目次
マルクス『資本論』(承前)
第一部 資本の生産過程(承前)
〈現象〉としての「量的関係」
(1)ドイツ語初版
交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶,時間と場所によって常に変動する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る偶然的な,純粋に相対的なものであるように見え,したがって,商品に内的な,つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える⁷.このことをもっと詳しく考察しよう.
(Marx1867: 2-3)
(2)ドイツ語第二版
交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶,時間と場所によって常に変動する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る偶然的な,純粋に相対的なものであるように見え,したがって,商品に内的な,つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える⁷.このことをもっと詳しく考察しよう.
(Marx1872a: 11)
(3)フランス語版
交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が異なる別種の使用価値と相互に交換される割合として³,時間と場所によって常に変化する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る任意の,純粋に相対的なものであるように見える.したがって,商品に固有の内在的な交換価値というものは,スコラの言うような,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える⁴.このことをもっと詳しく考察しよう.
(Marx1872b: 14)
(4)ドイツ語第三版
交換価値はさしあたり量的関係として,すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶,時間と場所によって常に変動する比率として現象する.それゆえ,交換価値は何か或る偶然的な,純粋に相対的なものであるように見え,したがって,商品に内的な,つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える⁷.このことをもっと詳しく考察しよう.
(Marx1883: 3,『資本論①』74頁)
まず第一に,ある種の使用価値が別種の使用価値と比較されるとき,両者は質的に異なるものであるから,それらの交換比率(この比率は時と場所によって変動するにせよ)をどのようにして算出するのかが問題となるはずだ.つまり,質的に異なる二つの使用価値とを交換するためには,両者のあいだに共通する何らかの共約可能性(commensurability)が存在しなければならないはずである.そのような共通項を内在的な価値とする限りで,交換比率としての「量的関係」はそれの単なる現象に過ぎない.
商品に〈内在的な〉交換価値は「形容矛盾」か
第二に,このパラグラフで注意しなければならないのは,マルクスが「交換価値は偶然的で,純粋に相対的なものである」から「商品に内的な,つまり内在的な交換価値というものは,一つの形容矛盾である」と述べているのではないという点である.あくまでこのことがそのように「見える scheint」ということが重要である.どういうことか.
もし交換価値が商品に〈内在的な〉価値であるならば,それは他のものと比較せずにも常にすでに決まっている固有の価値を有しているというように考えられる.しかし,交換価値とは,ある種の使用価値と別種の使用価値とが比較され,それらが互いに交換しあうことのできる比率を表現したものである.交換価値を示すためには何かしらの比較対象を必要とするのだから,その商品に固有の内在的な交換価値というものは存在しないと考えられる.だとすれば,「商品に内的な,つまり内在的な交換価値」という言い方そのものがおかしいことになってしまう.
ここで読解の鍵となるのは「見える sheint」という動詞の用法である.このscheinenの用法は,ヘーゲルのそれをマルクスが真似したものである.つまり,そのように「見える」あり方は「仮象」であり,真実のあり方はそうではないという際に動詞scheinenは用いられる.したがって,「見える scheint」という用法によってマルクスが実は「商品に内的な,内在的な交換価値というものは,一つの形容矛盾」ではないという結論を別途用意していて,その道筋を続く考察で提示するのではないかと推論することができる*1.
ちなみにここでマルクスは「内在的な交換価値 immanenter Tauchwerth」をフランス語で「内在的価値 valeur intrinsèque」と言い換えているが,なぜわざわざフランス語で言い換えているのかという点については正直なところよくわからない.フランス語の「valeur」は英語の「Worth」や「Value」のような使い分けをされるのではないから,いずれの場合であっても基本的には「valeur」に還元されてしまう.「内在的価値 Intrinsick Value」はある物の価値をその物自体に内在するものとして考えるので,その限りで本来は相対的な関係性を考慮する必要はない.
ル・トローヌ『社会的利益について』(1777年,パリ)
マルクスは原註6で,重農学派*2の一人に数えられるギヨーム・フランソワ・ル・トローヌ(Guillaume-François Le Trosne, 1728-1780)の『社会的利益について』(De l’intérêt social, 1777)第1章第4節「価値の定義 Définition de la valeur」から引用している.
