マルセル・モース『贈与論 他二篇』(森山工訳、岩波書店、2014年)
純粋な「贈与」と不純な「贈与」
私の仕事は「販売」なのだが、「販売 sales」と「贈与 don(仏), gift(英)」とのあいだには、少なからぬ隔たりがある。企業は「ノベルティ(販促品)」と称して消費者に無料で物を与えるが、これがモースの取り上げる「贈与」と同義かと問われると、そうではないような気がする。何故ならば、「ノベルティ」はそれを通じて消費者による「購入」へと繋げるための一つのプロセスに過ぎず、その限りでは「贈与」であって純粋な「贈与」ではないからである。つまり、それは「購入」を目的としたある種の「囮」なのである。
ここから次の問いが生まれる。
「贈与」には純粋な「贈与」と、そうでない不純な「贈与」の二種類があるのではないか?
純粋な「贈与」と不純な「贈与」の違いは、さしあたり、「見返り」という点にあるのではないか。不純な「贈与」とは、要するにそれによって「見返り」を求めるような「贈与」であって、行為のプロセスが「贈与」それ自体で完結していないが、これに対して、純粋な「贈与」は、その行為がもたらす「見返り」については関知しないような「贈与」である、と。両者はこのように規定できるのではないだろうか。
以上の問いは、モースが語っている「贈与」そのものではない。この点に関して、モースは「贈与論」の中で一体どのように答えているのだろう(答えていないかもしれない)。