目次
ヘーゲル『論理の学』(承前)
第一版への序文(承前)
奇妙な民族
一方では以前の形而上学の内容に対して,他方では形式に関して,また両方ともに対して関心が失われているというのが事実である.或る民族にとって,例えばその国法の学が役に立たなくなり,その心情,道徳的慣習や徳が無用になった場合,それは奇妙なことである.同様に,少なくとも,一民族がその形而上学を失い,その純粋な本質に携わる精神がもはや現実的な存在を民族のうちに持たなくなった場合,それはおかしなことである.
(Hegel1812: ⅲ-ⅳ,山口訳3頁)
形而上学の〈内容〉と〈形式〉の両方への関心が失われているということは,つまり「形而上学の没落」(Hegel1812: ⅳ,訳4頁)を意味する(次のパラグラフ参照).
ではヘーゲルがここで繰り返し「妙だ merkwürdig 」と述べているのは,一体どういう意味であろうか.ヘーゲルは「国法の学」を例に取っている.「国法の学」とは,すなわち憲法や政治学に関する学問のことである*1.民族が国家共同体である以上,「国法の学」や「その心情,道徳的慣習や徳」といったものは共同体を成立させる諸要素であるから,それらが無用になるということは,まさにその核心となる部分を失ってしまうのと同義である.このような喪失はほんらい目指されるべきではないが,しかし現にそうなってしまっているドイツの現状のことをヘーゲルは「妙だ」と述べているのである.