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レトリックはいかにして伝わるのか

目次

はじめに

今回は「レトリックはいかにして伝わるのか」というテーマで書きたいと思います。

このテーマで考えるきっかけとなったのは、京都大学教授・大河内泰樹先生の次のツイートでした。

 ここで「話題のバンドの人」とされているのは、いまTwitterで物議を醸しているRADWIMPSのボーカルである野田洋次郎さんのことでしょう。今回反響が大きかったのは彼の次のツイートです。

このツイートのリプ欄を確認していただくとわかるのですが、この「個人の見解」に対して「これはナチスドイツの優生思想だ」という意見が目立ちます。

野田さんの先のツイートがこうした指摘を受けることになったのは、「遺伝子」と「国家プロジェクト」という二つを結びつけたことによると思います。

 

語用論的には何を意味しているか

野田さんは一つ前のツイートで将棋界の藤井聡太さんを褒めています。

このツイートを読む限りで、語用論的には野田さんの先のツイートは藤井聡太さんのすごさを伝えようとしたものと考えられるはずです。

今「語用論的」と言いましたが、語用論とは次のようなものです。

発話の文字通りの意味と、そこに込められた発話の意図(含意)との関係をより正確にとらえようとするのが語用論です。

木原善彦 2020)

野田さんの先のツイートに寄せられた「ナチスドイツの優生思想だ」という批判は、ツイートの文字通りの意味から分析されたものです。

これに対して、一つ前のツイートからツイートの意図(含意)を汲み取ろうとすれば、そういう国家プロジェクトを本気でやろうとするはずもなく、「大谷翔平選手や藤井聡太棋士芦田愛菜さん」を持ち上げるだけの意図にすぎないと思われます。

 

意味と意図の受容のされ方

最初の大河内先生の問いに触発されて、私は発話者と聞き手との間での意味と意図の受容のされ方について、次のような区分を考えてみました。

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意味と意図の受容のされ方

上の四象限によると、発話者と聞き手との間では、文字通りの意味とレトリックを意図したものとは、疎通できているか齟齬が発生しているかという二つの仕方で受け取られることが分かります。(もちろん実際には発話者がレトリックも意図した上でなおかつ文字通りの意味でも書いているということも考えられますので、ちょうど四象限を分かつ境界線上に位置することも考えられます。)

 

レトリックはいかに不/適切に用いられるか

前節でみたレトリックの意図が適切に伝わっているかどうか(疎通できているのか)という問題に加えて、もう一つ、レトリックが社会通念(習俗的な規範 Sittlichkeit )に照らして適切なのかという問題があります。後者は単なる語用論的な問題にとどまらず、むしろ倫理に関わる問題だと言えます。

例を一つ出します。明石家さんまさんが女性をいじる発言をした時、従来はそれほど問題だと思われていなかったことが、昨今のジェンダー認識の高まりとともに不愉快なものとして受け取られるようになってきた。これは、明石家さんまさんの文法(彼の概念のコード、あるいは彼の常識)が、聞き手の文法(聞き手の側の概念のコード、聞き手の側の常識)と齟齬をきたすようになってきたからだと考えられます。この場合、時代とともに変容してきたのは、聞き手の側の概念のコード(常識)であって、明石家さんまさんの持つ概念のコード(常識)が変化したわけではないという点に注意が必要です。発話者の意図はどうであれ、発話された文字通りの意味が、時代とともに変化する習俗的な規範 Sittlichkeit (普遍性)と齟齬をきたすようになったとき、その発話は不適切なものとして取り扱われるのではないでしょうか。

 

文献