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ジャック・デリダ『弔鐘』覚書(11)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

ジャック・デリダ『弔鐘』(承前)

【左】ヘーゲル

インドの男根柱

     Deuxième passage: la colonee phallique de l'Inde. L'Esthetique en décrit la forme au chapitre de l'Architecture indépendante ou symbolique. Elle se serait propagée vers la Phrygie, la Syrie, la Grèce où, au cours des fêtes dionysiaques, selon Hérodote cité par Hegel, les femmes tiraient le fil d'un phallus qui se dressait alors en l'air, « presque aussi grand que le reste du corps ».

 第二の移行=件り。インドの男根柱。『美学』はその形式を、「独立的ないし象徴的建築」の章で叙述している。この男根柱はのちにフリュギア、シリアへと伝播し、ヘーゲルが引用するヘロドトスによれば、ギリシャでは女たちが、ディオニュソス祭の最中に、男根柱に付けた紐を引っ張って練り歩き、そのときこの「胴体と同じほど大きな」男根柱は突っ立っていたという。

(Derrida1974: 8-9,鵜飼訳(1)245頁)

デリダはここ「第二の移行」で、ヘーゲルの『美学講義』(Vorlesungen über die Aesthetik)を参照している*1

 最初のヘーゲル「美学」講義録である「1820/21年冬学期のヘーゲル美学講義(アッシェベルクとテルボルクの筆記録)」(邦訳:ヘーゲル『美学講義』寄川条路監訳、法政大学出版局、2017年)には「男根柱」の件りはまだ登場しないが、そもそもこの講義録が出版されたのが1995年であるから、『弔鐘』が出版された1974年当時のデリダが読めるはずがなかった。

 デリダが読み得たヘーゲル『美学講義』は、ホトー版かラッソン版に他ならない。そのため、近年の講義録の編纂問題というものは、デリダ自身のヘーゲル解釈には反映される余地がなかった。ではデリダが参照したテクストはホトー版とラッソン版のどちらであろうか。

 一応デリダがここでどこまでヘーゲルのテクストをパラフレーズしているのか、していないのかを明らかにするために、元ネタであるヘーゲル『美学講義』のテクストに当たってみよう。「(a)男根柱など」の項の冒頭から引用する。

(a)オリエントでは、自然の普遍的な生命力、つまり精神性や意識の力ではなく、生殖の生産的な暴力がしばしば強調され、崇拝されていたことは、象徴的な芸術形式についてすでに述べたとおりである。特にインドでは、この崇拝は一般的なものであった。それはまた、豊穣の、偉大な神々〔Μεγάλοι Θεοί〕の図像のもと、フリュギアやシリアにも及び、ある表象は、ギリシア人でさえ取り入れている。より卑近なものでは、自然の普遍的な生産力に対する考え方が、ファルスやリンガム*2という動物的な生殖器の姿で表現され、神聖視された。

(Hegel1837: 279、強調引用者)

デリダの述べる「この男根柱はのちにフリュギア、シリアへと伝播し」という内容が上の引用の中に見つかるであろう。ちなみにヘーゲルがインドに言及する際、彼はヘロドトス『歴史』だけでなく、クロイツァーの『象徴学』*3をはじめとするオリエント学——当時でいう最先端の文献——を参照していることが、近年の研究から明らかとなっている*4

(つづく)

文献

*1:ヘーゲル『美学講義』に関しては拙稿「ヘーゲル『美学講義』覚書」を参照されたい。

*2:「インドでは「男根」の意味の「リンガム」や女性の「外陰部」の意味の「ヨニ」は崇拝の中心になる。現在インドでは多くの神々の中で一番人気のあるシバ神の神殿の聖なる場所で神体として「リンガム」が拝められている、その近くには必ず女性の本源シャクティの象徴「ヨニ」が一緒に信者の崇拝を受けている。西洋の世界では、「リンガム」や「ヨニ」のような物を神とすること、または、神と関係あることは、タブー以上に冒涜になる。」(芸林2004: 1)。

*3:クロイツァーの『象徴学』について詳しくは中村2006を参照されたい。

*4:ジョン・スチュワート(Jon Stewart)はヘーゲルがクロイツァーの『象徴学』を援用した点を「オリエンタリズムの勃興」と批判している(Stewart 2013)