まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

いかにして視力の低下を防ぐのか

目次

眼鏡の変更

 少し前に眼鏡を変えた。もともと二つの眼鏡を持ち歩いていたが、一つは普段使いの眼鏡であり、もう一つは、遠くまでよく見える眼鏡だった。普段使いの眼鏡は、仕事柄スマホやPCなど近くの物を長時間見ることが多いので、文字通り「すぐに」視力が低下してしまう。だから遠くまでよく見える眼鏡は、免許更新用か映像作品を鑑賞するためにケースにしまっておいた。だが、普段使いの眼鏡のレンズは、ここ数年のコロナ禍以降に毎日アルコール除菌をして表面を拭っているうちに擦り傷が目立つようになってきてしまい、見えにくくなってしまった。そのため、普段はケースにしまっておいたよく見える眼鏡を普段使いするようにした。この変化によって以前普段使いしていた眼鏡にはもう戻れないほどよく見えるようになったのだが、遠くまでよく見える眼鏡をかけ始めた瞬間と比べると、眼鏡の度数にはやくも適応してしまった感がある。

いかにして視力の低下を防ぐのか

 私としてはこれ以上視力の低下を防ぎたいと考えているのだが、こうしてパソコンやスマホを触っていては視力の低下は不可避である。ではどうしたら良いのだろうか。

 そこで職場の弊社スタッフに視力を良くするにはどうしたら良いのか尋ねてみた。「ブルーベリーを食べる」「緑を見る」といった回答が返ってきた。ちなみにその人はゲームをよくするのだが、視力が0.3ぐらいある。一方で私はもうずっと前から0.1以下の視力しかない。彼の方が私よりも年齢は1歳ぐらい年下だが、どうして視力の低下においてそのような違いが生じたのかを考えてみた。その違いについて思いついたのが、彼は車の運転をするが、私は車の運転を全くしないという点である。

 私は車のゴールド免許は持っているが、少なく見積もっても9年程度は運転を自分でしていない、完全なペーパードライバーである。車の運転は運動神経をよく使う。視力は重要な要素であり、だから免許の更新では視力検査が課されている。

 先ほどの弊社スタッフの彼は、ゲームをよくする人間だが、車の運転もほどほどにする環境にある。ということは、日常生活で視力を使う機会があるということだ。周知の通り、人間の身体能力において使わない筋力は衰えてくる。アフリカの民族の視力が遠くまで見渡すことができる能力を持っているとすれば、それは必要性に迫られて発達した筋力の一つだと考えられる。これまで私の視力の低下が避けられなかったのは、日常生活の中で遠くを見る必要性が皆無だったからであると考えられる。

日常生活の中で遠くを見る必要性を作り出す

 そこで一つの仮説として、日常生活の中で遠くを見る必要性を作り出すことで、今後視力の低下を防ぐことを試みる。車の運転は視力の低下防止に有益である可能性があるが、私は車の運転をする機会はないし、今後も車の運転をするつもりがない。そこで代わりに、日常生活の中に散歩をしながら遠くを見るというフローを組み込むことによって、視力の低下を防ぐことを試みたい。散歩は車の運転と異なって自分の足を使うので視力だけでなく足の筋肉をも消耗する。それでも一箇所に座って遠くを見るのと、実際に自分の足で移動しながら遠くをみるのとでは、効果に違いが生じるのではないかと考えた。というのは、歩きながら遠くを見る場合には、見る対象は基本的に自分の足で向かっていく先の目標物であって、合目的的に視力を使用する場合の目の筋肉にはポジティブなフィードバックが働くと想像されるからである。これに対して、ただ座って見た場合の遠くに見える対象物は自分が向かっていく目標物ではないので、視力に対してポジティブなフィードバックがなされないのではないかと想像される。私はいま自分自身を実験台としてこのことを検証している。