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『源氏物語』「宿木」覚書(3)

目次

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源氏物語

宿木(承前)

藤壺による「宿世」の呪縛への抵抗

『校異源氏物語』巻五、1701頁

わがいとくちをしく人におされたてまつりぬる宿世、嘆かしくおぼゆる代はりに、この宮をだにいかで行く末の心も慰むばかりにて見たてまつらむと、かしづき聞こえ給ふ事おろかならず。御かたちもいとをかしくおはすれば、みかどもらうたきものに思ひきこえさせ給へり。女一の宮を、世にたぐひなきものにかしづき聞こえさせ給ふに、大方の世のおぼえこそ及ぶべうもあらね、うち〱の御ありさまはをさ〱おとらず、父おとゞの御いきほひいかめしかりしなごりいたく衰へねば、ことに心もとなき事などなくて、さぶらふ人〱のなり、姿よりはじめ、たゆみなく、時〱につけつゝとゝのへ好み、いまめかしく、ゆゑ〱しきさまにもてなし給へり。

(『源氏物語(八)』「宿木1」岩波文庫、68/70頁)

 

自分が後宮の競争に失敗する悲しい運命を見たかわりに、この宮を長い将来にかけて唯一の慰安にするまでも完全な幸福のある方にしたいと女御は大事にかしずいていた。御容貌もお美しかったから帝も愛しておいでになり、中宮からお生まれになった女一の宮を、世にたぐいもないほど帝が尊重しておいでになることによって、世間がまた格別な敬意を寄せるという、こうした点は別として、皇女としてはなやかな生活をしておいでになることではあまり劣ることもなくて、女御の父大臣の勢力の大きかった名残はまだ家に残り、物質的に不自由のないところから、女二の宮の侍女たちの服装をはじめとし、御殿内を季節季節にしたがって変える装飾もはなやかにして、派手でそして重厚な貴女らしさを失わぬ用意のあるおかしずきをしていた。

(與謝野晶子訳)

ここで「宿世(すくせ)」という言葉が出てくる。『源氏物語』の「宿世」についてはいくつかの論文や書籍が出ているが、数が多いのでいちいち列挙することはしない。高木和子(1964-)は「宿世」について次のように述べている。

「宿世」とは、梵語の pūrva または atīta の漢訳語とされ、本来は三世の過去世を意味する仏教語」である。平安時代の仮名文学では「前世からの因縁」と訳され、現世での幸不幸は前世から定まっている、という意味になる。この言葉は、平安中期の和文一般より『源氏物語』に突出して多く用いられている。『源氏物語』には、同時代の他の文献ではさほど注目されない言葉を多用して、新たな物語世界を開陳する例が見られるが、「宿世」の語もその一つである。

(高木2024: 15)

 私には、藤壺が「宿世」という呪いに縛られているように見える。藤壺は自らが宮廷争いに負けたのは「宿世」によるものとして了解する。それは、藤壺にとっては望むと望まざると受け入れざるを得ない現実として受け止めてられているわけである。だが、その「宿世」に藤壺は可能な限り抵抗しているようにも見える。藤壺は我が子であり一人娘である女二宮に期待を込めて大事に育てることによって、自らの「宿世」における不幸に対して少なからぬ抵抗を試みている。そのさい、「宿世」という因果が、藤壺自身の中だけで完結しており、娘にまではその不幸が波及しないと想定されているわけである。

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