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マルクス『資本論』覚書(1)

目次

はじめに

 本稿ではマルクス『資本論』(岡崎次郎訳、大月書店)を読む.

マルクス資本論

 まず『資本論』(初版)の表題紙をご覧いただきたい.

マルクス資本論』表題紙)

資本論』の文字通りの正式なタイトルは『資本:政治経済学の批判』である*1

 マルクスは,『資本論』が『経済学批判』の続編をなすと述べている*2.『資本論』のサブタイトルには,以前の著作タイトルとほぼ同じものが付けられている.

政治経済学の批判

 副題にある「政治経済学の批判」とは一体何であろうか*3.「政治経済学ポリティカル・エコノミー」について,アダム・スミス(Adam Smith, 1723-1790)は『国富論』の中で次のように説明している.

 政治経済学ポリティカル・エコノミーは,政治家や立法者の科学サイエンスの一分野として考えた場合には,二つの明確な目的がある.第一に,国民に十分な収入や食料などの生活物資を提供すること,つまり,より適切にいえば,国民が自分自身で,そのような収入や食料などの生活物資を入手できるようにすることであり,第二に,十分な公共サーヴィスを提供するための収入を,国家ステートないし共和国コモンウェルスにもたらすことである.それが提案することは,国民と統治者の両方を豊かにすることなのである.

 さまざまな時代と国における富裕のさまざまな進歩は,国民を富ませることについて,二つの異なった政治経済学の体系を生み出してきた.ひとつは重商主義の体系,もうひとつは,農業の体系と呼ぶことができよう.

(Smith1789: 138,高訳614頁)

これら「二つの異なった政治経済学の体系」は,『資本論』ではどのように批判されているのだろうか.また「資本」と「政治経済学」はどのような関係にあるのだろうか.こうした点については追って見ていきたいと思う.

タイトルにおける Zur の有無

 『経済学批判』のタイトルにはZurが付いていたが,『資本論』のサブタイトルにはZurが付いていない.はたしてこのZurの有無には何か特別な意味合いはあるのだろうか.大谷禎之介(1934-2019)によれば,この相違点については特別気にするほどの意味はないようである.

独文タイトルは « Zur Kritik der Politischen Oekonomie » である.先頭の zur (zu der)は「に寄せて」という意味だから,この書の英語版のタイトルは “A Contribution to the Critique of Political Economy” であり,フランス語版では « Contribution à la critique de l'économie politique » と訳されている.日本ではこれまで,ほとんどの訳書が,この zur は無視して,たんに「経済学批判」と訳してきた.一九〇四年観光のストウン訳でも,背のタイトルは “Critique of Political Economy” となっている.この扱いは,マルクスが彼の書簡のなかで,「ぼくの『経済学批判[Kritik der Politischen Oekonomie]』」(一八五九年二月一日付ヴァイデマイアー宛の手紙,MEGA Ⅲ-9-294; MEW 29-572)とか,「私自身が刊行した「経済学批判[criticism of political economy]」」(一八六〇年六月二日付ベルラタン・フォン・セメレ宛の手紙,MEGA Ⅲ-11-25; MEW 30-551)とか,「ぼくの批判[Kritik]」(一八六二年八月二〇日付エンゲルス宛の手紙,MEGA Ⅲ-12-212; MEW 30-280)とか,「私の経済学批判[Kritik der Pol. Oek.]」(一八六二年一二月二八日付クーゲルマン宛の手紙,MEGA Ⅲ-12-296; MEW 30-639)と書いているところを見ても,マルクス自身がこの書を,zurなしの『経済学批判』と呼んでもいいと考えていたことがわかるのであり,不当ではないであろう.一八六二年一二月二八日付クーゲルマン宛の手紙のなかでは,『資本』という独立の著作には,著書『経済学批判』と同じ「経済学批判[Zur Kritik der Pol. Oek.]」というサブタイトルを付けるつもりだ,とマルクスは書いたが,マルクスがのちに『資本論』に付けたサブタイトルは,zur のない「経済学批判[Kritik der politischen Oekonomie]」であった.

