゲル『美学講義』あるいは『芸術哲学講義』は、学生の筆記録が各学期ごとに編集され、新しい『ヘーゲル全集』に収められることになっている。

ヘーゲル2017: ⅲ)

(つづく)

文献

*1:筆者のデリダ『弔鐘』解釈については拙稿「ジャック・デリダ『弔鐘』覚書」を参照されたい。

*2:ヘーゲル講義録の編纂問題に関しては、拙稿「ヘーゲル『世界史の哲学』講義録における文献学的・解釈学的問題」(2018年)を参照されたい。