目次
ヘーゲル『法の哲学』(承前)
序言(承前)
「以前の論理学」とは何か
以前の論理学の諸形式や諸規則,つまり悟性認識の諸規則を含む定義や区分や推理が,思弁的学問にとって不十分なものであることが,おおよそは認識されるにいたった,あるいはむしろ,認識されたというより感じられるにいたった.そこで,これらの規則はもっぱら足枷として投げ捨てられ,代わって心や空想や偶然的な直観から気ままに語られるようになった.だが,そうはいっても,反省や思想的諸関係もまた登場せざるをえないような場合には,ひとは無意識に,ありふれた推論や理屈づけといった軽蔑すべき仕方にしたがって,ふるまっているのである.
(Hegel1820: ⅴ,上妻ほか訳(上)12〜13頁)
ここでヘーゲルは「以前の論理学」というものに言及しているが,これはつまりヘーゲルの『論理の学』ではなく,それこそアリストテレスにまで遡ることができるような伝統的な論理学を指していると思われる.
では, 「以前の論理学の諸形式や諸規則,つまり悟性認識の諸規則を含む定義や区分や推理が,思弁的学問にとって不十分なものであることが,おおよそは認識されるにいたった」というのは,具体的には如何なる出来事を指しているのだろうか.このような認識にはおそらくカントの批判哲学が大きく関与していると思われる.
そのような伝統的な論理学は「もっぱら足枷として投げ捨てられ,代わって心や空想や偶然的な直観から気ままに語られるようになった」とヘーゲルはいう.むろんヘーゲルは「心や空想や偶然的な直観から気ままに」語ることを支持しない.「ありふれた推論や理屈づけ」も本書の中でヘーゲルは繰り返し斥けるであろう.何故なら,こうした思考様式は,理性的なものからかけ離れているからである.