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ヘーゲル『法の哲学』覚書(6)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

ヘーゲル『法の哲学』(承前)

序言(承前)

『法の哲学』を〈学問〉たらしめる〈形式〉としての『論理の学』

——思弁的知の本性については,私の『論理の学』において詳細に展開しておいたところである.それゆえに,この要綱では,ここかしこで進行と方法とについての説明がつけ加えられるにすぎない.対象の性質が具体的で,それ自身きわめて多様なものであるので,すべての細部の個々一々において論理的筋道を指摘し,顕示するようなことはたしかに省かれている.しかし,それは,ひとつには,こうしたことは,学問的方法が熟知されていることが前提とされるときには, 余計なこととみなされうるからであり,またひとつには,全体が,全体の分肢の形成発展とともに,論理的精神にもとづいていることは,おのずと気づかれることだからである.私は,この論述がこの方面からも理解され,評価されることをとくに望みたい.というのも,この論述において問題になっているものは学問であり,そして学問においては,内容は本質的に形式と結びついているからである.

Hegel1820: ⅴ,上妻ほか訳(上)13頁)

ヘーゲルの『論理の学』(Wissenschaft der Logik)については,『大論理学』と『小論理学』の二種類が存在する.彼の主著である『論理の学』(第1版はHegel1812; Hegel1813; Hegel1816)が,いわゆる『大論理学』である*1.そして『哲学的諸学問のエンツュクロペディー要綱』(Encyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse, 1817. いわゆる『ハイデルベルク・エンツュクロペディー』)のうちに含まれている「論理の学」が,いわゆる『小論理学』である.

 では,ヘーゲルがこのパラグラフで『論理の学』(Wissenschaft der Logik)という言葉によって示しているのは『大論理学』と『小論理学』のどちらであろうか.岩波文庫(上妻精ほか訳)の訳注によれば,「ここでの『論理学』は『大論理学』第1版(Wissenschaft der Logik, Nürnberg, 1812-16)のこと」(ヘーゲル2021:365)であるという.しかしながら,それが『小論理学』ではなく『大論理学』だという根拠は一体何であろうか.『法の哲学』では,『大論理学』と『小論理学』のどちらも,本文中で参照されている.したがって,ここでどちらを指示しているとしてもおかしくないのであるが,ヘーゲルは上で「私の『論理の学』(Wissenshaft der Logik)で詳細に展開しておいた ausführlich entwickelt 」と述べている.ということは,『大論理学』と『小論理学』のいずれかのうちで,よりいっそう「詳細に展開されている」ものこそが上で指示されていると言えるであろう.『大論理学』は三部にわたって詳細に展開されているのであるから,先にはやはり『大論理学』が指示されているとみていいだろう.

 ヘーゲルは「この〔『法の哲学』の〕論述がこの〔ヘーゲル自身の「論理の学」の〕方面からも理解され,評価されることをとくに望みたい」とわざわざ述べているが,『法の哲学』が『エンツュクロペディー』「C. 精神の哲学」の「客観的精神」のうちに位置しつつ,なおかつそれ以上に詳述されたものであることを顧慮するならば,『法の哲学』が「A. 論理の学」を前提しており,その限りで「A. 論理の学」を踏まえて理解されなければならないことは,むしろ自明であると言えるかもしれない.

 上のパラグラフにおいては「学問 Wissenschaft 」と「形式 Form 」が強調されているのだが,これは「論理の学」が『法の哲学』における〈形式〉を支えるものであるからに他ならない.形式と内容の一致こそが〈学問〉を形作るのである.

 であるならば,〈『法の哲学』はいかにして「論理の学」の「論理」に従って理解されるべきなのか〉という問題が,そこから生じてくる.

『法の哲学』における『論理学』

 以下では,『法の哲学』における『論理学』への言及箇所を取り上げる.

 まずヘーゲルは以下のパラグラフで『ハイデルベルク・エンツュクロペディー』における『小論理学』への参照指示を出している.

しかし,この個別性は,個別性ということでよく思い浮かべられるような一なるものとしての直接性においてある個別性ではなく,その概念による個別性である(『哲学的諸学のエンチュクロペディー』112節から114節).

Hegel1820: 19,上妻ほか訳(上)77頁)

ここでヘーゲルが参照指示を出している『ハイデルベルク・エンツュクロペディー』112〜114節は,「小論理学」の「A. 主観的概念,a.)概念そのもの」に該当する.

A. 主観的概念

a.)概念そのもの

Hegel1817: 80)

なおヘーゲルは先のパラグラフの続きでも『論理学』への参照を要求している.

思弁のこの最内奥,自分自身に関係する否定性としての無限性,いっさいの活動や生命や意識のこの究極的な原点を立証し,くわしく解明することは,純粋思弁哲学としての『論理学』に属する.

Hegel1820: 20,上妻ほか訳(上)78頁)

さらにヘーゲルは以下の『法の哲学』§24注解において,再び『ハイデルベルク・エンツュクロペディー』の『小論理学』への参照指示を出している.

 普遍性のさまざまな規定は論理学(『哲学的諸学のエンチュクロペディー』118節から126節参照)のうちにあたえられている.

Hegel1820: 31,上妻ほか訳(上)106頁)

他にも『論理学』に言及した箇所は見出されるが,それはおいおい見ていくことにしよう.

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文献

*1:『大論理学』については,拙稿「ヘーゲル『論理の学』覚書」を参照されたい.