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マルクス『資本論』覚書(13)

目次

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

「抽象的人間的労働」はいかなる意味で「抽象的」か

(2)ドイツ語第二版

 いま商品体の使用価値を度外視するならば,その商品体にまだなお残っているのは,労働生産物というひとつの属性だけである.だが,労働生産物もまた我々の手の中ですでに変貌を遂げている.我々がその〔労働生産物の〕使用価値を捨象〔抽象化〕するならば,その労働生産物を使用価値にする物体的な諸成分と諸形式をも捨象〔抽象化〕することになる.それ〔労働生産物〕はもはや机でも家でも糸でもその他の有用な物でもない.すべてその〔労働生産物の〕感性的性状は抹消される.それ〔労働生産物〕はまたもはや指物労働や建築労働や紡績労働やその他の或る特定の生産的労働の生産物ではない.労働生産物の有用な性格と共に,それ〔労働生産物〕に具現化された労働の有用な性格は消失し,したがって,これらの労働の様々な具体的な諸形式もまた消失する.こうした労働はもはや互いに区別されるのではなく,みなことごとく同じ人間的労働に,抽象的人間的労働に還元されるのである.

(Marx1872a: 12)

(3)フランス語版

 諸々の商品の使用価値をひとまず取って措くことにすると,商品に残るものはただ,それが労働生産物であるというひとつの性質だけである.しかし,労働生産物それ自体が我々の知らぬ間にすでに変貌を遂げているのである.我々が労働生産物の使用価値を捨象〔抽象化〕するならば,それ〔労働生産物〕にこの〔使用〕価値を与えていた物質的・形式的な諸要素はすべて一度に消え去ってしまう.それはもはや,例えば,机や家,糸などの有用な対象ではない.それはまた,糸織り女工や石工の労働生産物,すなわちいかなる特定の生産的労働の生産物でもない.労働生産物の特殊に有用な性格とともに,労働生産物に含まれている労働の有用な性格も,ある種類の労働を他の種類の労働から区別する様々な具体的な諸形式も消え去ってしまう.したがって,もはや,こうした労働の共通な性格しか残っていない.こうした労働はすべて,同じ人間的労働に,人間的労働力が支出された特殊な形式にかかわりなく人間的労働力の支出に還元されている.

(Marx1872b: 14,井上・崎山訳529頁,訳は改めた)

(4)ドイツ語第三版

 いま商品体の使用価値を度外視するならば,その商品体にまだなお残っているのは,労働生産物というひとつの属性だけである.だが,労働生産物もまた我々の手の中ですでに変貌を遂げている.我々がその〔労働生産物の〕使用価値を捨象〔抽象化〕するならば,その労働生産物を使用価値にする物体的な諸成分と諸形式をも捨象〔抽象化〕することになる.それ〔労働生産物〕はもはや机でも家でも糸でもその他の有用な物でもない.すべてその〔労働生産物の〕感性的性状は抹消される.それ〔労働生産物〕はまたもはや指物労働や建築労働や紡績労働やその他の或る特定の生産的労働の生産物ではない.労働生産物の有用な性格と共に,それ〔労働生産物〕に具現化された労働の有用な性格は消失し,したがって,これらの労働の様々な具体的な諸形式もまた消失する.こうした労働はもはや互いに区別されるのではなく,みなことごとく同じ人間的労働に,抽象的人間的労働に還元されるのである.

(Marx1883: 4–5,『資本論①』76〜77頁,訳は改めた)

このパラグラフはドイツ語第二版以降で大幅な加筆修正が施されている.すなわち,ドイツ語初版では,商品の物体的に多様な側面と,「労働」による商品の「統一性 Eineheit」の側面という二つの側面から論じられていたが,ドイツ語第二版以降では,こうした記述が撤回されているのである.

 こうした記述がなぜ撤回されたのかという点については,次のように考えられる.すなわち,「労働」と一言で言っても,それには「指物労働や建築労働や紡績労働やその他のある特定の労働」のように「様々な verschiednen 具体的諸形式」が考えられるため,商品の物体的な多様性と対照をなす労働の「統一性 Einheit」という一見鮮明な図式が直接的には成立しないことにマルクス自身が気が付いたからではないだろうか.

 加えて,ドイツ語第二版以降で見られるのは,単なる「労働」という表現から「抽象的人間的労働」という表現への変更である.ここで「抽象的人間的労働」はいかなる意味で「抽象的」なのであろうか.マルクスによれば,「労働生産物の使用価値を捨象する Abstrahiren」ことによって同時に「労働生産物を使用価値にする物体的な諸成分と諸形式をも捨象する abstrahiren」ことになるのだが,かくして労働生産物の「感性的性状が抹消される」のみならず,この抽象化作用に伴って「指物労働や建築労働や紡績労働やその他のある特定の労働」のような「これらの労働の様々な具体的な konkreten 諸形式もまた消失する」という.つまり,ここで「抽象的人間的労働」の「抽象的」とは,「これらの労働の様々な具体的な諸形式」という具体的な側面が消失したという事態と,その消失をみちびくところの労働生産物の使用価値の捨象(抽象化)という二つの側面を示していると言えるのではないだろうか.

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