目次
ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)
富、および諸事物の価値について(承前)
それによってありとあらゆる諸事物が価値を持つところの、二つの一般的な〈使用〉がある。二つの一般的な〈使用〉とは、身体の諸欲求を満たすのに役立つか、または精神の諸欲求を満たすのに役に立つか、そのいずれかである。
(Barbon1696: 2)
ここでバーボンは「身体 Body 」と「精神 Mind 」といういわば心身二元論の立場を採用しつつ、物の「価値 Value 」の源泉を「ふたつの一般的な使用」の観点から考察しようとしている。以下でバーボンは「身体の諸欲求」と「精神の諸欲求」について述べる。
身体の諸欲求
身体の諸欲求を満たすための必要性から価値を有している諸事物は、あらゆる種類の食べ物や自然物のように、生活を支えるのに役立つようなすべての諸事物である。
(Barbon1696: 2)
Life は多義的な語であるため、これを「生命」や「生活」とするか、「生」とするか悩むところである。「身体の諸欲求」は基本的には人間が動物として「生命 Life 」を維持するために必要な活動に関わるものだと考えられる。「生活」とは基本的に衣食住に関わるものであるから、「生活を支えるのに役立つ」ものは様々な物が想起される。
精神の諸欲求
精神の諸欲求を満たすのに役立つことでその価値を有している諸事物は、欲望を充足するようなすべての諸事物であり、(欲望〔Desire〕は欲求〔Want〕を含意している。欲望は精神の食欲であり、身体にとっての飢えと同様に自然なものである)そのような諸事物は、生活の安寧や喜悦や華美に貢献することで、精神を満足させるのに役立つ。
(Barbon1696: 2-3. 下線引用者)
ここでバーボンは「欲望 Desire 」と「欲求 Want 」を区別している。「精神の諸欲求」は「欲望」と呼んだ方が適切だということなのだろう。
だが注意しなければならないのは、「身体の諸欲求」が自然的であるとともに、「精神の諸欲求」=「欲望」もまた「自然的」であるという点である。つまり「自然物 Physick 」によって満たされる「身体の諸欲求」の自然性に対抗するものとして「精神の欲求」を対置してしまいそうになるが、バーボン的にはどちらも「自然的」である。だからこそバーボンは「欲望」を「精神の食欲 Appetite 」にたとえ、「欲望は欲求〔の自然性〕を含意している」というのである。
ちなみにマルクスは『資本論』の注(Marx1867: 1)で、上の下線部の箇所から引用している*1。
文献
- Barbon, Nicholas, 1696, A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter, IN Answer to Mr. Lock's Confiderations about raising the Value of Money, London.(京都大学貴重資料アーカイブ, 京都大学法学研究科所蔵, 2018年)
- Marx, Karl, 1867, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, Erster Band, Buch 1: Der Produktionsprocess des Kapitals, Hamburg.
*1:拙稿「マルクス『資本論』覚書(4)」。