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マルクス『資本論』覚書(17)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

社会的平均労働時間と価値の低落

(1)ドイツ語初版

 ある商品の価値がその生産中に支出された労働量によって規定されているとすれば,ある人が怠惰または不熟練であればあるほど,彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの労働時間を必要とするので,彼の商品はそれだけ価値が大きい,というように思われるかもしれない.しかし,社会的必要労働時間だけが,価値形成的なものとして数えられる.社会的必要労働時間とは,現存する社会的‐標準的生産条件と,労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって,なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である.たとえば,イギリスで蒸気織機が採用されてからは,一定量の糸を織物に転化させるためにはおそらく以前の半分の労働で足りたであろう.イギリスの手織工はこの転化に実際は相変わらず同じ労働時間を必要としたのであるが,彼の個人的労働時間の生産物は,いまでは半分の社会的労働時間を表現するにすぎなくなり,そのために,それの以前の価値の半分に低落したのである.

(Marx1867: 5)

(2)ドイツ語第二版

 ある商品の価値がその生産中に支出された労働量によって規定されているとすれば,ある人が怠惰または不熟練であればあるほど,彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの時間を必要とするので,彼の商品はそれだけ価値が大きい,というように思われるかもしれない.しかしながら,諸価値の実体を形成する労働は,同等の人間的労働であり,同じ人間的労働力の支出である.商品世界の諸価値へと表現される社会の総労働力は,無数の個人的労働力から成っているのではあるが,ここでは一つの同じ人間的労働力とみなされる.これらの個人的労働力のおのおのは,それが一つの社会的平均‐労働力という性格をもち,このような社会的平均‐労働力として作用し,したがってある商品の生産においてもただ平均的に必要な,または社会的必要労働時間だけを必要とするかぎり,他の労働力と同じ人間的労働力である.社会的必要労働時間とは,現存する社会的‐標準的な生産条件と,労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって,なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である.たとえば,イギリスで蒸気織機が採用されてからは,一定量の糸を織物に転化させるためにはおそらく以前の半分の労働で足りたであろう.イギリスの手織工はこの転化に実際は相変わらず同じ労働時間を必要としたのであるが,彼の個人的な労働時間の生産物は,いまでは半分の社会的労働時間を表現するにすぎなくなり,そのために,それの以前の価値の半分に低落したのである.

(Marx1872a: 13–14,下線部は第二版で加筆された部分)

(3)フランス語版

 ある商品の価値がその生産中に支出された労働のによって規定されているとすれば,ある人が怠惰または不熟練であればあるほど,彼はその商品の製造にそれだけ多くの時間を用いるので,彼の商品はそれだけ価値が大きい,というように想像するかもしれない.しかし,商品の価値の実体を形成する労働は,目に見えない均一な労働であり,同じ〔労働〕力の支出である.価値の総体に顕現したすべての社会全体の労働力は,無数の個人的な〔労働〕力から構成されているにもかかわらず,結果的には単一の〔労働〕力としてしか数えられない.個人的労働力のおのおのは,平均的な社会的〔労働〕力という性格をもち,そのように機能するかぎりにおいて,他のすべての労働力と均一である.すなわち,平均的に必要な労働時間または社会的必要労働時間だけが商品の生産に用いられるのである.

 諸商品の生産に社会的に必要な時間とは,労働の熟練および強度の平均度とをもって,所与の社会環境との関係では通常の条件で行われる,全ての仕事に必要となる時間である.イギリスで蒸気織機が採用されてからは,一定量の糸を織物に転化させるためにはおそらく以前の半分の労働で足りたであろう.イギリスの手織工はこの転化に実際は相変わらず同じ労働時間を必要としたのであるが,それ以後は,彼の個人的労働時間の生産物は,社会的労働時間の半分しか表現せず,当初の価値の半分しか得られなかったのである.

(Marx1872b: 15)

(4)ドイツ語第三版

 ある商品の価値がその生産中に支出された労働量によって規定されているとすれば,ある人が怠惰または不熟練であればあるほど,彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの時間を必要とするので,彼の商品はそれだけ価値が大きい,というように思われるかもしれない.しかしながら,諸価値の実体を形成する労働は,同等の人間的労働であり,同じ人間的労働力の支出である.商品世界の諸価値へと表現される社会の総労働力は,無数の個人的労働力から成っているのではあるが,ここでは一つの同じ人間的労働力とみなされる.これらの個人的労働力のおのおのは,それが社会的平均‐労働力という性格をもち,このような社会的平均‐労働力として作用し,したがってある商品の生産においてもただ平均的に必要な,または社会的に必要な労働時間だけを必要とするかぎり,他の労働力と同じ人間的労働力である.社会的必要労働時間とは,現存する社会的‐標準的生産条件と,労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって,なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である.たとえば,イギリスで蒸気織機が採用されてからは,一定量の糸を織物に転化させるためにはおそらく以前の半分の労働で足りたであろう.イギリスの手織工はこの転化に実際は相変わらず同じ労働時間を必要としたのであるが,彼の個人的労働時間の生産物は,いまでは半分の社会的労働時間を表現するにすぎなくなり,そのために,それの以前の価値の半分に低落したのである.

(Marx1883: 5–6,『資本論①』78〜79頁)

ここでマルクスは「価値」の算出において想定されうる疑問について答えている.商品価値が労働時間によって計られるとすれば,労働時間がより長くかかった商品の方が価値はより高くなり,労働時間がより短くかかった商品の方が価値はより低くなると考えられる.しかしその場合には『通常よりもゆっくりと時間をかけて作った商品の方が,価値は高くなるのか』という疑問が生じてくる.それを行うのに時間がかかる原因としては,技術が優れていて丁寧にやっているという場合と,そもそも技術的に下手で速く作業できない場合という二つ原因が考えられる.結果として同じ商品を作るにしても,工業機械によって高速に大量生産されたものと,一人の職人が手塩をかけてじっくり作ったものと,さらに下手な素人が長い時間をかけて作り上げたものとでは,それぞれ商品生産過程が異なっている.では,その場合に商品の価値は同じなのだろうか,それとも異なるのだろうか.

 この点を説明するためにマルクスは「社会的必要労働時間」と「個人的労働時間」という概念を提示している.「社会的必要労働時間とは,現存する社会的‐標準的生産条件と,労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって,なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である」.要するに,工業生産であれ個人的生産であれその商品を生産するすべての労働を社会的に総合した上で,その商品を生産するのにかかる平均的な労働時間を「社会的平均労働時間」とマルクスは呼び,これに対して,個々には長かったり短かったりする個別の労働時間のことを「個人的労働時間」とマルクスは呼んで区別している.「価値」の算出においては「個人的労働時間」は一切捨象され,「社会的平均労働時間」だけが用いられる.この「社会的平均労働時間」は,イギリスの蒸気織機の例にみられるように,機械の導入によって短縮されることがあり得る.以前よりも短縮された「社会的平均労働時間」は,その商品の「価値」を引き下げ,これは同時に,他の場所でいまだその生産過程に機械を導入していない同一商品の価値にも影響を及ぼすのである.

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