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ヴィーコ『新しい学』覚書(15)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

著作の観念(承前)

〈新しい学〉における〈権威の哲学〉の側面

続きを読みます。

そうであるから、このいまひとつの主要な面からすれば、この学権威の哲学であることになる。

(Vico1744: 6, 訳: 上26頁)

「この学」すなわちヴィーコのいう〈新しい学〉はいくつかの主要な側面から考察されており、それらの諸側面の一つが「権威の哲学」です。ヴィーコの〈新しい学〉の主要な諸側面については第2巻「詩的知恵」第1部「詩的形而上学」第2章「この学の主要な諸側面についての系」で次のように整理されています。

  1. 神の摂理についての悟性的に推理された国家神学
  2. 権威の哲学
  3. 人間的観念の歴史
  4. 哲学的批判
  5. 永遠の理念的な歴史
  6. 万民の自然法の体系
  7. 世界史の始まり

先の件の引用箇所で最も関わりが深いと思われるのは、「詩的形而上学」の次のパラグラフです。

この権威の哲学神の摂理についての悟性的に推理された国家神学のあとに続いてやってくるのは、神の摂理についての悟性的に推理された国家神学の提供する神学的証拠を受けて、権威の哲学はみずからの提供する哲学的証拠によって文献学的証拠を明晰判明なものにし(この三種類の証拠はすべてすでに「方法」において枚挙しておいたところである)、諸国民の不明瞭きわまりない古代のことどもについて、「公理」において述べておいたように、その自然本性からしてきわめて不確実なものである人間の選択意志を確実なものへと引き戻すからである。これは文献学を知識の形式に引き戻すというに等しい。

(Vico1744: 148, 訳: 上314〜315頁)

ここで〈新しい学〉の主要な諸側面の特徴の一つは、不確実なものを確実なものへと「還元する reduce 」点にあります。古代のことどもが不確実で曖昧であるのは、あくまで近代諸国民のわれわれにとってのことであり、古代人の常識からすればそれは確実なものであったはずです。したがって、〈新しい学〉とは、今となっては不確実になってしまったものを、かつての確実なものへと「引き戻す reduce 」というわけです。

(つづく)

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