まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

マルクス『資本論』覚書(10)

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マルクス資本論』(承前)

第一部 資本の生産過程(承前)

平面幾何学と三角形

(1)ドイツ語初版

 簡単な幾何学上の一例は,このことをもっとわかりやすくするであろう.およそ直線形の面積を算定し比較するためには,それをいくつかの三角形に分解する.その三角形そのものを,その目に見える形とはまったく違った表現——その底辺と高さとの積の二分の一——に還元する.これと同様に,諸商品の諸交換価値は,それらがあるいはより多くあるいはより少なく表わしている一つの共通なものに還元されるのである.

(Marx1867: 3)

(2)ドイツ語第二版

 簡単な幾何学上の一例は,このことをもっとわかりやすくするであろう.およそ直線形の面積を測定し比較するためには,それをいくつかの三角形に分解する.その三角形そのものを,その目に見える形とはまったく違った表現——その底辺と高さとの積の二分の一——に還元する.これと同様に,諸商品の諸交換価値は,それらがあるいはより多くあるいはより少なく表わしている一つの共通なものに還元されるのである.

(Marx1872a: 11-12)

(3)フランス語版

 初等幾何学から借用する一例が,このことをもっとわかりやすくするであろう.あらゆる直線図形の面積を確定し比較するためには,それらをいくつかの三角形に分解する.その三角形そのものを,目に見えるその形とはまったく違った一表現——その底辺と高さの積の二分の一——に還元する.これと同様に,諸商品の諸交換価値は一つの共通なものに還元されるはずであり,それらはこの共通なものの,あるいはより多くを,あるいはより少なくを,表しているのである.

(Marx1872b: 14,井上・崎山訳525頁)

(4)ドイツ語第三版

 簡単な幾何学上の一例は,このことをもっとわかりやすくするであろう.およそ直線形の面積を測定し比較するためには,それをいくつかの三角形に分解する.その三角形そのものを,その目に見える形とはまったく違った表現——その底辺と高さとの積の二分の一——に還元する.これと同様に,諸商品の諸交換価値は,それらがあるいはより多くあるいはより少なく表わしている一つの共通なものに還元されるのである.

(Marx1883: 4,『資本論①』75頁)

ドイツ語版初版のみ,このパラグラフの「一つの共通のもの ein Gemeinsames」という語が強調されている*1.商品における「共通のもの」が幾何学上の三角形に例えられている.

 ここでマルクスが挙げている「簡単な幾何学上の一例」とは,三斜法として知られている測量の方法である(「幾何学」の語源は「土地測量」という意味である).平行四辺形の面積の半分が三角形の面積であるから,「底辺と高さとの積の二分の一」によって三角形の面積を計算できる.(ちなみに三角形の面積を求めるのにはヘロンの公式を用いても問題はない.)

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 マルクスが取り上げているのはあくまで「直線的な図形の面積」を求める場合である.「直線的な図形」ではない場合には別の取り扱いをしなければならない.非平面幾何学における三角形(例えば,球面三角形や双曲三角形)の場合には,内角の和が180度にはならないからである.

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文献

*1:ちなみに,一つ前のパラグラフに遡ってみると,ドイツ語版初版では「同じ価値 derselbe Wert」とされていた箇所が,ドイツ語版第二版以降では「同じ大きさの一つの共通のもの ein Gemeinsames von derselben Grösse」と変更されていることがわかる.

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(16)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

序文

This Question, Whether it is for the Interest of England, at this time, to New-Coin their Clipt-Money, according to the Old Standard both for Weight and Fineness, or to Coin it somewhat Lighter? has been, of late, the business of the Press, and the common subject of Debate.

イングランドの利益のために,この時期に,自国の盗削貨幣を,重量と純度の両方の旧基準に従って,新たに鋳造するのか,それとも幾分か軽量化して鋳造するのか」というこの問題は,最近では報道機関の仕事であり,共通の議題となっている.

(Barbon1696: A2)

この問題についての議論はロック=ラウンズ論争として知られている.すなわち財務次官ウィリアム・ラウンズ(William Lowndes, 1652-1724)と哲学者ジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)とのあいだの貨幣論争である.

