まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

ヘーゲルと仏教

はじめに

 あらかじめ断っておくが、ここで「ヘーゲルと仏教」について何かが明らかになるということではない。ここでは筆者自身が『「ヘーゲルと仏教」というテーマ設定もアリだな』と思えるようになったということを、ただ単に書き留めておくに過ぎない。

 「ヘーゲルと仏教」というテーマ設定は、筆者自身にとって、以前は「見えていながら見えていなかった」図式である。

 単純な話、ヘーゲル自身がインドに言及しているのだから、この路線はアリだと思う(ここでは「インドには仏教がある」ということを前提としている)。だが、この路線は直接的には進むことができない。というのも、仏教以前に、まずはヘーゲル哲学と向き合わざるを得ないからである。ヘーゲルは「哲学の百科全書」を掲げる思想家であるから、切り口はどんな学問分野でも「イケる」のだが、それゆえに読み手側の学識の広さと深さが相応以上に要求される。

「見えていながら見えていなかった」図式

 「見えていながら見えていなかった」図式とはどういう意味か。アカデミズムという制度内でテーマ設定をするとなると、経験上「キワモノ」扱いされるようなテーマ設定はやりにくくい。一昨年、近藤俊太郎『親鸞とマルクス主義 闘争・イデオロギー普遍性』(法蔵館、2021年)という著作が出版されたが、「親鸞マルクス主義」というテーマ設定を駆け出しの院生が行うのは難しいであろう。その理由は、「親鸞」と「マルクス」との間には、地理的にも時間的にも大きな隔たりがあると同時に、「親鸞」と「マルクス主義」だけでもテーマとして大き過ぎるからである。そういう「大きな」テーマ設定は、狭いテーマ設定が良しとされるアカデミズムでは回避される傾向にある。そういうメンタリティが支配的になると、「ヘーゲルと仏教」という大きな図式の中で試しに思考してみるということも減ってくる。

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大川周明ヘーゲル批判

 勿論、これまで「ヘーゲルと仏教」について考えた人がいなかったわけではない。

 例えば、戦後の東京裁判東條英機の頭を叩いたことで右翼に有名な大川周明(1886-1957)は『安楽の門』(1951年)の中でヘーゲルインド哲学に関連して次のように述べている。

 私が初めてヘーゲルを読んだ時、十分に納得は出来なかつたけれど、成程左様でもあろうかと思つたが、其後印度哲学を勉強し、また大乗仏教を玩味するやうになつてから、東洋の宗教では無限のみが高調されて、人間が無に帰して居るといふ断案は、彼の不完全なる印度研究から来た間違つた独合点であることを知つた。印度の波羅門が既に奥義書時代に於て「我即ち梵」と道破せることは、ヘーゲルの謂はゆる「有限者の本質として無限者を最も明確に認識せるもの」でなければならぬ。仏陀の「天上天下唯我独尊」また同然である。其上に婆羅門教は言ふまでもなく、法相・三論・天台・華厳などの仏教諸宗は、ヘーゲルの絶対即ち「真如」を或は認識論的に、或は形而上学的に闡明することに主力を傾けて居るから、ヘーゲルの立場からすれば、之を宗教とふよりは寧ろ「絶対者の本質と合致する思惟の形式」を取るもの、即ち哲学と呼ばねばならぬこととなる。

大川周明「安楽の門」、『大川周明全集』第1巻、大川周明全集刊行会、1961年、784頁)

ここで大川周明は、自身の学んだインド哲学の見識をもって、ヘーゲル自身のインド哲学理解の一面性を指摘している。ヘーゲルの「歴史哲学」からすれば「東洋」は自由の発展段階の未熟な状態であるから、その宗教である仏教などもまた「哲学」よりも手前の未熟な段階に位置付けられている。大川はそのようなヘーゲルを批判している。

 ちなみに、何故筆者が大川周明のこんな一節を知っているのかといえば、もう10年以上も前になるのだが、筆者が大学生の時に、親戚に二松学舎大学を出て右翼思想の研究を個人的に行っていたおじさん(筆者の父方の祖父の弟にあたる)が老衰で亡くなったことがあったからである。筆者はそのおじさん本人と生前に会うことはなかったのだが、彼の遺した大量の文献(大川周明以外には石原莞爾経書だとかそういった類の第二次世界大戦までに関わる大量の書籍)を処分すべく、筆者はひとりで神保町の古書店へ交渉する役割を担わされた。その際、比較的綺麗な状態であった『近代日本思想大系21 大川周明集』は売らないで自宅に持って帰ってきたのである。

(未完)