大谷2019:86-87)

そもそもマルクスが Kritik に Zur を付けていたのは『経済学批判』が初めてではない.『独仏年誌』に載せた「ヘーゲル法哲学の批判のために」(Zur Kritik der Hegel'schen Rechts-Philosophie, 1844)においてすでにそうであった.というよりも,フォイエルバッハが『ハレ年誌』に「ヘーゲル哲学の批判のために」(Zur Kritik der Hegel'schen Philosophie, 1839)というタイトルで載せていたので,マルクスのタイトルセンスは二番煎じというか,実はそれほどオリジナリティはなかったのである.少なくとも『経済学批判』までのマルクスは,1845年のフォイエルバッハ・テーゼの時点ですでにフォイエルバッハを思想的には批判しえたとはいえ,フォイエルバッハのタイトルセンスに関してはまだ引きずっていたといえるかもしれない.

L・フォイエルバッハヘーゲル哲学批判のために」(Ludwig Feuerbach, Zur Kritik der Hegel'schen Philosophie)が掲載された『ハレ年誌』(Hallische Jahrbücher für deutsche Wissenschaft und Kunst, 1839, No. 208.)

資本論』の邦訳者たち

 最初の邦訳者はなぜタイトルの『資本』に「論」を付けたのだろうか.単なる『資本』だけでは素っ気なかったからであろうか.「資本」について論じている書物だから『資本論』にしようと考えたのだろうか.そもそも一体だれが『資本』を『資本論』として邦訳したのだろうか.

 日本語として『資本論』を最初に完訳*4したのは高畠素之(1886-1928)であるが,『資本論』の最初の部分的翻訳を行ったのは安倍磯雄(1865-1949)だとされている.

1867(慶応3)年,カール・マルクスは『資本論』の第1巻を刊行し,その16年後に没した.その『資本論』は、日本において安倍磯雄により初めて部分翻訳がなされ,1909(明治42)年5月から『社会新聞』に6回掲載された.この後,安倍による完訳が行われることはなく,1919(大正8)年に松浦要と生田長江による翻訳がそれぞれ刊行されたが,様々な人々から誤訳の多さを批難されたことにより,翻訳は再び中絶した.そうした中,高畠素之による翻訳が進み,1920(大正9)年6月から刊行が始まり,最終的には1924(大正13)年7月に最後の巻を刊行して,『資本論』全3巻の翻訳を完成させるのであった.

新藤2015:103)

新藤雄介(1983-)によれば,「1909(明治42)年に安倍磯雄の部分訳が始まりながら,『資本論』の全体が日本語で読めるようになるためには,1924(大正13)年の高畠素之による完訳まで,約15年かも引き延ばされてしまった」(同前)のであり,そうしたなかで山川均(1880-1958)の『資本主義のからくり』がよく読まれたのだという*5

 実はここで登場した3人(安倍磯雄・山川均・高畠素之)には共通点がある.それは,かれらが同志社にいたという事実であり,したがってキリスト教を経て社会主義者になったということである.もちろんこうした共通点は偶然なのかもしれないが,当時の同志社が彼らにとってどのような役割を果たしていたのかと興味を抱かせるのに十分である.辻野功(1938-2014)は彼らについて次のように述べている.

安倍磯雄,山川均,高畠素之は,そろって同志社中退生である.もっとも安倍磯雄の場合は同志社英学校正課卒業後,神学科に入学したが,グリーン博士の旧約聖書講義のことから,入学十一日にして親友村井知至とともに退学したのである.この中退生たちは,いずれも第一級の社会主義者である.しかも,彼らがともにキリスト教から社会主義へはいっていったという点で,さらには高畠が初めて完訳した資本論の紹介という点で共通の経歴をもっているのである.

辻野1964:22)

sakiya1989.hatenablog.com

文献

*1:以下では慣例に従って『資本論』と記す.

*2:『経済学批判』の文字通りの正式なタイトルは,『政治経済学の批判のために』(Zur Kritik der politischen Oekonomie, 1859)である.以下では慣例に従って『経済学批判』と記す.

*3:我々が現在呼ぶところの「経済学 Economics」という語は,アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall, 1842-1924)の『経済学の原理』(Principles of Economics, 1890)に由来する.

*4:日本における『資本論』翻訳史について詳しくは斎藤・佐々木2017をみよ.

*5:新藤はこの「部分的に日本語で読んだこともあるが,しかし『資本論』そのものを読んだことはない」期間を「奇妙な事態」と呼んでいるが,しかし『資本論』自体が長い書物であるがゆえに,『資本論』そのものではなくその解説書を読むというスタイルは,カントの『純粋理性批判』の解説書だけを読んで『純粋理性批判』そのものを読まないというように,すでにいくつもの完訳が出回っている現代においても,むしろ顕著な一般的傾向である.したがって,それはさほど「奇妙な事態」ではないのかもしれない.