 「盗削貨幣 Clipt-Money 」とは,人々が硬貨からナイフなどで削り取って銀の含有量が低下した硬貨のことを指している.コインの盗削について平山健二郎(1952-)は次のように説明している.

国民の側でもコインをこすりあわせて重量を減らしたり,ナイフで削ったりして「盗削」(clipping)をしていた.この盗削のためコインの重量は時間とともに次第に減少し,あるべき重さの7割,8割しかないという事態が頻繁に起きていた.これらの軽いコインも,その表面価値(extrinsic value)で流通していた.この事実は,貨幣が必ずしもその本質的な商品価値(intrinsic value)によって規定されるのではなく,人々の信認さえあれば,架空の価値を持つものとして流通することを実証しているという意味で興味深い事実である.

平山2006:80-81)

このように「盗削貨幣」が横行していたがゆえにイングランドでは改鋳の議論がなされていたのであり,バーボンもまたその議論に参加したのである.

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文献

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(15)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富,および諸物の価値について(完)

バーボンの五つの格率
 That which I have endeavour'd to prove in this Discourse, of Riches, and the Value of Things, are these Five several Maxims, which I have here set together, because I shall have occasion to make use of them hereafter. viz.
  1. That nothing has a Price or Value in it self.
  2. That the Price or Value of every thing arises from the occasion or use for it.
  3. That Plenty and Scarcity, in respect to their occasion, makes things of greater or lesser Value.
  4. That the Plenty or Scarcity of one Commodity do's not alter the Prices of other Commodities which are not for the same uses.
  5. That in Trade and Commerce there is no difference in Commodities when their Values are equal; that is, Twenty shillings worth of Lead or Iron to some Merchants is the same as Twenty shillings in Silver or Gold.

 〈富,および諸物の価値について〉というこの論究で私が証明しようとしたことは,以下の五つの若干の格率であるが,これらは今後使用する機会があるため,ここにまとめておくことにした.すなわち,

  1. どんな物もそれ自体に価格や価値を有するのではないこと.
  2. あらゆる物の価格や価値は,それを使用する機会や用途から生じること.
  3. 豊富さと希少性は,その機会に関して,物の価値を大きくしたり小さくしたりすること.
  4. ある商品の豊富さや希少性が,同じ用途ではない他の商品の価格を変えることはないこと.
  5. 貿易や商売においては,諸々の商品価値が同等ならば,それらの商品に差異はないということ,つまり,ある商人にとって鉛や鉄の20シリング分の価値は,銀や金の20シリング分と同じだけの価値があるということ.

(Barbon1696: 10-11)

ここでバーボンは本章で議論されてきたことを五つの格率にまとめている.すでに見てきた箇所であるが,それぞれの格率の内容がどこで取り扱われているのかを以下に示しておく.

第一の格率の内容は次の箇所に示されている.

どんな物も内在的価値を持ち得ない.

(Barbon1696: 6)

第二・第三の格率の内容は次の箇所に示されている.

諸物の価値を創出するのは,諸物の機会と有用性である.そして諸物の機会や使用の観点では,諸物をより大きな価値やより小さな価値のものにするのは,諸物の豊富さや希少性である.豊富さは諸物を安価にし,希少性は諸物を高価にする.

(Barbon1696: 5)

第四の格率の内容は,次の箇所に示されている.

同一の用途でもない限り,ある商品の豊富さが別の商品の価値を変えることはない.

(Barbon1696: 7)

第五の格率の内容は,次の箇所に示されている.

同等の価値の属する諸物のうちには差異や格差はない.すなわち,ある商品は,同一の価値を有している別の商品と同等の財である.

(Barbon1696: 7)

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文献

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(14)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富,および諸物の価値について(承前)

ロック貨幣論に対する貨幣史による論駁

 If he means by the Estimate that Common consent hath placed on Silver, That all Governments have agreed to make their Silver Monies equal both for Weight and Fineness, that too will prove a mistake. For the Silver Coins in all Governments in Europe have been at one time or other raised and alter'd; and they never did agree in equal Quantities of fine Silver, as will be shown in the Discourse of Money, and the Par of the several Coins.