(1)ドイツ語初版
⁶)「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会的利益について』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)
(Marx1867: 3)
(2)ドイツ語第二版
⁶)「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会的利益について』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)
(Marx1872a: 11)
(3)フランス語版
3.「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会的利益について』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)
(Marx1872b: 14)
(4)ドイツ語第三版
⁶)「価値とは,ある物と他の物とのあいだ,ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である.」(ル・トローヌ『社会的利益について』,デール編『重農学派』パリ,1846年,p. 889)
(Marx1883: 3,『資本論①』74頁)
(1)『社会的利益について』(初版)
(Trosne1777: 9)
(2)『社会的利益について』(デール編『重農学派』所収)
(Daire1846: 889)
マルクスは,ドイツ語版の初版ではル・トローヌの著作から引用した際に「価値」と「交換比率」に強調を加えていたが,第二版・第三版からは強調が消えている(フランス語版には強調が残存している).
原註7:ニコラス・バーボンとサミュエル・バトラー
マルクスは「商品に内的な,つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは,一つの形容矛盾〔contradictio in adjecto〕であるように見える」という箇所の註で,ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』およびサミュエル・バトラー(Samuel Butler, 1612-1680)の『ヒューディーブラス』(Hudibras)を参照している.
(1)ドイツ語初版
「どんなものも内在的価値をもつことはできない」(N・バーボン,前掲書,p. 16),あるいはバトラーがいうように,
「ある物の価値は,ちょうどその物がもたらすであろうだけのものである.」
(Marx1867: 3)
(2)ドイツ語第二版
「どんなものも内在的価値をもつことはできない」(N・バーボン,前掲書,p. 16),あるいはバトラーがいうように,
「ある物の価値は,ちょうどその物がもたらすであろうだけのものである.」
(Marx1872a: 11)
(3)フランス語版
「どんなものも,内在的価値をもつことはできない」(N・バーボン,前掲書,p. 16).またはバトラーがいうように,
「ある物の価値は,ちょうどその物がもたらすであろうだけのものである.」
(Marx1872b: 14)
(4)ドイツ語第三版
「どんなものも内在的価値をもつことはできない」(N・バーボン,前掲書,p. 16),あるいはバトラーがいうように,
「ある物の価値は,ちょうどその物がもたらすであろうだけのものである.
(Marx1883: 3,『資本論①』74頁)
ここでバーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』から引用されている箇所は「〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(8)」で訳出しておいた.マルクスはバーボンの著作の「p. 16」から引用していると述べているが,これは誤植であり,実際にはそのp. 6の一節から引用している.
サミュエル・バトラー『ヒューディブラス』にはマルクスが引用符で述べている文言は見当たらない.内容的に最も近しいと思われるのは,『ヒューディーブラス』の次の一節である.
どんなものでも,それがもたらすだけのお金以外に何の価値があるというのか?
(Butler1678: 249)
ここではサミュエル・バトラーが「Worth」を用いている点が注目に値する.というのも,マルクスはそれを「Value」に書き換えているからである.これはマルクスが「交換価値」の議論に当てはめるために,バトラーの「Worth」を「Value」に書き換えたのだと理解されよう.だが,バトラーがここで「Worth」を用いている点から推察されるのは次のことである.すなわち,「Worth」の用法は必ずしもマルクスがいうように「使用価値」のことを示しているわけではなく,「交換価値」の意味でも用いられているのではないかということである.
文献
- Marx, Karl, 1867, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, Erster Band, Buch 1: Der Produktionsprocess des Kapitals, Hamburg. (Bayerische Staatsbibliothek, 2014)
- Marx, Karl, 1872a, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, Erster Band, Buch 1: Der Produktionsprocess des Kapitals, Zweite verbesserte Auflage, Hamburg. (British Library, 2016)
- Marx, Karl, 1872b, Le capital, traduction de M. J. Roy, entièrement revisée par l'auteur, Paris. (University of Oxford, 2006)
- Marx, Karl, 1883, Das Kapital, Kritik der politischen Oekonomie, Erster Band, Buch 1: Der Produktionsprocess des Kapitals, Dritte vermehrte Auflage, Hamburg. (University of Michigan, 2006)
- Trosne, Guillaume-François Le, 1777, De l'intérêt social, Paris. (Universiteit Gent, 2010)
- Daire, M. Eugène, 1846, Physiocrates: Quesnay, Dupont de Nemours, Mercier de la Rivière, L'abbé Baudeau, Le Trosne, Deuxième partie, Paris. (Universidad Complutense de Madrid, 2008)
- Butler, Samuel, 1694, Hudibras, London. (University of California, 2014)
- マルクス 1972『資本論(1)』岡崎次郎訳,大月書店.