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アダム・スミス『国富論』覚書(4)

目次

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アダム・スミス国富論』(承前)

序論および本書の構想(承前)

 またこの供給が豊かであるか乏しいかは,右の二つの事情のうち,後者より前者のほうにいっそう多く依存しているように思われる.狩猟民や漁労ぎょろう民からなる野蛮民族のあいだでは,労働に耐えることのできるものはだれでも,多かれ少なかれ有用労働に従事して,自分自身のために,また自分の家族や種族のなかで齢をとりすぎていたり,あまりにも若かったり,ひどく虚弱であったりして,狩や漁に出かけることのできないような人たちのために,できるだけ生活の必需品と便益品を供給しようと努力する.けれども,そのような民族はみじめなほどに貧しいので,窮乏のあまり,たとえば幼児や老人や長患いに悩む病人を,ときにはじかに打ち殺し,ときには遺棄して,餓死または野獣の餌食にまかせざるをえなくなるほどである.あるいはまた,少なくともそういう必要にせまられている,と思いこむほどである.これに反して,文明が進み繁栄している国民のあいだでは,多数の人々はぜんぜん労働しないのに,このうちの多くの者は,働いている人々の大部分にくらべて一〇倍もの,しばしば一〇〇倍もの,労働生産物を消費する.それでもなお,その社会の全労働の生産物はたいへん豊富なので,すべての人々にたいする供給は豊かな場合が多く,最も低く最も貧しい階層の職人ですら,もしかれが倹約家で勤勉であるなら,どんな野蛮人が獲得できるよりも多くの生活の必需品と便益品の分け前を享受できるほどなのである.

(Smith1789: 2-3,大河内ほか訳およびガルヴェ訳)

ここで重要なことは,国民が享受することができる生活必需品の供給の増大は,有用労働への従事者の多さに比例するのではないという点である.「文明が進み繁栄している国民のあいだでは,多数の人々はぜんぜん労働しないのに」「狩猟民や漁労民からなる野蛮民族のあいだでは,労働に耐えることのできるものはだれでも,多かれ少なかれ有用労働に従事して」いるのである.多く働けば働くほど生活必需品を得られるのではなく,文明化された国民は別の仕組み(この答えを先に述べておくと「分業」である)を有しているから豊かなのである.

savageは「野蛮」か

 ここでは大きく分けて二つのネイションが生産力の観点から比較されている.それら二つのネイションとはすなわち「狩猟民と漁撈民からなる野蛮民族 savage nations of hunters and fishers 」と「文明が進み繁栄している国民 civilized and thriving nations 」のことである.前者は岩波文庫(水田洋監訳)では「未開民族 savage nations 」と訳されている.savageを「野蛮」と訳すべきか「未開」と訳すべきか迷うところである.ちなみに,中村隆之(1975-)はフランス語のbarbareとsauvageの違いについて次のように述べている.

 ところでいま「野生人」という言葉を使ったのには理由があります.フランス語では「野蛮人」を指す"barbare"(バルバール)のほかに"sauvage"(ソヴァージュ)がしばしば用いられるからです.これらの語は,文明を知らない状態にあるん人々を指す点では同じですが,"barbare"が文明言語を話せない人というニュアンスを帯びるのにたいし,"sauvage"は語源的には「森に住む人」を指します.ですから"sauvage"のほうは動物との親近性がある語として解されます.森のなかで未開生活を送る人々,というイメージが典型です.「未開人」ともよく訳されますが,ここでは「野生人」としておきます.

中村2020:37,強調引用者)

中村によれば,古代ギリシャ人が言語を話さぬ異国人のことを「バルバロス」と呼んだことは,古くはヘロドトス『歴史』にみられるという.さらに中村は別の箇所で次のように述べている.

モンテスキューは『法の精神』(一七四八年)で"sauvage"(野生人)と"barbare"(野蛮人)を分類し,前者は狩猟民を典型とし,団結できない小民族,後者は牧畜民を典型とし,団結できる小民族としました.これらの野生/野蛮の段階と対置されるのが文明であり,野生/野蛮の段階にある民族は土地を耕作しないとしました.

中村2020:57,強調引用者)

スミスが先に「狩猟民と漁撈民からなる野蛮民族 savage nations of hunters and fishers 」と述べていることは,モンテスキューのこの分類と重なっているように思われる*1

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文献

*1:アダム・スミスモンテスキュー受容について詳しくは大江2014を参照されたい.「この使用例を『国富論』まで時系列に沿って追ってみると…(中略)…Aノートでは,いずれかといえばタテの歴史4段階論(狩猟,牧畜,農業,商業)の中に位置づけられていたかに見える「狩猟民」ないし「牧畜民」としてのアラブ人・タタール人の特質が,Bノートでは明確にアジアの「民族nation」のそれとして,アテナイやローマあるいはとくに「土地の分割」の有無に関わる「ヨーロッパの近代的諸統治」(Hb73)などとの,いわばヨコの比較論へと移し替えられていることも注目されよう.スミスにおけるモンテスキューの文脈の受容が時を追って進行しているわけである.」(大江2014:96).