まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

マルクス『資本論』覚書(15)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

人間的労働と価値の共同社会性

(2)ドイツ語第二版

 そこで我々は労働生産物の残滓を考察してみよう.そこに残っているのは,同じ亡霊的な対象性以外の何物でもなく,それは無差別的な人間的労働の純然たる凝固物,すなわちその支出の形式を無視した人間的労働力の支出の純然たる凝固物に他ならない.これらの諸物はもはや,それらの生産に人間的労働力が支出されており,人間的労働が積み上げられているということをただ表現しているに過ぎない.こうしたそれらの労働生産物における共同体的社会的実体の結晶として,それらの労働生産物は——価値である.

(Marx1872a: 13)

(3)フランス語版

 そこで今度はこれらの労働生産物の残滓を考察してみよう.それぞれの労働生産物は,他の労働生産物に完全に酷似している.どの労働生産物にも,同じ亡霊的な実在性が存している.同一の昇華物,同じ無差別的な労働という原器に変態されたこれらの対象はすべて,もはや一つの事柄しか表わさない.それは,それらの生産には人間的労働力が支出されており,人間的労働が蓄積されていることだけである.この共同体的社会的実体の結晶として,それらの労働生産物は価値とみなされる.

(Marx1872b: 14–15,井上・崎山訳531頁)

(4)ドイツ語第三版

 そこで我々は労働生産物の残滓を考察してみよう.そこに残っているのは,同じ亡霊的な対象性以外の何物でもなく,それは無差別的な人間的労働の純然たる凝固物,すなわちその支出の形式を無視した人間的労働力の支出の純然たる凝固物に他ならない.これらの諸物はもはや,それらの生産に人間的労働力が支出されており,人間的労働が積み上げられているということをただ表現しているに過ぎない.こうしたそれらの労働生産物における共同体的社会的実体の結晶として,それらの労働生産物は——価値である.

(Marx1883: 5,『資本論①』77頁)

このパラグラフの最後にある「価値 Werthe」という箇所は,既存の訳では「商品価値」となっている.実際,『資本論』第四版(1890年)を底本にしているMarx-Engels-Werkeでは,最後の言葉は"Warenwerte"(MEW, Bd.23, S. 52.)となっている.どうしてエンゲルスがこの箇所を「商品価値」と訂正したのかは分からないが,少なくともマルクスの生前の版では,この箇所はもともとずばり「価値 Werthe」(つまり交換価値)と表記されていたことが確認できればよい.

 「残滓 Residuum」というのは,食べ物の残りかすなどを指すときに用いる言葉である.ここでは「労働生産物」から使用価値とか物理的な要素とかあらゆる属性を取り除いていったときにまだなおそこに残るものを指している.「労働生産物」はその名の通り,人間の労働によって産み出された物であるから,「労働生産物」から物体的な規定を取り除いたときにそれでもなおそこに抽象的に残っている規定が「人間的労働力の支出」だというのは,或る意味でトートロジーであるし観念的である.

 「同じ亡霊的な対象性 dieselbe gespenstige Gegenständlichkeit」というのはどういうことか.例えば,「人間的労働」は,人々が工場で素材を加工する作業であれ食物を調理する仕方であれ,こうした様々な形式で行われる.だが,ここでは労働の多様な形式をいっさい考慮せずに無視して,すべての労働を同じものとして取り扱うのである.労働の具体性を捨象して,労働生産物に対して人間の労働力が支出されているという抽象的な事態のことをマルクスは「同じ亡霊的な対象性」と表現しているのである.

 このように抽象化された「人間的労働力」という概念はそれ自体が常に既に「共同体的社会的」なものである.

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