目次
ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)
富、および諸事物の価値について(承前)
ひとびとは何によって格差をつくるのか
これら二つの一般的な諸欲求を満たすことで、あらゆる種類の諸事物はある価値を有している。だが、それらの諸事物の中でも最も多くのものは、精神の諸欲求を満たすことでその価値を有している。最も価値のある諸事物は、あらゆる種類の高級カーテン・金・銀・真珠・ダイヤモンド、そしてあらゆる種類の宝石などのように、生活の華美を飾るために使用される。それらの諸事物は、装飾したり着飾るために使用される。それらは富の
徽章 であり、それらはひとびとの間で選好の格差 をつくるのに役立つ。(Barbon1969: 3)
バーボンによれば、 欲求には「身体の諸欲求」と「精神の諸欲求」とがあり、これらの欲求を満たす物はそのほとんどが「精神の諸欲求」を満たすものである。
「あらゆる種類の高級カーテン・金・銀・真珠・ダイヤモンド、そしてあらゆる種類の宝石」といったものは、近代経済学では「奢侈品 luxury goods 」と呼ばれるものである。経済学では、「正規財 normal goods 」は「需要の所得弾力性 income elasticity of demand 」におうじて「奢侈品 luxury goods 」と「必需品 necessity goods 」の二つに区別される。
バーボンの考察は、こうした近代経済学の観点とは異なり、アクセサリーをそのシンボリックな効果から理解するのに役立つ。アクセサリーは個人の特徴を引き立てるために身に着けるものである。アクセサリーにはその人の「選好 Preference 」が反映されており、それが他人との「違い distinction 」をなしている。バーボン自身は論じていないが、身に着けるアクセサリーによるこうした「違い」は、富者と貧者といういわば〈階級〉間の「格差 distinction 」を示すものでもある*1。
これら二つの一般的な諸欲求は、人類が生まれつき持っているものであり、人類にとってごく自然なものであるため、人類は自らの享楽するものよりも、むしろ自らの欲するものによって、よりいっそう区別される。貧しい男は一ポンド、金持ちの男は百ポンド、他の者たちは数千ポンド、或る君主は、数千万ポンドを欲する。欲望と欲求は富とともに増大する。そして、そこからいえるのは、満足した男こそが唯一の
富豪の男 である、なぜなら彼は〔これ以上〕何も欲しくないのだから、ということである。(Barbon1696: 3)
上では Man を敢えて「男 Man 」と訳した。今日のジェンダー学の観点から言えば、「人 Man 」といってもその背後にはやはり「男 Man 」が観念されているであろうと思われるからである。
「満足した男こそが唯一の富豪の男である」という逆説は、一見すると突拍子もないものであるように思われる。が、貧者が富者になったところで「欲望と欲求は富とともに増大する」のであるから、欲望や欲求を満足させるためには、より多くの物が必要となってくる。そうして肥大化した欲望や欲求を満足させるほどに十分な環境にいるならば、そのときこそ彼は本当に「富豪の男 Rich Man 」だといえるわけである。