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マルクス『資本論』覚書(7)

目次

sakiya1989.hatenablog.com

マルクス資本論』(承前)

〈現象〉としての「量的関係」

(1)ドイツ語版『資本論』初版

 交換価値はさしあたり量的関係として、すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶、時間と場所によって常に変動する比率として現象する。それゆえ、交換価値は何か或る偶然的な、純粋に相対的なものであるように見え、したがって、商品に内的な、つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは、一つの形容矛盾 contradictio in adjecto であるように見える⁷。このことをもっと詳しく考察しよう。

(Marx1867: 2-3)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

 交換価値はさしあたり量的関係として、すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶、時間と場所によって常に変動する比率として現象する。それゆえ、交換価値は何か或る偶然的な、純粋に相対的なものであるように見え、したがって、商品に内的な、つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは、一つの形容矛盾 contradictio in adjecto であるように見える⁷。このことをもっと詳しく考察しよう。

(Marx1872a: 11)

(3)フランス語版『資本論

 交換価値はさしあたり量的関係として、すなわちある種の使用価値が異なる別種の使用価値と相互に交換される割合として³、時間と場所によって常に変化する比率として現象する。それゆえ、交換価値は何か或る任意の、純粋に相対的なものであるように見える。したがって、商品に固有の内在的な交換価値というものは、スコラの言うような、一つの形容矛盾 contradictio in adjecto であるように見える⁴。このことをもっと詳しく考察しよう。

(Marx1872b: 14)

(4)ドイツ語版『資本論』第三版

 交換価値はさしあたり量的関係として、すなわちある種の使用価値が別種の使用価値と交換される割合として⁶、時間と場所によって常に変動する比率として現象する。それゆえ、交換価値は何か或る偶然的な、純粋に相対的なものであるように見え、したがって、商品に内的な、つまり内在的な交換価値(valeur intrinsèque)というものは、一つの形容矛盾 contradictio in adjecto であるように見える⁷。このことをもっと詳しく考察しよう。

(Marx1883: 3, 訳74頁)

 まず第一に、ある種の使用価値が別種の使用価値と比較されるとき、両者は質的に異なるものであるから、それらの交換比率(この比率は時と場所によって変動するにせよ)をどのようにして算出するのかが問題となるはずだ。つまり、質的に異なる二つの使用価値とを交換するためには、両者のあいだに共通する何らかの共約可能性(commensurability)が存在しなければならないはずである。そのような共通項を内在的な価値とする限りで、交換比率としての「量的関係」はそれの単なる現象に過ぎない。

商品に〈内在的な〉交換価値は「形容矛盾」か

 第二に、このパラグラフで注意しなければならないのは、マルクスが「交換価値は偶然的で、純粋に相対的なものである」から「商品に内的な、つまり内在的な交換価値というものは、一つの形容矛盾である」と述べているのではないという点である。あくまでこのことがそのように「見える scheint 」ということが重要である。どういうことか。

 もし交換価値が商品に〈内在的な〉価値であるならば、それは他のものと比較せずにも常にすでに決まっている固有の価値を有しているというように考えられる。しかし、交換価値とは、ある種の使用価値と別種の使用価値とが比較され、それらが互いに交換しあうことのできる比率を表現したものである。交換価値を示すためには何かしらの比較対象を必要とするのだから、その商品に固有の内在的な交換価値というものは存在しないと考えられる。だとすれば、「商品に内的な、つまり内在的な交換価値」という言い方そのものがおかしいことになってしまう。

 ここで読解の鍵となるのは「見える sheint 」という動詞の用法である。この scheinen の用法はヘーゲルのそれをマルクスが真似したものである。つまり、そのように「見える」あり方はいわば仮のすがたであり、真実のあり方はそうではないという際に動詞scheinenは用いられる。したがって、「見える scheint 」という用法によってマルクスが実は「商品に内的な、内在的な交換価値というものは、一つの形容矛盾」ではないという結論を別途用意していて、その道筋を続く考察で提示するのではないかと推論することができる*1

ル・トローヌ『社会利益論』(1777年、パリ)

 原注を見ると、マルクスが誰の議論を下敷きにしているかがわかる。

(1)ドイツ語版『資本論』初版

⁶)「価値とは、ある物と他の物とのあいだ、ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である。」(ル・トローヌ『社会利益論』、デール編『重農学派』パリ、1846年、p. 889)

(Marx1867: 3)

(2)ドイツ語版『資本論』第二版

⁶)「価値とは、ある物と他の物とのあいだ、ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である。」(ル・トローヌ『社会利益論』、デール編『重農学派』パリ、1846年、p. 889)

(Marx1872a: 3)

(3)フランス語版『資本論

3.「価値とは、ある物と他の物とのあいだ、ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である。」(ル・トローヌ『社会利益論』、デール編『重農学派』パリ、1846年、p. 889)

(Marx1872b: 14)

(4)ドイツ語版『資本論』第三版

⁶)「価値とは、ある物と他の物とのあいだ、ある生産物量と他のある生産物量とのあいだに成立する交換比率である。」(ル・トローヌ『社会利益論』、デール編『重農学派』パリ、1846年、p. 889)

(Marx1883: 3, 訳74頁)

マルクスは注6でル・トローヌ(Guillaume-François Le Trosne, 1728-1780)の『社会利益論』(De l’intérêt social, 1777)第1章第4節「価値の定義 Définition de la valeur」から引用している。

(1)『社会利益論』(初版)

(Trosne1777: 9)

(2)『社会利益論』(デール編『重農学派』所収)

(Daire1846: 889)

マルクスはル・トローヌの著作から引用した際に「価値」と「交換比率」に強調を加えている(ただしドイツ語版『資本論』第二版・第三版からは強調が消えている)。

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文献

*1:ヘーゲルの「見える scheint 」の用法については「ヘーゲル『精神現象学』覚書(2)」を参照されたい。