まだ先行研究で消耗してるの?

真面目に読むな。論理的に読むな。現実的なものは理性的であるだけでなく、実践的でもある。

〔翻訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(13)

目次

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ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(承前)

富,および諸物の価値について(承前)

ゴールドスミスとは何者か
 What Mr. Lock means when he says that the Intrinsick Value of Silver is the Estimate that common consent hath placed on it, I do not well understand, therefore must be excused if I do not well answer it. If he means that the Estimate that Common consent hath placed on Silver, that Mankind have agreed to set a certain and fixt Price upon Silver; he ought to have given account how and when they made such agreement; I must confess I never hear'd of any; if there was any such, it must be lately: For there is no Goldsmith that has been any considerable time at his Trade, but has bought the same Sterling Silver for Four Shillings Eight pence, Four and Ten pence, and Five Shillings per Ounce, for which he has given Five and Eight pence, Five and Ten pence, and Six shillings per Ounce.

 ロック氏が〈銀の内在的価値は,一般的な同意コモン・コンセントが銀につけた評価である〉と言っている意味が私にはよくわからないので,うまく答えられないかもしれないが,その点はご容赦いただきたい.もしロック氏の言わんとする〈一般的な同意が銀につけた評価〉が,人類が銀に一定の固定価格を設定することに合意アグリーしたことを意味するのであれば,いつ,どのようにしてそのような合意がなされたのかを彼は説明すべきであるが,私はそのような話を聞いたことがないことを告白しなければならない.もしそんな話があったとしても,それは最近のことに違いない.なぜなら,ゴールドスミスの中には,その取引トレードを長く続けていながら,同じスターリングシルバーを1オンスあたり4シリング8ペンス,4ポンド10ペンス,5シリングで買って,その対価として1オンスあたり5シリング8ペンス,5ポンド10ペンス,6シリングを支払った者はいないからである.

(Barbon1696: 9)

「ゴールドスミス Goldsmith 」は通常「金細工師」「金細工職人」「金匠」などと訳される.この「金細工師ゴールドスミス」について,佐々井真知は次のように説明している.

金細工師とは,上述の通り,金・銀や宝石などを用いて食器類や装飾品類を製作し販売する人びとを指す.彼らについて,製品の製作を担う手工業者というよりも,製品の流通を独占し,高価な商品を王族や貴族などに販売する商人と捉える方が適切とする考えもあるが,本稿で検討する規約からは,手工業者として活動する金細工師もまた少なからずいたことが示唆される.ただし,材料・製品共に高価である点,またそのために金細工師には裕福な人びとが多かったと推測される点で,日用品を製作する手工業者とは区別して考えるべきかもしれない.さらに,銀貨の製造にかかわっていたことも,金細工師が他の手工業者とは一線を画す手工業者/商人であったことの一因である.中世後期を通じて,銭貨製造場の役職者や国王に仕える役人として活動する金細工師がいたことが明らかにされている.以上のような仕事,すなわち製品の販売や銀貨の製造において,金細工師は個人としても金細工師ギルドとしても,他の手工業者・商人・同職ギルドに比べて王権とより深いかかわりを持っていたのである.

佐々井2020:72-73)

このように「金細工師ゴールドスミス」は,通常の手工業者と比較すると,王侯貴族のような高いステータスを持つ人々と関係を持つ商人のような存在であったとされる.

 バーボンの本書が刊行された当時の時代背景を考慮すると,ここで言及されている「ゴールドスミス Goldsmith 」は,たんなる金細工商ではなく,同時に銀行家としての役割を果たしていた点で重要であったと考えられる.というのも,本書が刊行されたのが1696年のロンドンであり,その2年前である1694年のロンドンではイングランド銀行が設立されており,このイングランド銀行設立に先立って,ゴールドスミスはまさに銀行家としての役割を果たしていたといわれているからである.この点について,金井雄一(1949-)は次のように説明している.

…既に研究史が明らかにしているように,ロンドンではイングランド銀行設立前の17世紀半ば頃から,元来はその名のとおり金細工商であったゴールドスミスが,金貨等の保管,両替,貸付のみでなく,預金を受入れ,出納・決済サービスを提供するようになっていた.外国為替業務を行うためのコルレス先さえ持っていたと言われている.

 ゴールドスミスは預金の受領証としてゴールドスミス手形(goldsmith note)を発行したが,それは持参人に一覧で支払われる約束手形として裏書譲渡され流通した.また,多くの商人がゴールドスミスに勘定を保有し,ゴールドスミス宛に振り出した手形によって支払うようになった.20年間近く離れていたロンドンへ1680年に戻った人物が,ほとんどの商人がゴールドスミスに勘定を持っており,多くの支払いがゴールドスミス宛手形によって行われていることに驚いた,という話が伝えられている.しかも,当時ロンドンに数十行ほどあったゴールドスミスは,その内の有力2行であったバックウェル(Backwell)とヴァイナー(Viner)に勘定を開設していた.「中央銀行業務について語るのは行き過ぎとしても,『銀行家の銀行家』について語るのは現実離れしたことではない」.つまり,各顧客とゴールドスミスとの間で預金残高を増減させる決済が普及していただけでなく,ゴールドスミス同士で預金残高を増減させて清算することが可能になっていたのである.

 イングランド銀行が設立されたのは,このような預金振替決済システムがゴールドスミスによって構築されていた時だった.イングランド銀行が預金受領証について真っ先に検討したのも当然であろう.預金に対する受領証付与の第1の方法は本稿Ⅱでみたようにランニング・キャッシュ手形発行だったが,それとてゴールドスミス手形を受け継いだものだったのである.「結局のところイングランド銀行券が由来するのは,これらのゴールドスミス手形なのである」.「今日のイングランド銀行券——それは要求ありしだい持参人に支払う約束である——は,もともとゴールドスミスによって,そしてその後イングランド銀行によって発行された預金手形(Deposit Note)——それは名指しされた個人に支払われうるものだった——の現代における後継物なのである」.さらにまた,預金に対する受領証付与の第3の方法として挙げられていた,預金者が振り出す手形の引受も,ゴールドスミス宛手形と同じ機能を果たすものである.イングランド銀行はゴールドスミスによる預金振替決済システムが展開している世界に誕生して,そこから多くを受け継ぎながら業務を広げていったのである.

金井2017:24)

このようにイングランド銀行はゴールドスミス手形*1の仕組みを真似して設立されたのであった.

 以上のことから,「ゴールドスミス Goldsmith 」を「金細工師」と訳すのは間違いではないにせよ,本書が出版された当時の時代状況を考慮すると,ゴールドスミスの金細工商としての役割よりも,むしろ先駆的な銀行家としての役割の方が重要であると考え,あえてカタカナで表記した次第である.

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文献

*1:これは「金匠手形 goldsmith note 」と訳されている.