 もしロック氏が言う〈一般的な同意が銀につけた評価によって〉,すべての政府が銀貨を重量と純度の両方で均等にすることに同意したことを意味するのであれば,それもまた間違いであることがわかるだろう.なぜなら,欧州のすべての政府の銀貨は,一度や二度は引き上げられたり,変更されたりしたからである.そして,貨幣についての議論や,いくつかの硬貨の額面に示されているように,すべての政府は純銀の量を均等にすることに同意しなかったのである.

(Barbon1696: 9-10)

 ここでバーボンは,ロックの理論を貨幣史によって論駁している.

 欧州における銀貨の改鋳について述べておくと,古くはすでにローマ帝国の皇帝ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus, 37-68)の時代に,銀貨デナリウスは3.9グラム(1/84ローマンポンド)から3.41グラム(1/96ローマンポンド)に減じられ,その銀の含有量が100パーセントから92パーセントに低下させられたという.

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文献

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(13)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富,および諸物の価値について(承前)

ゴールドスミスとは何者か
 What Mr. Lock means when he says that the Intrinsick Value of Silver is the Estimate that common consent hath placed on it, I do not well understand, therefore must be excused if I do not well answer it. If he means that the Estimate that Common consent hath placed on Silver, that Mankind have agreed to set a certain and fixt Price upon Silver; he ought to have given account how and when they made such agreement; I must confess I never hear'd of any; if there was any such, it must be lately: For there is no Goldsmith that has been any considerable time at his Trade, but has bought the same Sterling Silver for Four Shillings Eight pence, Four and Ten pence, and Five Shillings per Ounce, for which he has given Five and Eight pence, Five and Ten pence, and Six shillings per Ounce.

 ロック氏が〈銀の内在的価値は,一般的な同意コモン・コンセントが銀につけた評価である〉と言っている意味が私にはよくわからないので,うまく答えられないかもしれないが,その点はご容赦いただきたい.もしロック氏の言わんとする〈一般的な同意が銀につけた評価〉が,人類が銀に一定の固定価格を設定することに合意アグリーしたことを意味するのであれば,いつ,どのようにしてそのような合意がなされたのかを彼は説明すべきであるが,私はそのような話を聞いたことがないことを告白しなければならない.もしそんな話があったとしても,それは最近のことに違いない.なぜなら,ゴールドスミスの中には,その取引トレードを長く続けていながら,同じスターリングシルバーを1オンスあたり4シリング8ペンス,4ポンド10ペンス,5シリングで買って,その対価として1オンスあたり5シリング8ペンス,5ポンド10ペンス,6シリングを支払った者はいないからである.

(Barbon1696: 9)

「ゴールドスミス Goldsmith 」は通常「金細工師」「金細工職人」「金匠」などと訳される.この「金細工師ゴールドスミス」について,佐々井真知は次のように説明している.

金細工師とは,上述の通り,金・銀や宝石などを用いて食器類や装飾品類を製作し販売する人びとを指す.彼らについて,製品の製作を担う手工業者というよりも,製品の流通を独占し,高価な商品を王族や貴族などに販売する商人と捉える方が適切とする考えもあるが,本稿で検討する規約からは,手工業者として活動する金細工師もまた少なからずいたことが示唆される.ただし,材料・製品共に高価である点,またそのために金細工師には裕福な人びとが多かったと推測される点で,日用品を製作する手工業者とは区別して考えるべきかもしれない.さらに,銀貨の製造にかかわっていたことも,金細工師が他の手工業者とは一線を画す手工業者/商人であったことの一因である.中世後期を通じて,銭貨製造場の役職者や国王に仕える役人として活動する金細工師がいたことが明らかにされている.以上のような仕事,すなわち製品の販売や銀貨の製造において,金細工師は個人としても金細工師ギルドとしても,他の手工業者・商人・同職ギルドに比べて王権とより深いかかわりを持っていたのである.

佐々井2020:72-73)

このように「金細工師ゴールドスミス」は,通常の手工業者と比較すると,王侯貴族のような高いステータスを持つ人々と関係を持つ商人のような存在であったとされる.

 バーボンの本書が刊行された当時の時代背景を考慮すると,ここで言及されている「ゴールドスミス Goldsmith 」は,たんなる金細工商ではなく,同時に銀行家としての役割を果たしていた点で重要であったと考えられる.というのも,本書が刊行されたのが1696年のロンドンであり,その2年前である1694年のロンドンではイングランド銀行が設立されており,このイングランド銀行設立に先立って,ゴールドスミスはまさに銀行家としての役割を果たしていたといわれているからである.この点について,金井雄一(1949-)は次のように説明している.

