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ヘーゲル『宗教哲学講義』覚書(1)

目次

はじめに

 本稿ではヘーゲル宗教哲学講義』(夏学期1827年、GW版2021年)を読む。

 ヘーゲルの『宗教哲学講義』は、我々にとってヘーゲルのテクストの中でも最も取っ付きにくいものの一つである。「我々にとって」というのは、西洋の宗教(すなわちキリスト教)を土着の宗教として持たない我々日本人として、という意味である。しかし、ヘーゲルを真の意味で理解するためにはヘーゲルの『宗教哲学講義』を避けて通ることはできない。というのは、ヘーゲルのバックボーンは間違いなく神学、すなわちテュービンゲン神学校における神学教育にあるからだ。

 とりわけヘーゲル左派との関連で、ヘーゲル宗教哲学講義』が持っているポテンシャルを把握することは重要である。D. シュトラウスの『イエスの生涯』(1835-36年)は後のヘーゲル左派運動につながる重要な契機となったが、彼はそれ以前にヘーゲル宗教哲学講義』の要約を1831年に記している*1。B. バウアーはヘーゲル宗教哲学講義』の編纂に携わった(ベルリン版『ヘーゲル全集』第二版、1840年)。L. フォイエルバッハヘーゲル哲学における神学的特徴を捉えて、次のように述べている。「ヘーゲル哲学を放棄しない人は、神学を放棄しない。」「ヘーゲル哲学は、神学の最後の隠れ家であり、最後の合理的な支えである。」(『哲学改革のための暫定的命題』1843年)。

いわゆる「マールハイネケ版」『ヘーゲル宗教哲学講義』初版、フィリップ・マールハイネケ編、第1巻、ベルリン、1832年(所収:故人の友の会による『ヘーゲル全集』第11巻)。

いわゆる「マールハイネケ版」『ヘーゲル宗教哲学講義』初版、目次。

  • 序文
    • A. 宗教哲学の一般的概念
    • B. 事前の諸問題
    • C. 区分
  • 第一部:宗教の概念
    • 神について
    • 宗教そのもの
      • 感情の形式
      • 表象の形式
      • 思惟の水準
    • カルト〔祭祀〕
      • カルトの概念
      • カルトの規定性
      • カルトの個別の諸形式
  • 第二部:規定された宗教
    • 区分
  • 第一編:自然宗教

いわゆる「バウアー版」『ヘーゲル宗教哲学講義』第二版、フィリップ・マールハイネケ編、第1巻、ベルリン、1840年(所収:故人の友の会による『ヘーゲル全集』第11巻)。

いわゆる「バウアー版」『ヘーゲル宗教哲学講義』第二版、目次。

  • 序文
    • A. 宗教哲学がその前提と時代の諸原理に対してもつ関係
      • I. 自由な、つまり世俗的な意識と宗教との分裂
      • II. 哲学と宗教に対する宗教哲学の立場
        • 1. 哲学が宗教一般に対してもつ関係
        • 2. 宗教哲学が哲学の体系に対してもつ関係
        • 3. 宗教哲学が実定宗教に対してもつ関係
      • III. 宗教の哲学が宗教的な意識の時代原理に対してもつ関係
        • 1. 哲学と特定の教理の現代的な無関心
        • 2. 教理の歴史的取り扱い
        • 3. 哲学と直接知
    • B. 事前の諸問題
    • C. 区分
  • 宗教哲学:第一部
    • 宗教の概念

 いわゆる「マールハイネケ版」(1832年)と「バウアー版」(1840年)の目次を比較していただくとわかるように、「バウアー版」の方が「序文」の内容目次を詳しく展開していることがわかる。編纂が杜撰だとか、マルクスからは問題の立て方が悪い(マルクスユダヤ人問題によせて』)等、何かと批判されがちなブルーノ・バウアーであるが、目次に関して言えばヘーゲル宗教哲学の実態に即した内容目次に仕上げようとしていたように筆者には思われた。

ヘーゲル宗教哲学講義』

 ドイツ語テクストは2021年に出版されたGW(故ヴァルター・イェシュケ編)を底本とし、邦訳は山﨑純訳(講談社、2023年)を適宜参照する。山﨑純訳『ヘーゲル宗教哲学講義』は2001年に創文社から出版された。今年講談社学術文庫から出版されたバージョンでは、知泉書館ヘーゲル全集をはじめ新たな文献が挙げられているが、管見の限りでは訳文はGW(2021年)のテクストに従っていない。そのため、以下で引用する際の訳文は、山﨑訳を基本としつつ、筆者が改めて訳出した。

序文

宗教哲学のコンテクスト

     Die Religion ist unser Gegenstand; - und was zunächst zu bemerken ist, die Beziehung der Religonsfilosofie auf die Filosofie überhaupt, und die Beziehung einer Religonswissenschaft besonders auf die gegenwärtigen Bedürfnisse der Zeit. - Zuerst sind diese ganz allgemeinen, mehr die Vorstellung betreffenden Verhältnisse der Religionswissenschaft zu berucksichtigen; vor Allem daran zu erinnern, welchen Gegenstand wir in diesem Theile der Filosofie zu betrachten haben.

 宗教が我々の対象である。そして真っ先に注意されるべきは、宗教哲学が哲学一般に対してもつ関係であり、そしてとりわけ宗教学が時代のもつ現代的な要求に対してもつ関係である。まず第一に、表象にかかわる宗教学の、こうしたまったく普遍的な諸関係が考慮されなければならない。そして何よりも、哲学のこの部門〔宗教哲学〕で我々が考察しなければならない対象が何であるかを忘れないように思い出しておかなければならない。

(Hegel2021: 3)

極めて自明なことを述べているように思われるかもしれないが、ここでヘーゲルは重要な点を述べている。「宗教哲学」について語る際に、「宗教哲学 Religionsfilosofie」と「宗教学 Religionswissenschaft」は同じものであろうか?ここでは「宗教が我々の対象である」が、その取り扱い方は哲学的に見た限りでの宗教であって、そうすると細かい宗教用語や儀式の詳細よりも、ヘーゲル独自の用語(規定性や普遍性、特殊性や個別性などといった)概念的に把握された宗教こそが扱われるはずである。

 そして「時代のもつ現代的な要求 die gegenwärtigen Bedürfnisse der Zeit」というところから、ヘーゲルはその時代状況のなかで宗教を考察する意義について考えていたと思われる。ヘーゲルは彼の時代状況の中から何を掴み取り、いかにして自身の宗教哲学講義に活かしたのであろうか。

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文献

*1:シュトラウス1831年11月10日にはじめてテュービンゲンからベルリンのヘーゲルのもとを訪問したが、その四日後にヘーゲルは急逝した。講義を直接聴く機会を永遠に失ったシュトラウスは、なお半年間ベルリンに留まって、聴講生から多くのノートを借り集めて、論理学、哲学史、世界史の哲学、宗教哲学などの講義の抜粋を作った。」(山﨑純「訳者まえがき」、ヘーゲル2023:22)。