…既に研究史が明らかにしているように,ロンドンではイングランド銀行設立前の17世紀半ば頃から,元来はその名のとおり金細工商であったゴールドスミスが,金貨等の保管,両替,貸付のみでなく,預金を受入れ,出納・決済サービスを提供するようになっていた.外国為替業務を行うためのコルレス先さえ持っていたと言われている.

 ゴールドスミスは預金の受領証としてゴールドスミス手形(goldsmith note)を発行したが,それは持参人に一覧で支払われる約束手形として裏書譲渡され流通した.また,多くの商人がゴールドスミスに勘定を保有し,ゴールドスミス宛に振り出した手形によって支払うようになった.20年間近く離れていたロンドンへ1680年に戻った人物が,ほとんどの商人がゴールドスミスに勘定を持っており,多くの支払いがゴールドスミス宛手形によって行われていることに驚いた,という話が伝えられている.しかも,当時ロンドンに数十行ほどあったゴールドスミスは,その内の有力2行であったバックウェル(Backwell)とヴァイナー(Viner)に勘定を開設していた.「中央銀行業務について語るのは行き過ぎとしても,『銀行家の銀行家』について語るのは現実離れしたことではない」.つまり,各顧客とゴールドスミスとの間で預金残高を増減させる決済が普及していただけでなく,ゴールドスミス同士で預金残高を増減させて清算することが可能になっていたのである.

 イングランド銀行が設立されたのは,このような預金振替決済システムがゴールドスミスによって構築されていた時だった.イングランド銀行が預金受領証について真っ先に検討したのも当然であろう.預金に対する受領証付与の第1の方法は本稿Ⅱでみたようにランニング・キャッシュ手形発行だったが,それとてゴールドスミス手形を受け継いだものだったのである.「結局のところイングランド銀行券が由来するのは,これらのゴールドスミス手形なのである」.「今日のイングランド銀行券——それは要求ありしだい持参人に支払う約束である——は,もともとゴールドスミスによって,そしてその後イングランド銀行によって発行された預金手形(Deposit Note)——それは名指しされた個人に支払われうるものだった——の現代における後継物なのである」.さらにまた,預金に対する受領証付与の第3の方法として挙げられていた,預金者が振り出す手形の引受も,ゴールドスミス宛手形と同じ機能を果たすものである.イングランド銀行はゴールドスミスによる預金振替決済システムが展開している世界に誕生して,そこから多くを受け継ぎながら業務を広げていったのである.

金井2017:24)

このようにイングランド銀行はゴールドスミス手形*1の仕組みを真似して設立されたのであった.

 以上のことから,「ゴールドスミス Goldsmith 」を「金細工師」と訳すのは間違いではないにせよ,本書が出版された当時の時代状況を考慮すると,ゴールドスミスの金細工商としての役割よりも,むしろ先駆的な銀行家としての役割の方が重要であると考え,あえてカタカナで表記した次第である.

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文献

*1:これは「金匠手形 goldsmith note 」と訳されている.

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(12)

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富,および諸物の価値について(承前)

銀には内在的価値があるのか
 Mr. Lock agrees this Consequence, and in Page 21 allows Gold, and Lead, and other Metals to be Commodities of uncertain values, and therefore cannot be the Measure of another value; but it do's not appear to me why he has separated Silver from Gold, which in all Discourses us'd to go together; or why that should not be a Commodity as well as other Metals, which, had he pleas'd to have allow'd, would have much shorten'd the Debate.

 ロック氏はこの結果に同意し,21ページで金や鉛その他の諸金属は不確かな価値の諸商品であり,したがって他の価値の尺度にはなりえないと認めている.しかし,彼がなぜあらゆる議論で一緒になっていた銀と金を区別したのか,あるいはなぜ彼が銀を他の金属と同様の一つの商品とすべきではないとしたのか,私にはわからない.もし彼がそれを認めていれば,議論を大幅に短縮できたはずである.

(Barbon1696: 8-9)

ロックとバーボンとの間にあるのは,銀に対する見解の相違である.

 ロックは銀のうちに「確実な価値」すなわち「内在的価値」を見出していた.ロックにとって,銀はその他の金属と区別されるいわば特別なものであった.

 これに対してバーボンは銀が金と同様に豊富さや希少性によって価格が変動するがゆえに「価値の不確かな商品」であると考えている.その限りで,バーボンの方がロックよりも理論的に首尾一貫していると言える.

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文献

グローティウス『戦争と平和の法』覚書(3)

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グローティウス『戦争と平和の法』(承前)

プロレゴーメナ(承前)

グローティウスの「社会的結合への欲求」とストア派の「オイケイオーシス」

グローティウスは,「戦争と平和の法」に関する古典古代の哲学者たちの見解を引き合いに出している.その中で批判されているのは,カルネアデース(Καρνεάδης, 214/3–129/8 BC)の次のような見解である.

すなわち,人間は自分たちの利益のために自分たちに対して法を制定したが,その法は習俗によって異なり,同じ人々の間でも時に応じてたびたび変化する.また,自然法というものは存在しない.なぜなら,人間もその他の動物も,すべて,自然に導かれて自己の利益へと駆り立てられるからである.それゆえ,正義〔justitiam〕などというものは存在しないか,あるいは,もしなにかそのようなものが存在するとしたら,それは,愚昧のきわみである.なぜならば,他人の利便をはかることは,自分自身の利益を害することなのだから.

Grotius1646: [2],渕2010:265)

カルネアデースの見解によれば,絶対的な法は存在せず,人間を含む動物は本性的に自己利益を追求するが故に,自然法も正義も存在しない.これに対してグローティウスは次のように反論する.

しかし,ここでこの哲学者〔カルネアデース〕がいっていること,またこれにしたがって,ある詩人が,

 自然は,正と不正とを判別することができない

と述べていることは,決して容認されてはならない.なぜなら,人間はたしかに動物であるが,しかし格別な動物であって,他のすべての動物とは大いに異なっており,その違いは,他の動物たちの種が相互に異なっているのよりも,はるかに大きいからである.この点に関する証拠は,人類に特有の多くの行動がこれを示している.さらに,人間に特有のものであるこれらの行動の間には,社会[的結合]への欲求〔appetitus societatis〕,すなわち共同生活への欲求がある.ただし,それは,どのようなものでもよいというわけではなく,平穏な,そして人間知性のありように応じて秩序づけられた,同類である人々との共同生活である.ストア派の学者たちは,これをオイケイオーシスοἰκείωσιs〕と呼んだ.したがって,すべての動物は,自然によって,もっぱら自分の利益[を追求するよう]に駆り立てられるといわれていることは,人間を含めた一般的な意味で受けとめられる限り,承認されてはならないのである.

Grotius1646: [2],渕2010:265-266)

グローティウスによれば,「人間 homo 」という動物は,他の動物と区別されるべき「格別な動物 eximium animans 」である.その証拠として挙げられるのが,ストア派の「オイケイオーシス οἰκείωσιs 」という概念である*1

 先に槍玉に挙げられたカルネアデースは自然法を否定したとされていた.これに対してストア派の思想史上の意義は,彼らが自然法論を初めて本格的に展開したことにあるとされている(青野1985:163).

 ここで人間を他の動物と分かつ特徴である「社会[的結合]への欲求〔appetitus societatis〕,すなわち共同生活への欲求」は,一見するとアリストテレス的な社会性のようにも思われるのだが,ストア派の人間観が,そのようなポリス中心の人間観とは大きく異なっている点を見逃してはならない(青野1985:160).

(つづく)

文献

*1:οἰκείωσιs(オイケイオーシス)という言葉は,語源的には〈家〉を意味するギリシアοἶκος に由来しており,トゥキュディデス(4, 198)にみられるように,本来〈専有 appropriation〉という意味で使われていた.しかし,S・G・ペムブロゥクによれば,ストア派にあってはこの語は「専有するという能動的な意味で用いられることは決してなく」,この語が意味するのは,〈結び付き relationship〉であり,しかもそれは主観的要素すなわちそうした関係の意識ということにもっとも力点がおかれたいた.」(青野1985:155-156).